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ダイナス製靴株式会社

「最高の履き心地」へ辿り着くために

ダイナス製靴株式会社 代表取締役 水野 まり子

東京都北区、閑静な住宅街の中に佇む工房。この場所で半世紀以上もの間、多くの「靴」が産声を上げた。靴の小売・卸業からその歴史をスタートさせたダイナス製靴は、製造業への進出、オリジナルブランドの販売、通信販売の開始など多くの挑戦をしてきた。1966年、「菊地商店」から「ダイナス製靴」へと社名を改めた同社。この社名には、「大を成す」、つまり靴作りに人生をかけた創業者の覚悟が込められている。今回は、四代目である水野まり子社長へ「挑戦の歴史」や「同社の独自性」についてお話を伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

「誠実」であることが、「最高の靴作り」を支える

同社の社風を「人に誠実、靴にも誠実」と、水野社長は表現した。特に、オーダーメイドの靴作りに「誠実さ」は欠かすことができないだろう。作りやすい靴、作りたい靴を職人が求めてしまっては、人々のニーズを満たすことはできない。「誠実」な社風が生まれた背景には、創業者である菊地武男氏の「人にやさしい靴を作りたい」という思いがある。同社には、外反母趾など、既成靴で痛い思いをした人も多く訪れる。だからこそ、「一人ひとりに寄り添った靴作り」を大切にしてきた。同社の、「お客様が納得するまで、何度でも作り直す」という靴作りへのこだわりは、まさに「誠実」という言葉が良く似合う。お客様の要望に真摯に対応し、より良い靴作りを追求していくこと。こうした「人にも、靴にも誠実」であることが、「最高の履き心地」の提供を可能にしているのだろう。

「木型」へのこだわり

「何よりも木型にこだわっている」と、話す水野社長。木型とは、履き心地やスタイルを決める「靴の型」のことであり、通常は、靴木型の専門店にベースの作成を依頼する。しかし、同社ではオリジナルの木型を、一から作成しているのだ。その理由は、同社が製造業へ進出した歴史に隠されている。実は、菊地武男氏の三女である水野社長。水野社長は幼い頃、外反母趾であった。この外反母趾をきっかけに、菊地氏は「足が痛くならない靴を作ろう」と、美術解剖学や人間工学を学び、足の骨の構造や関節、神経、筋肉、血管など日本人の足を徹底的に研究した。そうした努力の末に完成されたオリジナルの木型は、ダイナス製靴の靴を語る上で無くてはならない「財産」となる。現在では、この財産を生かした上で、CADと呼ばれるコンピュータでのシステム化が行われている。一貫した「木型」へのこだわりが、一人ひとりに合わせたサイズ展開を可能にしているのだ。

「試行錯誤」な挑戦が、未来を創る

水野社長は、「通信販売の場」も「お客様へ直接商品をお届けする場」も、どちらも大切にしていきたいと話す。近年、通信販売などインターネットを利用したショッピング利用者は、年々増加を続けている。しかし、サイズだけでなく足幅や甲の高さなど個人差の大きい「靴」は、通販での購入者はまだまだ少ない。「一人ひとりに合った靴を提供していきたい」という水野社長の思いがあるように、百貨店や専門店など、お客様のニーズに沿った「最高の一足」を提供できる場を大事にしていきたいと話す。更に、「若い人にも、もっとダイナス製靴の靴を届けていきたい」という思いもある。同社のブランドは「女性が生き生きと働ける靴」として、ビジネスシーンに重宝されている。だからこそ、働く女性世代へ更にアピールしていく必要があるのだ。「ネット通販も対面販売の場も大事にしたい」と話す水野社長の言葉には、「より多くの人に最高の履き心地を提供したい」という社長の思いが込められていた。
東京都北区にある本社
設計技術を駆使したコンフォートシューズ
全国の百貨店や専門店で購入可能だ

快適な靴ライフの追求

―創業者である菊地武男さんのことを教えてください

私の父である菊地武男は、「人にやさしい靴作り」を意識していました。元々、弊社は古靴の買取や靴の小売・卸業を行っていましたが、1966年に製造業に進出したのです。そのきっかけが、外反母趾であった私の足を見て「自分が与えた靴が原因で足を痛める人がいる」ことに気づかされたからだと言います。「女性が生き生きと歩くことができる靴を作りたい」、その思いで、父は美術解剖学や人間工学を学び、人体の足の構造の理解に努めました。オリジナルの木型を研究し続けた結果、日本初のシューフィッターとなり、人々に「快適」で「健康」な靴の提供を可能にしたのです。

