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日東電気株式会社

日東電気株式会社 代表取締役社長 阿部太洋

1951年、プラスチック部品を製造で創業した日東電気株式会社。そこから3代に渡ってものづくりを底から支える日本一の下請け会社を目指し、分野別に工場を分散配置するという経営スタイルを確立。着実に事業を発展させ、アルミダイカスト・プラスチック・FRP製品の製作、プリント基板実装などの製造加工業を主体に、多岐に渡った事業展開を行っている。また2011年には、ベトナム支店である「日東浄化槽ベトナム」を設立。その後アメリカ、中国、台湾など、グローバルな展開を積極的に行っている。しかし、その歴史の中には数々の困難と挑戦があった。今回は同社の3代目である阿部社長に歴代トップの想い、事業の軌道、そして未来への想いを伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

会社に関わる人と社会のために、幸せを追い求め続ける

頼れる存在であること。これが3代に渡って一貫した同社の社風だ。
創業者は、過去の大戦の経験から“人の役に立つこと”を考え、戦後の社会復興に寄与すべくものづくりの企業を創った。お客様の要望には「ノー」を出さず、お困りごとに寄り添う「日本一の下請け会社」を掲げ、創意工夫・技術力の向上で、地域のお客様の信頼を獲得し続けた。そして2代目社長(現会長)は「HAPPYMAKER(ハッピーメーカー)」という理念を掲げ、業容・業態の拡大にもチャレンジした。持ち前の営業力を生かし幅広い人脈を作り上げたが、一方、主たる事業のものづくり分野が停滞した。3代目である現社長は創業者の「日本一の下請け会社」、2代目の「HAPPYMAKER」の考えを融合し、ものづくり分野で“頼れる存在”となる改革を推進中だ。「日東電気に頼めば大丈夫!」というお客様からの信頼と、それを技術と品質で支える社員の誇りを実現し、真のハッピーメーカーを目指している。その想いから同社のユニフォームには「HAPPYMAKER(ハッピーメーカー)」の刺繍が施されている。

各部署の補完関係が独自の強さを生む

NITTOCORPとしてグループ化したことによる事業分野ごとの連携が現在の同社の独自性だ。創業者は戦後まもなく様々な事業に着手し、なんと32回も商売を変えていたという。世の中から求められるサービスなのか試行錯誤を続け、プラスチック部品の製造に至り、お客様のご要望、スピード対応に沿うため工場を分散配置するといった経営努力によって、現在の事業基盤を築いた。また、海外進出についても早期に着手しており、豊富な人脈を生かし、アメリカ、中国、台湾との繋がりを築くとともに、ベトナムでの浄化槽の需要をキャッチアップした後、現地法人化や生産工場の稼働を実現させる。しかし工場の分散配置やグローバル化そのものが独自性ではなく、それらの事業分野が幹部候補者の挑戦と育成機会を生み、また業績の補完関係を持つことで安定的な事業成長を支えている点こそ同社の独自性だ。お客様に頼られる存在として信頼を築き上げている同社でこそ実現しうる環境だが、その体制が進化していくことで、さらにグループの事業は強固になっていく。

社員の一人時間あたり付加価値を高めていく

同社では付加価値(限界利益)を上げるため、社員の一人時間あたり付加価値を高める改善活動に全面的に取り組んでいる。これは経営理念で掲げる「HAPPYMAKER(ハッピーメーカー)」を真に実現するため社員の所得向上や効果的な投資に向けた挑戦であり、阿部社長はこの考え方を明確に社員へ打ち出し、様々な仕掛けを進めている。現在はトップのリーダーシップで工場長を牽引しているが、それは3年先、5年先といった限定的なものだ。明確な展望としては、社員自らが会社の未来を考え、リーダーたちに各事業分野を任せ、自走できる組織体制を構想している。こうして同社の新しい組織体が実現した先に、改めてゆかりのある茨城という地域で「農業×ものづくり」と「防災関連事業」といった新たな事業を構想している。これは日本という国にとって将来欠かせない事業になると考えており、同社が地域にとって頼られる存在となるための布石だ。今、成長している工場長、そして社員一人ひとりの自主性がこれらを実現させていく。
茨城県に拠点を構える
日東電気本社
高精度の精密切削部品を
生産する山手工場の様子
未来を見据えて新たに
設置した試作研究室

