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日東産業株式会社

日東産業株式会社 代表取締役 池谷彰

お茶は日本が世界に誇る文化であり、伝統ではないだろうか。この日本が誇る文化をお茶缶を通して、守り続けている企業がある。それが日東産業株式会社だ。お茶の名産地で有名なお茶の名産地静岡県に本社を構え、日本トップのお茶缶メーカーとして、業界をけん引する同社。近年では、人気ゲームとのコラボレーションや日東産業オリジナルキャラクター「糸鳥虎鈴(いとどりこすず)」を誕生させるなど、さまざまな仕掛けを考案する同社はまさに伝統と挑戦の革新企業だ。今回の取材では、日本トップのお茶缶メーカーの77年の歴史を紡ぐ挑戦や葛藤を2代目社長の池谷彰氏に伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

お客様からも愛される人間味溢れる温かい会社

「人間味が溢れ、温かい社風がある」と語る池谷社長。人間味が溢れる社員が集うことで同社は国内最高峰のお茶缶メーカーとして長い歴史を紡いできた。そんな同社が静岡県に誕生したのは77年前に遡る。創業以来、一貫してお茶缶を製造し、お茶缶業界をけん引してきた同社。その歴史には創業期から変わらず重要にしてきた”社員を大事にする”というポリシーが存在する。そのポリシーを受け継いだ2代目の池谷社長もまた、社員一人ひとりが働きやすい環境づくりに注力する。「社員がイキイキと働いて欲しい」と明るく語る池谷社長。その一途な思いのもと、改善活動や5S活動といった社内プロジェクトへの取り組みや社員旅行・飲み会などの社内イベントを積極的に開催する。特に、10~12月の繁忙期に社員一人ひとりを元気づけるため、クリスマスケーキを配布するという取り組みもあり、これらのイベントや取り組みは同社の社風を表している。そんな人間味の溢れる同社の社員はお客様からも信頼され、お茶缶業界ではトップの取引先数を誇っている。

お茶缶のプロフェッショナルが生む付加価値とは

お茶缶にさまざまな手法で付加価値をつけることができることが同社の独自性だ。お茶缶と聞くと、シンプルなデザインのものを思い浮かべる方も少なくないのではないか。そういったシンプルを追求したものに加え、同社はさまざまな特殊な加工技術を活用し、お茶缶にアクセントを加えることができる。和紙の加工を施したお茶缶からイタリアのベネチアのアートを再現したお茶缶までありとあらゆるお茶缶が存在する。また、最近では人気ゲームとのコラボレーションしたお茶缶を製造するなど、さまざまな付加価値のお茶缶を製造することができる。そんな同社の高付加価値のお茶缶は時には海を越えて、海外のお客様にまで届けられる。「お客様のこだわりを形にしていきたい」と目を輝かせながら語る池谷社長の思いは日々新たなお茶缶を誕生させ、多くの人々にお茶缶の魅力を発信する。お茶缶を愛し、愛される同社はお茶缶とお客様への思いを付加価値へと転換していくのだろう。

お茶業界を盛り上げる100年企業へ

「100年企業になること」これこそ同社が掲げる大きな目標だ。お茶は世界に誇る日本独自の文化であり、伝統だ。しかし、現在お茶業界は厳しい状況にある。ペットボトルやアルミ缶でお茶を飲むことが当たり前の世の中になり、お茶を点てることや、急須でお茶を淹れることの機会が減少し、お茶本来の味わいを愉しむ機会が減っている。その現実と向き合い、「お茶缶製造を通じて、日本独自の文化である“お茶”を守り、次世代に残していきたい」と語る池谷社長。国内トップのお茶缶メーカーはお茶文化の継承へ奮闘する。池谷社長は「今後のキーワードは、“コラボレーション”と“海外展開”である」と語る。より高付加価値のお茶缶の製造と販路の拡大で、お茶文化を継承している。「お茶の文化は絶対になくならない」と語る池谷社長はお茶とともに「100年企業になること」を目指す。
77年の歴史を誇る日東産業株式会社
ありとあらゆるお茶缶の製造を行う
お客様のために常に挑戦を繰り返してきた

日東産業と池谷社長の歩み

日東産業の歴史を教えてください

先代が1944年に当社を創業しました。創業以前は下駄やひな壇の製造を中心とする木工加工をメインに行っていましたが、創業後は現在まで続くお茶缶製造に力を入れて取り組んできました。その後、1985年に焼津市に本社を移転しました。創業者である先代は社員や地元のお客様を大事にされる方でした。そのおかげもあり、現在も2,000件ほどのお茶屋さんとのつながりがあります。そんな先代が一から創り上げた日東産業を未来永劫に続く、100年企業にしていきたいと考えています。そのため、日東産業の文化や技術を次世代に受け渡していくために、社員一丸となり頑張っていきたいと思います。