―「社長」としての思いをお聞かせください

社長に就任をしてから、挑戦の連続でした。木型の作成を、CADというシステム化にしたのは私が代表になってからですね。以前までは、一人のお客様に対して、ヒールの高さや足の幅など何通りもの木型が必要でした。それを機械化したことにより、作業の効率化や生産数を伸ばすことに成功したのです。現在は、CADと手作業を混ぜて行うことで、どちらの良いところも生かしていけるようになりました。今後は、更にCADを活かして「靴作り」の生産性やお客様からの満足度を上げていかなくてはなりません。「ダイナス製靴」としての挑戦は、今後まだまだ続いていきます。

―今後の「靴作り」にかける思いを教えてください

弊社にしかできないことを、追求していきたいです。海外の工場で大量生産が行われている時代だからこそ、日本人の足に合わず、靴を履くたびに痛い思いをしている人は多くいると思います。外反母趾だけでなく、病気で足が変形してしまう人もいるでしょう。そうした「自分の足に合った靴を求めている人」に、弊社の靴を届けていきたいと考えています。そのためには、より多くの人に弊社のブランドを知っていただくことも大切ですし、靴を変えるだけで快適な歩行が可能となることを伝える活動も行う必要があります。「健康的な靴」を追求し続けることは、私たちの使命だと考えていますね。

先を見据えた靴作りによって、 「最高の履き心地」を追求し続ける

ダイナス製靴株式会社 課長 印南 修

今回お話を伺ったのは、現在、企画兼製造担当として働いている入社19年目の印南修さん。製造工程の設計や商品開発といった企画全般の仕事を行いながら、本社に併設された工場での製造も行っている。学生時代、イギリスの靴専門学校で学んだことを生かして「トラディショナル」なデザインの製造を得意としている。「快適な履き心地」と「ファッション性」。この両立の追求に勤しむ印南さんに、「靴作りへのこだわり」や「仕事をする上でのやりがい」など、様々なお話を伺った。

伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い

「靴作り」の新たな魅力を発見

「履き心地の追求」に興味をもち、同社に入社をした印南さん。入社前は、革靴の本場であるイギリスで、靴専門学校に通っていたという。学生時代、「自分の作りたい靴を、企画から完成まで自分の判断で行える」ことにやりがいを感じていた印南さんは、同社に入社してからの変化を次のように話す。「多くの人の協力があって、はじめて一足の靴が完成することに、やりがいを感じるようになった」。お客様のニーズを踏まえた上での商品企画から、製造、そして販売まで多くの人が携わる。そうした工程の中に、自身が携わったとき「新たな靴作りの楽しさや難しさ」に気付いたという。特に、同社では「人にやさしい靴」の提供を心掛けている。「快適」な履き心地でありながら、「ファッション」としても喜ばれる必要がある。その両立のために、試行錯誤を続けてきた「追求心」こそが、同社の魅力であると印南さんは語った。

喜びの声を、モチベーションに

「自分が設計した計画通りに、完成まで至ると嬉しいですね」と、印南さんは話す。デザイン修正や製造工程の設計といった企画段階から携わった商品が、お客様の元に届くのは、企画者としても製造者としても大きな達成感がある。ニーズを考えた上で靴作りを行っているからこそ、「お客様の喜び」は大きなやりがいへと変わる。実際に、お客様から「どこの既成靴も合わなかったけど、ダイナス製靴の靴だけは痛くない」といった声をいただくこともあるという。そうした喜びの声は、同社の高いリピート率へと繋がっている。オーダーメイドの靴であれば、通常は1~2回、多い時では6回作り直すこともある。体調による変化などに柔軟に対応をし、何度も試行錯誤を繰り返しながらお客様が求めるものに近づけていく。こうして完成された「靴」に、お客様が喜び、リピーターとして再来店をしてくれる。これは、一人の職人として何にも代えがたいやりがいである。