グループの連携を更に強化する仕掛けを施していく

組織を強化していくために、取り組んでいることを教えてください

組織を強化していくために、会議手法をアップデートしています。例えば、上期と下期に行っている運営方針の発表会。今までは、目標を発表するのみに留まっていましたが、今は具体的な数値に落とし込んでしっかり構想を立てたものを発表してもらい、毎月の改善活動で内容をフォローしています。また、弊社では月に一度、工場ごとに会議を行っており、今までは、本社に集まり、計画と実績を報告するのみだったのですが、それだと各工場のことしかわからないので、各工場長全員が集まる工場長会議というものを始めました。各工場の情報を共有して、逐一助け合える環境を整えています。まだまだグループ工場のワンチーム化は途中ですが、今後さらに連携を強めていけるように様々な仕掛けを行っていきたいと思います。

会長から受け継いだプレッシャーを乗り越えたきっかけ

祖父(創業者)からは、それこそ生まれた時から「将来会社を頼む!」と言われていました。そのため、幼少期の時から覚悟はある程度決まっていましたね。その道しか、自分には残されていないというプレッシャーを幼い頃から感じていました。だから将来会社を背負うためにも、語学や海外経験も必要になるという考えもあり、 反対していた祖父を説得して高校からアメリカ留学させてもらいました。しかし、その時に音楽にはまり、その後バンド活動にのめり込み、リリースの話がきてしまうくらい結構良い線までいったんですよね(笑)。しかし祖父との約束もあったので勉強にも取り組み大学卒業後、日東電気に入社しました。

海外に行ったからこその日本への想いを教えてください

海外に住んでから、改めて日本が大好きになり、茨城が大好きになりました。日本人は謙虚で優しい方が多いので、そういったところでとても温かい国だと改めて気付きました。また何より、ご飯がとても美味しいです(笑)。総じて日本のきめ細かいサービスや、(商品を)使う人を思いやる配慮や工夫などは抜群に優れていて、バリエーションやパッケージの工夫などのこだわりを追求する姿勢は誇りにも思います。
だからこそ、日本の文化を守っていきたいと考えてますし、茨城はもちろん日本の成長に貢献していきたいと考えています。まだ具体的な事業化などはこれからですが、農業や防災といった、この国が将来必要とする分野にも取り組んでいきたいと考えています。そしてそれを成長した社員と協力し合って、実現できると嬉しいですね。

仕事は未知だからこそ面白い! 新たな分野へ挑戦し続ける

日東電気株式会社 磯原工場 工場長 大谷承也

北茨城で各種FRP製品の製造を行っている磯原工場で、工場長を務めている大谷さん。2010年に日東電気株式会社に入社して以来、管理部や営業部、人事・総務など様々な職種を経験してきた。また2011年から稼働を開始したベトナム工場では、2018年にゼネラルダイレクターを任され、約5年間ベトナムに駐在。現場に入り、組織の再構築を図った。その後2022年から磯原工場も任され、工場の収益改革や改善活動に取り組んでいる。今回はそんな大谷さんに、日東電気株式会社での仕事のやりがいや、工場長としての今後の夢について伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

ご縁と人に恵まれ、着実にキャリアアップ

2010年に入社した大谷さん。もともと新卒では東京のアパレル会社に就職し、営業職をメインで取り組んできた。そんな大谷さんは、ご縁を機に、今まで未経験で、前職とは全く異なる業種となる日東電気に入社を決意し、東京から茨城にやってきた。入社後はまずグループ会社である日東自動車機器に在籍し、加工やダイカストをメインで行った。そんな大谷さんは入社当初の同社の印象について、「社員の皆さんが本当に親切にわからないことを教えてくれて、人に恵まれていた」と語った。人とのご縁も感じ、更に仕事に精が出た大谷さん。その後は管理部や営業、人事・総務の補佐など多岐に渡る業務に取り組み、順調にキャリアを重ね、2017年からはベトナム工場の責任者に抜擢。約5年間駐在した。現在では磯原工場の工場長を務めつつ、ベトナムの統括も兼務しており、年間の約3割をベトナム工場業務に充てている。