社長になった経緯を教えてください

まさに晴天の霹靂でした。私は日東産業に入社する前に静岡の中小企業に勤めていて、経理・財務の仕事をしていましたが、20年前に先代から社長になることを前提に日東産業への入社の話を受けました。当時は経営者になることなど考えもしなかったので、戸惑いや葛藤がありましたが、「先代が創った日東産業を守りたい」という気持ちが大きかったため、入社を決意しました。入社してからは常務、専務の役職を3年間経験し、その後2005年に社長に就任しました。最初は右も左もわからない状態でしたが、人間味溢れる社員の存在があり、ここまで続けてくることができました。

経営しているうえで大事にしている考え方を教えてください

社員の気持ちに寄り添うことを大事にしています。今でこそ、経営者の立場を17年間経験してきて、経営の大変さや難しさを理解していますが、私自身も日東産業に入社する前はサラリーマンとして働いていました。そのことから、悩みや葛藤を社員の立場になって考えることができます。また、日東産業は最新の設備や大型の機械を導入して大量生産をするような事業モデルではありません。社員一人ひとりが互いにアイディアを持ち合い、より良いものを創造することが大きな強みになります。その一例で毎年新茶の季節になると、お茶缶の新しいデザインを社員で持ち合い、コンペを行う慣習があります。このようなこともあり、社員一人ひとりと寄り添い、会社として強くなっていくことが日東産業に必要なことです。

会社の未来をつくり 次世代へつなげてゆくニューリーダー

日東産業株式会社 常務取締役 池谷健太様

今回お話を伺った池谷常務はまもなく入社7年目になる営業部のトップ。「人と話すことが好き」と満面の笑みで語る池谷常務は、持ち前の明るさと素直さで多くのお客様から愛されている。お客様に対してお茶缶が出せる付加価値を考え抜くその姿勢は、父親である池谷社長譲りのものである。同社のお客様に寄り添い、お茶缶の最大価値を提案する仕事は池谷常務にとって、まさに天職とも言えるだろう。今回の取材では国内トップのお茶缶メーカーを引っ張るニューリーダーの思いを伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

台湾での光景が日東産業への扉を開く

「幼少の頃から日東産業で働くイメージがあったわけではありませんでしたが、大学3年時の台湾での光景が意識を変えました」と話し始めた池谷常務。当時の部長に連れられて訪れた台湾が人生のターニングポイントとなった。その後、飲食業界での仕事や海外留学を経て、祖父が創業した日東産業に入社を決めた。では、台湾で見た光景とは何なのか。池谷常務が話を続けた。「現在と比べ、台湾はまだまだ発展途上であり、モノも充実していませんでした。その中で、日東産業がつくったお茶缶が現地の人たちの生活に溶け込んでいる光景を目の当たりにしました。そこで見た祖父が創業した日東産業が海外の人にも愛されている光景は今でも鮮明に覚えています」と語った池谷常務。このタイミングでいつか同社で働くことを心に決めたという。このように日本国内だけではなく、海外でも愛される日東産業。祖父が立ち上げ、父が守り抜くこの会社の次世代を引っ張るのは池谷常務だ。

お客様を思う それがやりがいに

「お客様の思いが形になり、感動してもらうことがやりがいです」と笑顔で答える池谷常務。お茶缶を通じて、多くのお客様に感動を与える”商人”は目を輝かせながら、仕事の充実感を顕わにする。そんな池谷常務は「お客様が好きで、いつも会いたいと思っています」と池谷常務は語る。そんな池谷常務の最もやりがいを感じたエピソードは入社して間もない頃の話。「ずっと一緒に仕事をしたいと思っていたお客様がいて、何回も訪問をしましたが、契約をいただくことができませんでした。その際に、自分の思いを手紙にして、お客様に渡しました。その思いが届いたのか、後日お客様から呼ばれて仕事をいただけることになりました」とお客様に対しての思いを形にして伝えたことで仕事につなげることができた。このお客様とは現在も取り引きが続いているとのこと。お客様と真剣に向き合い、思いを形にすることが池谷常務の仕事のやりがいである。

