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山田食品産業株式会社

目指すべきは、山田に関わる 全員の幸せ

山田食品産業株式会社 代表取締役社長 山田裕朗

山田食品産業株式会社 代表取締役社長 山田裕朗
所沢航空記念公園を持ち「航空発祥の地」を標榜する町、所沢。
ここに赤いカカシでお馴染みの山田うどんチェーンの本社、山田食品産業株式会社がある。埼玉県民なら知らない人はいないであろう山田うどん。豊富でボリュームのあるメニューと人間味のある温かい接客がお客様に愛され続け、今では埼玉県を中心に関東圏に約170店舗展開している。その山田うどんのファンは『山田者』と言われる。このようなニックネームが付くほどに愛し愛される企業が山田うどんなのだ。その代表取締役社長を務めるのが、山田裕朗社長。山田社長は『山田者』に愛され続けてきた伝統の文化と味を守りながらも、新しい山田うどんへの躍進の為に日々奔走している。その山田社長の山田うどんに掛ける想いを伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

山田うどんを山田うどんたらしめる、人間味・自由さ

山田うどんは人間味を何よりも大事にしている。その最たる例が店舗の接客に現れている。例えば170を超える一大チェーン店にも関わらず。山田うどんにはいわゆる接客マニュアルというものが無い。『当社では、簡単なマニュアルは用意してありますが、細かい指示のマニュアルはありません。店員を信頼していますし、その人達が持つ人間味で接客してもらいたいからです』と山田社長。社員の一人ひとりを活かしたいという想いからくる取り組みである。 また、自由さも同社の社風だと言える。店舗ごとに違うメニュー、うどん屋なのに、店によってはパスタを置いたりと客層に合わせて柔軟に対応しているのだ。極め付きのエピソードとしては、かつてさぬきうどんブームが世間を席巻した時に、あえてうどんではなくラーメンで勝負をするという策を取った。『うどんは従来のものがお客様に愛されている。ならばラーメンの方が面白いのでは』という発想から導入に踏み切った。通常なら思いもつかないような自由な発想も、山田うどんの自由な社風から生まれているのだ。

種類!量!安心感!

山田うどんの特徴は大きく分けて3つ。メニューの豊富さ、料理のボリューム、店内の安心感だ。1つ目のメニューの豊富さ。現在、山田うどんは100種類以上ものメニューを取り揃えている。うどんだけではなく、ご飯物、ラーメン、パスタなど非常にバラエティに富んでいるほどだ。また日替わりセットメニューは3か月毎、期間限定新メニューは1か月毎に変わるというスピード感で常にお客様を飽きさせない。 2つ目のボリューム。通常の店ならセットメニューの場合、ご飯物1人前とうどん半分やうどん1人前とミニ丼のようになっているが、山田うどんは違う。山田うどんのセットメニューは両方共1人前分出てくるのだ。山田うどんではこれを『カロリーのK点越え』と呼び、この量の多さが働く男性から根強い支持を得ている所以だ。 3つ目の安心感。これが何よりの強みでもあるのではないだろうか。山田うどんの店舗で働くスタッフは9割が女性。女性ならではの温かく、柔らかい対応が店内にまるで家にいるかの様な雰囲気を醸し出し、お客様に安心感を与えている。山田うどんのお客様にリピートが多いのは、正に『帰ってくる』という感覚があるからなのだろう。お客様を飽きさせないメニュー、また帰って来たくなる雰囲気を持つ店。それが山田うどんだ。