初めての異国の地で、組織改革へのチャレンジ

同社に入社してから、多岐に渡る業務に携わってきた大谷さん。それぞれの業務でやりがいを見つけ、達成感を得てきたという。そんな大谷さんが特に達成感を得られたこととして語ってくれたのは、ゼネラルダイレクターを務めたベトナム駐在。大谷さんの就任当初のベトナム工場は、組織がまとまっておらず、工場全体の連携が取れていなかったという。「このままだと工場が成り立たない」。そう感じた大谷さんは、1日の大半を現場の指導に充てた。核となる人材の意識を変えるために「何がダメで、何が良いのか」ということを徹底して一緒に考えた。この数年間の徹底した取り組みにより、リーダー人材の意識が変わり出し、その下に就いている現場社員の意識改革にも成功。まさに、ベトナム工場の組織の基礎を大谷さんがつくったと言っても過言ではない。初めての異国でのチャレンジは、大変なことも多かったが大きなやりがいや学びに繋がったと、当時を思い出して笑顔で語ってくれた。

磯原工場を、グループ内の工場でトップにしていきたい

「日東電気グループの工場の中で、磯原工場を収益・利益でトップになるまで 改革していきたい」と、大谷さんは自身の夢について語ってくれた。この夢の 実現のために、現在は付加価値・生産性の向上を重点的に取り組んでいるとい う。見積りの見直しと生産工程の改善。シンプルなことであるが、これは大谷さんが磯原工場に就任してから徹底して取り組んできたことであり、最近やっと数字に結びついてきたという。こういった日々の積み重ねを行ってきたことによって、赤字だった磯原工場も黒字化できたのではないかと感じているそうだ。またそれを成し遂げた先の夢について、ベトナム国内のお客様の開拓だと語る。5年間駐在した際は(ベトナムからの)輸出がメインだったが、今後FRPはベトナム国内でも需要が高まると予測する大谷さん。今現在参画しているベトナム事業を主導し、現地ベトナム人マネージャーと連携して事業展開をしていきたいと考えているそうだ。様々な夢に向かって構想を練り、努力を重ね、結果を出し続ける大谷さんに今後も注目していきたい。
大谷さんが工場長を務める
磯原工場の様子
日東電気グループで
働く仲間たち
工法の一つである
連続ろう付炉

工場長同士で協力して、グループ全体の改良を手掛けていく

海外にいたからこそ気付いた、日本企業の特徴について教えてください

日本企業は製品やサービスの品質に非常に高い基準を持っていると感じました。これは顧客満足度を非常に重視しているため、品質の向上を追求することで信頼性を高める努力を厭わないからだと思います。この点はもっと日本という国が認知されれば世界で競争力を発揮できると思いますね。その点日本人の謙虚さは素晴らしいところだと思いますが歯がゆくもあります。これは実際の経験ですが、日本人はお客さんに対して、自らの要望を伝えることを躊躇してしまう一面があると思います。海外の方と比べて、少し遠慮しがちなんですよね。だから結果としてビジネスでの交渉事が弱い(笑)。
サービスや技術は素晴らしいものなので、私自身も自信を持ってお客様に提案することを心掛けたいと思います。

会長と社長それぞれについてと、会社が変化したことを教えてください

会長は業界や業種関係無く、対外的な人脈が凄く広い方です。これは初めて会った人でも、深い繋がりを築ける方だからだと思います。本当に様々ことを色々な角度から深く考え、気を使う方なんです。一方で社長は、とにかくパワフルでスピード感がある方ですね。40代ということもあって、IT化や効率化できるツールを積極的に取り入れ、スピード感を持って会社を成長させている印象です。また非常に情に厚く、現場が大好きな方です。現場がより良くなるような視点をお持ちの方なので、様々な改善案で工場を改良していってくれています。早く現場は自分たちに任せられるようになりたいですね。

