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株式会社シズテック

株式会社シズテック 代表取締役社長 堀部 哲夫

かつて刀鍛冶の街として栄えた関市。そのDNAを受け継ぎ、金属加工のプロフェッショナルとして君臨しているのがシズテックだ。関に根付いた刀づくりの技術を受け継ぎ、包丁屋「志津刃物」として創業した同社。その加工技術を生かし、チタンやマグネシウムなどの難加工金属と呼ばれる素材の加工を行う会社として独立している。今回取材させていただいたのは、志津刃物の2代目として、そしてシズテックの創業者として同社を牽引してきた堀部社長だ。関という街に受け継がれた技術を生かし、同社ならではの加工を展開している。その堀部社長から、ものづくりにかける思いを語っていただいた。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

一人がすべてのことをやるプロフェッショナル集団

同社の社風について、堀部社長は「誰もが何でもできること」を掲げた。「営業や製造のように部門が明確に分かれており、きっちりとした組織をつくれるのは大企業。中小企業には中小企業の戦い方がある」と力強く語る堀部社長。関という職人の街だからこそ、経営理念の1つでもある「プロフェッショナル」になることを求めているのだ。ある1つの製品を受注した時、どんな性能を求められていて、そのためにはどんな素材が良くて、どんな加工が必要で、どうすれば新しい機能を持たせられるのか。すべてのことがわかるからこそプロフェッショナルであり、お客様以上に製品のことがわかっているからこそ仕事をもらえる、という信念を貫いている。お客様に言われたことをただやるのではなく、プロフェッショナルとして提案をしていく。一人ひとりにすべてのことができるように求めている同社だからこそ、これが実現できているのだろう。

3つの「プロ」による技術力

「会社の技術力とは、機械や知識で決まるものではない。それをどう応用したら良いかを知っていることが技術力でありノウハウだ」堀部社長がそう語るように、同社には蓄積された技術があり、これこそが他社には真似のできない独自性となっている。そして、その技術力を支えているのは、経営理念として掲げている「3つのプロ」の考え方だ。1つ目は、上述の「プロフェッショナル」。一人ひとりが担当する製品そのものに精通している。2つ目が「プロデュース」。その製品をつくるためには、どういう素材をどのように加工するのが良いのか、工程をイメージして組み立てる力を求められている。裏を返すと、今ある工程には一つひとつにそれを行う意味がある。だからこそ、どの工程も疎かにすることなく、3つ目である「プロセス」を理解しなさい。ということが堀部社長の教えだ。これらの3つのプロの考え方が、同社の技術の土台となっている。

ノウハウを蓄積し、進化し続ける

ノウハウを蓄積して、新しい分野の仕事や技術を自分たちでつくっていく。それが同社の展望についての堀部社長の思いだ。「同じ仕事が10年続くことはない。常に新しいノウハウを探し続け、蓄積していくことが大事」と社員には日頃から伝えているという。蓄積するノウハウは、会社の中にあるものだけではない。関という地域の伝統の中に溜まったノウハウも活用していきたいというから驚きだ。
一方で、新しい仕事から主力になり得るのは1000個のうち3個しかないと堀部社長は考えている。そのため、現状に満足することなく、常に新しいことを探し続けていくことが必要不可欠なのだ。新しい仕事を探求するために、つい先日完成した新工場には、現状の生産量からすると余力があるという。資金としてもスペースとしても余力を残しておくことで、数少ないチャンスに備えている。現状に満足することなく進化を続ける同社から、今後も目が離せない。
機械メーカーと共同開発した洗浄設備
伝承されていくバフ研磨技術
原点は包丁づくりから

ものづくりへの飽くなき探究心

ものづくりへのこだわりを教えてください

私たちは、金属加工のプロフェッショナルだと自負しています。お客様の求める製品は、ただ設計するだけでは実現できません。実際にどのように加工するのかをイメージして、トータルでプロデュースしています。例えばプレス加工一つとっても、それをするためにはどんな型が必要で、どうすれば実際にプレスできるのか。プレスでどうしておけば切削がやりやすくなるのか。そういった繋がりまで考えています。中には、この機械をこういう使い方をしたいと機械メーカーに持ちかけることで、新しい機械をつくってもらうケースもありますよ。機械や知識ではなく、ノウハウの集合体であることを大切にしています。

どのようにノウハウを継承しているのですか?