長い歴史で培った基盤をもとに、【新生山田うどん】へ

『今まで培ってきた地場の知名度、信頼を守りながら、新しい山田うどんを創りたいです』と山田社長。山田うどんが出店する地域で育った人達に貢献していくことは大前提。今の路線を外さずに如何にして新しい路線を生み出すかということに山田社長は日々考えを巡らしている。今までは先代社長の、『既存のものを守る』という方針を遵守してきた。しかし、これからは本社採用も強化し、より新しい血を山田うどんに流し込み、新生山田うどんへの改革を進めていく。『まだ明確に申し上げることはできませんが、女性向けの企画であったり、他の企画も構想しています』と山田社長は熱を入れて語る。歴史があるからこそ、変わるための努力を惜しまず、山田者の帰ってくる場所だからこそ変わってはならない。山田うどんらしさを一層に磨きつつ、新たなチャレンジに挑戦をしていくのだ。
歴史はこの製粉工場から始まった
歴史はこの製粉工場から始まった
お客様に愛されるかかしくん
お客様に愛されるかかしくん
ガッツリメニューは働く男性の味方
ガッツリメニューは働く男性の味方

埼玉の雄。いざ、革新の時!

貴社の大切にする考え方を教えてください

当社は常に時代の先端を行くことを大切にしています。1966年にはチェーン展開を実施していましたし、その後フランチャイズ展開の為にアメリカへ視察へ行き、構想を具体化し1969年には本格的にチェーン展開を開始しました。 また、視察時に先代社長は某フライドチキン店の回転看板を見た時、相当な衝撃を受けたそうです。そこで、当時日本国内に無かった回転看板をアメリカから取り寄せて、当社のかかしくんの看板を回転させました。恐らく日本初の回転看板でしょう。常に新しいことに挑んできたからこそ、今もお客様に愛されているのだと考えます。先代以上に私も今までの日本に無いうどん屋を創るために走り続ける所存です。

山田社長が経営をする上での信条を教えてください

人に任せるということですね。一人ひとり出来ること、向いていることは違います。私自身も出来ることに注力して、出来ないことは社員に任せています。この考え方は先代の経営の仕方を見てきたからかも知れません。先代は自分で何でもやる人でした。ですが、私は1人で行う限界を感じていました。ですから、私は現場の管理は店長やエリアマネージャー、企画・宣伝は江橋など、さまざまな分野で特定の社員に任せるようにしています。テレビの取材の取り付けや企画の考案は彼の方が出来ますし、彼が取材を決めてきて、私は受けるだけという時もありますよ。任せる所は任せて、私は社員が普通に、自由に仕事が出来るように努めながら、会社を進化させることを考えればいいのです。社員あっての組織なのですから、今後とも大切にしていきたいですね。

今後、貴社が強化するポイントを教えて下さい

人の育成と採用ですね。日頃の作業を担う現場の人間の採用も勿論強化をしていきますが、リーダーシップがとれて、戦略を練ることが出来る『人財』をより多く育成・採用していくことが、今後の発展には不可欠になります。今後の山田うどんの新路線の確立に向けて、昨年3名程の本社採用を行い、営業のトップの入れ替えも行いました。新しい道への挑戦に向けての企画も構想中です。例えば、今後のうちの戦略をフルに生かしつつ実現していき、更に新たな企画を生み出すクリエイティブな発想、行動が出来る『人財』の数をもっと増やしていきたいです。加えて、既存社員の育成も更に進めていき、新しい山田うどんを支える基盤を確固たるものにしたいですね。
山田食品産業株式会社 営業企画部 部長 江橋丈広

愛し、愛されて成長する それが山田うどんです

山田食品産業株式会社 営業企画部 部長 江橋丈広

今回お話を伺った、江橋さんはメニュー開発、販促企画、宣伝を一手に担い、山田うどんの更なる発展の為に日々走り続けている。常にお客様は勿論、社員からの信頼を大切にして仕事をし続けてきたことにより、現在では社長は勿論のことお客様からも社員からも絶大な信頼を得ている。今、山田うどんの先陣を切り、牽引する人物の1人と言っても過言では無いだろう。その江橋さんは山田うどんをこよなく愛するファンの1人でもある。江橋さん自身、山田うどんを非常に愛しており、お客様からの山田うどんに対する想いを感じる度に、また江橋さんの山田うどんへの愛もまた日々高まっていくという。取材を通じて江橋さんの山田うどん愛を伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