次世代の仲間になる、他の工場長について教えてください

日東電気グループは、それぞれの工場での製品や工程こそ異なりますが、同じ工場長という立場として、相談できる先輩であり、良い仲間であると思っています。以前は工場それぞれが独立していてどちらかというとライバル的な関係もあったようですが、今は横と横の繋がりを強め、協力体制を築いています。例えば月に一度工場長会議という形で、日東電気グループの工場長全員で集まって会議をしているんです。これは、計画と実績の報告だけ、といった一方通行ではなくそれぞれの工場での成功体験などを共有して、横展開できないかを検討しています。また年に2回ほど社長と工場長の飲み会も開催し、親睦を深めています。こういった形で工場は離れていたとしても、密にコミュニケーションを取っているので、連携力は年々増していると思います。

監修企業からのコメント

この度は取材を受けて下さり、ありがとうございました。様々な分野に進出し、幅広いお客様のニーズに応えてきた日東電気株式会社様。現在ではベトナムをはじめとし、グローバルにも積極的に展開していらっしゃいます。また経営理念として「HAPPYMAKER(ハッピーメーカー)」を掲げ、会社に関わる人と社会のために、幸せを追い求めけている同社。今後の成長に、期待を寄せてまいります。

掲載企業からのコメント

弊社は創業から、ものづくり底から支える「日本一の下請け会社」を目指して、邁進してまいりました。また顧客第一主義を掲げ、お客様からの要望には「ノー」を示さないと決めて取り組んでおります。改めまして、今回は取材をしていただきましてありがとうございました。

日東電気株式会社
昭和26年6月
水戸市金町に日東電気株式会社設立。資本金100万円。
プラスチック部品の製造を開始。
昭和35年10月
小山市に日東電気(株)小山工場を新設。
通信機部品の製造を開始。
昭和38年5月
東茨城郡茨城町に日東電気(株)水戸工場を新設。
昭和43年4月
日東電気(株)の資本金を3,000万円に増資。
昭和44年6月
日東電気(株)の本社を東茨城郡茨城町に移転。
昭和47年10月
北茨城市磯原工業団地に日東電気(株)磯原工場を新設。
FRP製品の製造を開始。
昭和48年12月
日立市久慈鉄工団地内に(株)日東製作所日立工場を新設。
資本金3,000万円。プラスチック成形品、切削品、金型を製造。
昭和50年10月
東茨城郡茨城町に商事部門として(株)日東商行を設立。
資本金1,000万円。
昭和51年11月
水戸工場にダイカスト専用工場を新設、自動車気化器の鋳造、切削から完成品にいたる一貫作業体制を確立。
昭和53年9月
日東電気(株)より水戸工場、勝田工場を分離独立して日東自動車機器(株)を設立。資本金3,000万円。(日立製作所出資900万円)
昭和54年10月
米国カリフォルニア州オレンジにU.S.NITTO(INTERCORP)を設立。資本金$751,000。ボルト・ネジ等の米国内販売を開始。
昭和55年5月
鹿島郡旭村(現鉾田市)に日東電気(株)旭工場を新設。
昭和55年6月
日東電気(株)が台湾に台全電気股有限公司と共同出資にて現地法人台全精密工業股有限公司を設立。福州泰全工業有限公司と合わせて出資総額17,500万円。
平成9年1月
日東メンテナンス(株)を設立。ビルメンテナンスおよび総合清掃業を開始。
平成13年5月
日東電気(株)取手工場を日立市石名坂に移転、山手工場とする。
平成14年6月
日東メンテナンス(株)資本金を2,500万円に増資、営業所を水戸市西原に新設。
平成18年12月
五霞町 茨城工場にて小型燃料ポンプの製造を開始。
平成23年10月
ベトナム ダナン市に日東浄化槽ベトナムを設立。
資本金$369,000。浄化槽およびFRP製品の製造・販売を開始。
創業年(設立年) 1951年
事業内容 ・自動車部品製造 ・FRP、住宅資材製造 ・機械部品(アルミ、合金のスタンプ、プレス製造)
所在地 茨城県東茨城郡茨城町長岡3268
資本金 3,000万円
従業員数 120名
会社URL

日東電気株式会社