お客様ができない商品を提案するという経験を踏ませることで、提案できる力を社員につけてもらっています。どうしても経験を積まないとできないことはありますからね。
また、相反するようですが、「職人の技術を数値化せよ」ということも伝えています。例えばバフ研磨の際に使うニカワであれば、これまでどんな濃度が良いかは職人の感覚にゆだねられていました。一方、弊社の場合は、測定器を用いて計測できるようにすることで、若手でも一人前の作業ができるようになっています。
測定できるようにすることで受け継いでいけること、職人にしかできないことを分けて伝承していくようにしています。

チャンスを掴むために心掛けていることは何ですか?

「これはチャンスがきたかな?」ということが見つかったら、迷わず突っ込んでいくことですね。人生には、誰しも大きなチャンスが3回あるという話を聞いたことがあります。その3回のうち、すべてのチャンスを掴めるのか、1回しか掴めないのか、はたまた1回も掴めないのか。これによって人生は大きく変わってくると思っています。そのため、「これは人生に何回とないチャンスがきたのかもしれない!」と思って、全力でそれを掴みにいくんです。弊社の主力の部品となっているものも、関という職人の街だからこそ回ってきたチャンスだ!と思って必死に取り組んだからこそ、今の主力たり得ているのだと思います。

自社ならではの 難加工金属を極める

株式会社シズテック 代表取締役副社長 堀部 資宏

翌年の社長交代を明言している堀部社長の後を継ぎ、シズテックを受け継いでいくのが副社長である堀部資宏さんだ。同社の中国工場立ち上げと同時期に入社し、現地では数少ない日本人として中国工場を牽引してきた。志津刃物からシズテックへと受け継がれてきたものづくりの魂は、会社・家系に留まらず、関という地に根ざしたものなのだろう。堀部副社長自身も幼い頃から「ものづくりに携わるんだ」という思いを持っていたという。本取材では、シズテックの2代目として会社を受け継ぐ堀部副社長が、どんな思いで入社し、どんな未来を思い描いているのかについてお話を伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

幼い頃からの夢の実現

堀部副社長が小学校の作文で書いた夢。それは「志津刃物で包丁をつくる。そして世界を飛び回る」というものだった。会社こそ、志津刃物ではなくその後にできたシズテックだが、まさにその状況を実現している。 大学卒業後、同社の中国工場を立ち上げるタイミングで入社した堀部副社長。海外経験は初めてながら、自ら志願して立ち上げを引き受けた。入社後、半年ほどで現場の研修を受けた後、海外での挑戦が始まったのだ。その後は、日本国内で受けた仕事の生産を中国で請け負う形で、10年以上中国を牽引してきた。唯一の日本人として、経営面はもちろん、生産管理や人事、本社とのやり取り、そして、時には現場作業まで、幅広く担っていたという。副社長となった今でも、年に数回は中国に訪れている。幼い頃からの夢を実現した堀部副社長が、今後どのような未来を描き実現していくのかが、楽しみでならない。

難題こそ越えていく

「できるかできないかわからないことを『できる』と言ってみせ、それを実現させることがおもしろいですよね」と堀部副社長は語る。お客様からの要望は、お客様ができないからこそ仕事として成立している。技術面はもちろんのこと、納期やコストなど、あらゆる面で難題を乗り切った時こそ、やりがいを感じるのだ。 そこには、関という職人の街で育ったことにより、ものづくりの魂が根付いているのだろう。そして、できるかできないかを見極めるには膨大な知識も必要になるに違いない。仕事を引き受けたは良いものの、結果的にできなければお客様に迷惑がかかる。そうならないよう、絶対にできないであろうことは、真摯にそれを伝えているという。「現場からは怒られることも多いですが、それでも形にしてくれて、いつも助かっています」と堀部副社長が話すように、連携を取りながら、シズテックだからこそできることを追求している。