山田うどんとの出会いに感謝

『この会社に出会えたことに感謝しています』と江橋さんは当時を振り返る。前職ではアパレル企業に勤め、結果を出し続けてきた江橋さんだったが、働くにつれ、不規則になる生活、背伸びをしている自分に違和感を感じていた。江橋さんは自分と家族のために時間を使いたいと次の企業を探す中、山田食品産業と出会った。入社の決め手は、昔から知っている温かく、優しい店舗の雰囲気。その印象が決め手となり、同社の蕎麦の製粉工場で勤務を始め、今年で15年目を迎え、現在は営業企画部の部長を務める。 働く中で、仕事の面白さや社風、社長の人柄に触れ、改めて山田うどんへの想いが高まっていった。『この会社だからこそ15年間働き続けていられると思います。大変な仕事もたくさんありましたが、一重に山田うどんへの想いのお陰で続いているのだと考えます』と語る江橋さんの言葉の節々には山田うどんへの想いが溢れていた。

面白いと思ったことを自由にやらせてもらえる

『自分が面白い、やりたいと思ったことを自由にやれることですかね』と笑いながら語る江橋さん。今まで、江橋さんはやりたいと思ったことはすぐに実行してきた。それができる土壌が山田うどんには整っているのだ。例えば江橋さんが、翌日のテレビの取材で、社長を動かすようなものを取り付けたいと申し出れば、二つ返事でことが動く。またメニューの新商品を考案中に、不意に『台湾まぜそばが食べたい!なんとか作れないか』と考え、同社の商品に使われてるひき肉を調理してうどんとまぜたところ、『これはイケる!』ということなり、構想から1週間と待たずに商品化された。やりたいと思ったことをこのスピード感で仕事ができる環境に江橋さんはやりがいを感じるそうだ。 『当社は面白い、やりたいと思ったら自由にやらせてくれるので、動き甲斐がありますね』山田うどんの環境を最大限に生かし、江橋さんは今日も仕事に臨む。

より多くの山田者を創りたい

『山田うどんを今まで以上に多くの方に知ってもらいたい、1人でも多くの山田者を創りたいんです。常にお客様に関心を持ってもらうためなら、何でもやりますね』と江橋さん。江橋さんは今まで以上に多くの方が山田うどんに興味を持ってもらい、1人でも多くの山田者を増やすために、誰よりも考えを巡らし、誰よりも走り回り、様々な取り組みを手がけている。例えば、テレビなどの取材は勿論のこと、芸能人やアーティストとのコラボなども積極的に進めている。平成25年の3月には『山田』の姓の繋がりで、若手実力派アーティストの吉田山田さんとコラボし、現在もその関係性を維持している。また、どんな入口でもいいので山田うどんに少しでも興味を持ってもらいたいとの思いで、LINEのスタンプを作成したりと、その努力に余念がない。 『山田うどんが多くの方に関心を持ってもらう為なら努力は惜しみません。私が少し頑張ればいいだけですから』と本当に楽しそうに江橋さんは語ってくださった。
コラボイベントも多数開催
コラボイベントも多数開催
江橋さん考案の坦々風まぜうどん
江橋さん考案の坦々風まぜうどん
「かかしくん」のLINEスタンプ
「かかしくん」のLINEスタンプ

お客様に愛されることで、 自分も山田うどんがより一層に好きになる

江橋さんにとって、山田者の方々はどのような存在ですか

当社の最大の強みだと考えています。当社は本当に様々な山田者の皆様に支えられております。例えば、ライターの北尾トロさんとコラムニストのえのきどいちろうさん。お二方は『山田うどんに若い頃お世話になった。今度は俺達が恩返しする番だ!』と言って当社の本を出版してくださり、またその本の中では直木賞作家の角田光代さんまでもが当社の短編小説を書いてくださったりもしました。ももいろクローバーZのマネージャーの川上アキラさんは、もともと当社でバイトをしていた経緯があり、ももクロのメンバーに当社名物のもつ煮込み『パンチ』を振舞ってくれていたんです。その後、縁合ってももクロのライブに出店させていただき、モノノフと呼ばれるファンの方々にも振る舞わせていただきました。例を挙げれば切りがありませんが、このような山田者の皆様の存在が山田うどんの強みですね。