今ある環境を活かして

「工房とショールームが併設されている環境を、更に生かしていきたい」と、印南さんは語る。一般的に、製造者がエンドユーザーである一般のお客様の反応を直接見る機会は少ないだろう。しかし、同社には製造者とお客様を繋げる場が存在する。東京都北区にある本社には、「製造」の場である工場と「販売」のためのショールームが併設されているのだ。「仕上がったばかりの靴が、翌日の夕方には売れていることもある」と話すように、完成から販売までのスピード感も、この環境が生んだ同社の強みである。そのため、製造したばかりの靴の感想を、お客様から直接貰うこともできる。もしお客様からクレームがあったとしても、すぐに製造面で見直しを行うなどの対処が可能だ。こうした「意見がすぐに反映される環境」を生かして、更に「最高の靴作り」を追求していきたいと印南さんは笑顔で語った。
工房も併設されているショールーム
丁寧な作業が「最高の履き心地」を作る
木型へのこだわりが大きな特徴だ

「誠実」だからこそ出せる価値がある

―水野社長、菊地武男さんはそれぞれどのような方ですか

菊地武男は、私の祖父に当たるのですが、私が物心ついた頃から「THE 仕事人間」でしたね。24時間仕事モードといったように、「靴作り」に情熱を注いでいる人でした。水野社長は、そうした「靴作りに掛ける熱い思い」を引き継いでいると思います。その上で、CADと呼ばれるコンピュータを用いた製図システムを導入するなど、ダイナス製靴の靴作りに革新をもたらした人でもあります。このCADの導入によって、「木型にこだわる」といった弊社のポリシーを大事にしながらも、効率的な作業が可能となりました。「より多くの人に健康的な靴を届けたい」という水野社長の思いが込められている気がしますね。

―ダイナス製靴の良いところを教えてください

真面目で誠実な人が多いところです。時間を守る、期限を守るなど「当たり前」のことをしっかりとこなすことができる社員ばかりです。こうした社風には、水野社長や創業者である菊地武男の考え方が大きく影響していると思います。二人とも、「誠実であることが大事」だと常に私たちに言っていました。日々の教えがあるからこそ、「当たり前」のことを当たり前に行う文化が根付いているのでしょうね。もちろん、誠実さは靴を製造する上でも大切なことです。お客様がお金を払って我々の靴を求めている以上、誠実に靴作りと向き合うことは、当たり前でなくてはいけないのです。

―普段の仕事で特に意識をしていることを教えてください

「常に先を見て、行動すること」です。自分が企画や製造を行った商品が販売実績に結びつくためには、企画段階から「お客様のニーズ」を考える必要があります。「快適な歩行とは何か」や「どんなデザインが求められているのか」を考えられないと、せっかく長い時間を掛けて製造した商品でも売れない可能性が出てきます。人々に喜ばれる商品を作るためには、「客観性を持つこと」が重要です。自分を貫き通してこだわることも、もちろん大事ですが、お客様の動きを見ながら柔軟性を持って「靴作り」に携わることを、私は特に意識していますね。

監修企業からのコメント

この度は、取材をさせていただきましてありがとうございました。ダイナス製靴様の「靴作り」に掛ける情熱を、取材の中でお伺いすることができました。「人にも靴にも誠実」である社風や、工房とショールームが併設されている環境から「人にやさしい靴作り」を追求し続けてこられた歴史が伺えました。試行錯誤されてきた歴史があるからこそ、「ダイナス製靴の靴」というブランドが多くの人に愛され続けているのですね!

掲載企業からのコメント

この度、取材を通して改めて「創業者の思い」や「現在に至るまでの努力や挑戦」を振り返ることができました。また、弊社の「未来に向けて」という部分を見直すきっかけともなりました。今後も、代々受け継いできたものを大切にしながら、新たな挑戦をしていきたいと思います。

ダイナス製靴株式会社
1949年 菊地商店創業/靴小売・卸業を開始
1953年 上野松竹百貨店に靴小売店を出店
1963年 卸業を専業とする
1966年 ダイナス製靴へと社名変更/製造卸業へ進出
1973年 本社ビルを王子本町に設立
1979年 人間工学と美術解剖学の研究開始
1984年 木型付フルオーダーメイドシューズの販売開始
1985年 「菊地武男の靴」販売開始
1987年 「Pido-cur」販売開始
1989年 小売業再開 大手百貨店へ進出
1991年 大手通信会社にて通信販売開始
2006年 「菊地武男の靴」を刷新、「菊地の靴」発売開始
創業年(設立年) 1949年(1966年)
事業内容 婦人靴・紳士靴の製造および販売
所在地 東京都北区王子本町1-5-13
資本金 1億円
従業員数 50名
会社URL

ダイナス製靴株式会社