難加工金属の仕事をさらに広げていく

今後について「自社でしかできない難加工金属の領域を広げていきたい」と語る堀部副社長。同社の経営理念にある「3つのプロ」のうち、「プロデュース」の考え方がもとになっている。単に言われたものをつくるのではなく、どんな素材で、どんな工程でつくるのかまでイメージして、お客様に提案しているのだ。 これにより、お客様の「こういうふうにしたい」という要望を実現していくことはもちろんのこと、部分的な加工の困りごとに対して提案したり、試作はできたものをどうやって量産に繋げるかを考えたりしていきたいという。 他社ではそもそも実現できないことや、実現できたとしてもコストが高くなってしまうことが多いという難加工金属。シズテックならではのものづくりで、お客様にとってなくてはならない存在であり続ける。次世代を担う堀部副社長を筆頭に、シズテックのファンを増やし続けていくことだろう。
加工難度の高いチタン
材料手配から加工まで対応
硬いカーボンの加工も可能

受け継いでいく者の覚悟

海外展開について考えていることを教えてください

実際に仕事になるかどうかは別としても、今後も海外には常に目を向けていきたいですね。
私自身が10年以上中国にいたこともあり、学ばせてもらったことも多いです。
幸い、グループである志津刃物は海外でも売っているものですので、何かしらの拠点は置いてアンテナを張っておこうと考えています。そして、将来的にはうちの社員にも何名か海外に行ってもらおうとも考えています。グローバル化と言うと大げさかもしれませんが、自分の経験も生かして、海外との繋がりは持ち続けていようと思います。

社内改善に取り組んでいることを教えてください

IT化をさらに進めていきたいですね。2年ほど前にシステムを導入して、誰がどれだけの作業をしたのか、どんな不良がどれだけ出ているのか、ということをデータ化できるようになりました。それまではみんな別々で記録していたので、管理がしづらかったんです。会社にいる弟たちの力も借りながらシステムを導入して、現場にもかなり浸透してきていると思います。現場ごとにパソコンやタブレットも用意しているので、デジタル化・IT化を進めて、より効率的にものづくりができるようにしていきたいですね。

堀部社長はどんな方ですか?

社長として、すごい人だと思います。志津刃物を経営していた時代から、運を掴み取ってきた力があるはずなので。考え方がすごく論理的ですね。難しい加工でも「これでできる」という道筋をつくる知識と論理性があります。加えて、カリスマ性もあると思っています。中国に工場をつくったのも然り、今回新工場を建てたのも然り。
親子なので喧嘩もしますけどね(笑)。もうかなり仕事も引き継いでいますので、社長が育ててきた社員と協力しながら、今後は自分が引っ張っていけるようにしていきます。

監修企業からのコメント

堀部社長、堀部副社長、貴重な時間をありがとうございました。
関というものづくりの街に脈々と受け継がれてきた魂を感じたように思います。
取材後は工場見学もさせていただきましたが、不可能を可能にしていく創意工夫に驚くばかりでした。来年の社長交代後も、ますます楽しみな企業様です!

掲載企業からのコメント

遠路ご来関いただき、ありがとうございました。
自分たちの持っている伝統や歴史をもとに、変化・進化してきたのがシズテックです。
今後も、次世代のメンバーがさらに進化させていってくれることに期待しています。

株式会社シズテック
1959年 関市河合町にて堀部正美が志津刃物製作所を創業
1964年 関市小瀬に新工場竣工志津刃物製作所を移転
1980年 有限会社志津刃物製作所として法人化
1991年 志津刃物製作所が関市池尻に本社工場竣工
1995年 有限会社志津刃物製作所より有限会社シズテックを分社化(関市池尻を本拠とする)
2004年 有限会社志津技研を関市池尻に設立
2004年 天津志津精工有限公司を中国天津市に設立
2007年 株式会社シズテックに改組
2010年 有限会社志津刃物より本社工場を取得
創業年(設立年) 1959年
事業内容 ・金属製洋食器の製造販売 ・ハサミ、包丁、爪切り、ナイフ等の利器工匠具の製造販売 ・自動車、航空機、自転車等輸送機器部品の加工及び表面処理加工  並びに組立 ・チタン合金、ニューセラミックスを使用した日用雑貨品、  医療、保健、衛星用機器の製造及び販売 ・ステンレス加工業及び軽金属の切削、切削加工、金属プレス加工業
所在地 岐阜県関市池尻1909-1
資本金 1,000万円
従業員数 56名
会社URL

株式会社シズテック