江橋さんが山田者となった背景を教えてください

山田うどんのメニューが好きだということは勿論ですが、歴史に見る当社の先進性に非常に魅力を感じました。 店舗のデザインで見ても、昭和50年代の店舗のデザインは、現代のカフェかと思うようなスタイリッシュなデザインで、うどん屋とは思えない程に格好良いんです。また、現在では数は減りましたが、某ドーナツ店や某フライドチキン店に先駆けて1969年には本格的にフランチャイズ展開するというスピード感も非常に魅力に感じました。歴史を掘り起こせば掘り起こすほど魅力的なんです。でも一番は山田者の皆さんの存在です。私以上に熱く「山田うどん」を盛り上げてくれる、『山田うどんいいじゃん!』と背中を押してくれる皆さんと常に接しているので、私自身が自然と山田者になってしまったんだと思います。本当にありがたい話ですよね。

今後、江橋さんが特に力を入れていきたい取り組みを教えてください

大きな夢としては、今まで以上に多くの方に山田うどんを知っていただくことなので、そのために今までとは違う地域への出店を増やし、顧客の新規開拓をしたいです。現在は車で立ち寄れるように、埼玉を中心に関東圏の大通り沿い、郊外を中心に出店していますが、今後は駅近への出店も検討しています。サラリーマンや働く女性の方々にも当社の商品を召し上がっていただきたいので、よりアクセスの良い場所に出していきたいんです。そして駅近なら昼間は立ち食い、夜は立ち飲みという今までに無いスタイルでの提供も構想中です。昼間はがっつり食べて、夜はふらっと一杯飲んでいただくという様な形でどなたにでも楽しんでいただけるようにしたいです。山田うどんは働く全ての人々の憩いの場となりたいですね。

監修企業からのコメント

監修企業

私も埼玉出身なので、昔から山田うどんが大好きでしたし、多くの方に愛されていることは知っていましたが、北尾トロさんやももクロさんの話を聞いて、ここまで密に愛されているということに驚きました。ここまでお客様に支えられている企業はなかなか無いのではないかと考えます。ですが、改めて山田うどんの歴史、取り組みを山田社長と江橋さんからお聞きして、納得がいきました。いつまでも家庭的で人間味溢れる山田うどんらしさ守り続け、私を含め、多くの人々の心と胃袋を満たし続けて欲しいです。

掲載企業からのコメント

当社の良さと歴史を振り返る良い機会となりました。今まで当社を愛してくれている山田者、これから当社のことを好きになってくれるであろう未来の山田者の為に、伝統の味を守り、
社員一同進化を続けます。

掲載企業
山田食品産業株式会社
1935年 山田量輔が所沢市日吉町に手打ちうどん店を開業
1953年 有限会社山田製麺店を設立
1962年 かかしマークの商標登録を行う
1965年 所沢市金山町に山田うどん食堂を回転
1966年 株式会社山田食堂を創立 ドライブイン型うどん店を開店
1967年 山田うどんチェーン展開の開始
1969年 本格的にFC経営に乗り出す
1973年 カントリーラーメン誕生
1975年 ニューヨーク・マンハッタンにラーメン店「TARO」を出店
1980~1985年 麺とご飯物のセットメニューを販売開始 ガッツリ路線へ
2006年 山田裕通が代表取締役会長に就任し、
    山田裕朗が代表取締役社長に就任
2008年 山田裕通会長が「渋沢栄一賞」を受賞
2010年 山田裕通会長が「旭日小綬章賞」を受賞
創業年(設立年) 1935年(1953年)
事業内容 ・山田うどん/かかしのラーメン、チェーン店舗展開ならびに運営/管理 ・自社製品の直売ならびに通販事業 ・店舗設計ならびに施工 ・麺製品ならびに惣菜品の製造・卸
所在地 埼玉県所沢市上安松1032
資本金 1億円
従業員数 2,284名
会社URL

山田食品産業株式会社