日東産業の誇りを発信し続ける

「我々がつくるお茶缶の価値を世の中に発信し続けていきたい」と力強く語った池谷常務。お茶缶業界が縮小していく中ではあるが、「お茶缶がなくなることはない」と強く意気込み、これまでもさまざまな挑戦を続けてきた。人気ゲームとのコラボレーションをはじめ、同社のオリジナルキャラクターを作成するなど、若い世代にもお茶缶の素晴らしさを伝える取り組みを行っている同社。池谷常務は今後の挑戦について、組合で協力し合うという具体的な施策を考えている。「これまで、同業他社と協力し合う文化がなかった」と振り返る池谷常務。しかし、お茶缶メーカー各社が業界の衰退やコロナの影響を受ける中で、「缶業界が一致団結し、新しい価値を創造する。新しい挑戦が必要」と池谷常務は考える。今後、同社が中心となり、お茶缶業界に新たな波が生まれることは間違いないだろう。
人気ゲームとのコラボレーションを行い、 お茶缶の付加価値を高める
池谷社長と池谷常務で協力し合い、 正しい会社を行っていく
お茶缶業界を盛り上げる 日東産業オリジナルキャラクター「糸鳥虎鈴」

日東産業の発展を担うキーマン

池谷常務からみた池谷社長について教えてください

困っている人を助けたいという気持ちや、何かに貢献したいというような正義感が強い社長ですね。そんな池谷社長の思いは社員全員に伝わっていると感じています。池谷社長は実の父親ですが、私とは真逆のタイプで、共通点が少ないと思っています。しかし、「お茶業界を守りたい」や「日東産業をより良くしていきたい」といった根幹の部分は似ていると感じています。そのことから、今後も協力し合い日東産業をより良くしていきたいと思います。

現在考えていることを教えてください

現状をピンチと捉えるのではなく、チャンスと捉えています。若者のお茶離れなどでお茶業界が厳しくなっていることやコロナ禍で観光産業が落ち込み、それに伴い、お茶缶業界もまた厳しくなっていることは事実としてあります。しかし、このような状況だからこそ新しいことに挑戦するチャンスだと思っています。例えば先ほどお話しした、缶業界との協力はその一例です。また、今後はこれまで培ってきたお茶缶製造の技術を活かし、さまざまな分野に汎用させていく取り組みも考えています。ピンチをチャンスに変えて、新しい取り組みに積極的に挑戦していきたいと思います。

今後の日東産業について教えてください

正しい会社であり続けたいと考えています。利益のためだったらなんでもする会社ではなく、お客様と真摯に向き合い続ける会社でありたいと思います。これは日東産業が古くから大事にしている考え方で、おそらく創業者である祖父が大事にしていたことだと思います。また、日東産業を正しい会社にしていきたいという思いは父親の池谷社長と私の共通点でもあります。今後、会社として世代交代が必要になり、古くから日東産業に在籍しているメンバーから若いメンバーにバトンが継承されていきます。その中で日東産業が正しい会社であり続けるための取り組みをしていきたいと考えています。

監修企業からのコメント

今回は取材のご協力いただき誠にありがとうございました。
国内トップクラスのお茶缶メーカーとしてひた走る日東産業株式会社の歴史に迫ることができ、お茶缶の魅力を再認識することができました。今後も新たな挑戦を続け、お茶缶業界をリードしていく日東産業に注目です。

掲載企業からのコメント

今回は取材のご機会をいただきありがとうございました。
伝統と挑戦の革新企業を通じて、皆さまに私たちの取り組みや考え方がお伝えできればうれしいです。今後もお客様と真剣に向き合い、さらなる歴史を築いていきます。

日東産業株式会社
昭和19年 6月 飛行機部品製造会社として創業
昭和25年 5月 営業目的を茶缶製造に転じ本社を西草深町92に変更。
昭和42年 4月 本社工場を静岡市水道町119に移転。
昭和44年 10月 英国製メルトーク社のボディーメーカー自動シーマーにより、自動ライン1号機を完成。4ライン設置稼働。
昭和47年 4月 焼津工場稼働。
昭和50年 5月 資本金1,200万円に増資。
昭和53年 9月 スイス製全自動溶接ライン稼働。
昭和61年 3月 静岡、焼津工場を静岡県志太郡大井川町高新田250に移転し、本社工場として統合。
昭和62年 4月 九州営業所開設。
平成10年 1月 紀州梅、ごま等、自然食品販売に事業拡大。
平成12年 6月 キャン・オブ・ザ・イヤー・コンペ金賞受賞(オーストラリア)
平成13年 2月 マイティ缶 意匠登録
平成13年 5月 キャン・オブ・ザ・イヤー・コンペ金賞受賞(アメリカ)
平成15年 5月 キャン・オブ・ザ・イヤー・コンペ金賞受賞(シンガポール)
平成17年 7月 デュール 意匠登録
平成18年 7月 鈴子 意匠登録
創業年(設立年) 1944年
事業内容 茶業界を中心とした食品関連業界にスチール缶および関連商品の製造販売
所在地 〒421-0204 静岡県焼津市高新田250
資本金 1200万円
従業員数 88名
会社URL

日東産業株式会社