株式会社第一金属製作所 代表取締役 福田直貴
今回は「精密技術×挑戦企業」として高い品質を誇り、他ではできないモノづくりに挑戦してきた株式会社第一金属製作所を紹介する。同社は医療機器、産業機器、通信機において、意匠・設計・デザインから製造まで一貫したOEM生産において多くのメーカーから高い精度を評価されている企業だ。3代目となる現社長は技術者として一般入社し、17年のキャリアを経て、50周年を迎える同社の経営者となった。“オープンファクトリーの実現”を目指し、地域でも愛される企業づくりとともに社員と社員の家族への思いや取り組みを伺った。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
“凡事徹底”で会社を強くする
「社内でも社外でも頼まれたことを可能な限りノーと言わない文化があります。」と福田社長は語る。これは創業時から受け継がれた50年会社を支えている社風であり、“できない”とさえ言わなければ実力以上の技術やサービスが提供できるという。そんな同社を福田社長が経営を受け継いでから取り組んだことは、“チェックを厳しくする”ことだった。先代社長は広い視点で全体像をとらえ、お客様第一主義で事業を維持拡大したが、細かい点は現場任せの部分もあり、結果として不良の発生や突貫作業になることもあった。福田社長は社員のときから“自社が関わった以上は最高のものを届けよう”と考えていた。それは理想状態を描き、そのために決めたことを守る、やるといったらやる、これだけを徹底することだ。それは今まであいまいだったものを細かく追及することで、最初社員の反発もあった。しかし福田社長はここで妥協してはいけないと確信しブレなかったため、結果として不良の大幅削減とともに短納期対応を実現させた。“頼れるichikin”として
同社の強みは「精密技術×挑戦企業」と謳っているように、高水準の製品を他社ができないスピードで生産できる点だ。この背景には、社員の高い技術だけでなく、社員の団結や社外の幅広いネットワークがある。まず個の経験や知識が社内でスピーディに共有されるため、打ち合わせの段階で設計がイメージできているという点で、製造までの工数が少ない。そして業種・業界における繋がりが多いため特殊なケースでの対応をゼロから試すことなく効果的に進められる。この強みによって、板金精度公差がシビアな医療機器や産業機器で同社の技術が評価されている。また、こうした強みが業界の会合等で話題にあがり、紹介にもつながっているという。同社の“可能な限りノーと言わない”文化とともに、高品質・短納期の頼れる企業として確かな存在感を確立し東北から九州まで多くのメーカーに支持されている。
50年の歴史から次のステージへ
「技術者が“職人”として1人ひとり輝き、家族が誇れる会社を創りたい」と福田社長は語る。その1つとして2018年頃からオープンファクトリーの実現を掲げた。これは単に外観などの見た目を良くすることではなく、工場を公開し、見学や体験を通じて地域にモノづくりの価値を発信することで、地域のコミュニティや産業の成長に貢献していこうというものだ。社員の家族が誇れる会社になるために、地域の子どもたちへ工場見学など仕事を公開する取り組みは昔からやっていたが、新潟県燕三条の工場がオープンファクトリーとしてビジネス雑誌で紹介されているのを見た際に、具体的なイメージを持てたという。これまで自社の時間をかけて品質を高め、そして、2021年新たに生産性管理システムを導入し、いよいよ生産を拡大していく段階にいる。この新しい挑戦に向け、多能工化に向けた教育や現場課題を現場メンバーが解決できる体制づくりなど、福田社長は目標に対して技術畑の経営者らしい綿密なプランを持って、実践している。
1人ひとりの技術が高い品質を支える
組立まで一貫して行う医療用遠心分離機
活発な意見交換がされるミーティング
100年企業を目指し、新たな挑戦へ
福田社長が入社した当時の会社の雰囲気を教えてください
ベテラン社員が多く、「見て覚えろ!」といういわゆる日本の昔の町工場そのものでしたね(笑)。私はO型ですが性格は細かくて精密な作業には向いているのですが、1つの設備で一人前になるには2~3年かかるため、担当以外のことも覚えていかないと周りに追いつけない、と入社してから数年は現場に没頭していました。当時、技術教育が整っていたかと言われると自信がありませんが、前社長はとにかく絶対に「できないと言わない人」ですし、現場スタッフたちも良いものをつくるための意識が高かったのでお客様の難しい要求にも答えられるメンバーだったと思います。その点は今も受け継いでいるのではないでしょうか。社長になってから、取り組んだことは何ですか?
最初に進めたことは管理面ですね。皆技術もあり、お客様を大事にする姿勢を持っていましたが、個々の感覚で仕事を進める部分があり、「あれどうなった?」というと「●●の話があって、翌週にずらしました」など期日や決定したことが変わっていることがよくあったので、これは良くないな、と社長になってからは特に厳しくチェックするようにしました。ただし、それだけですと仕事の粗探しになるので、元々あった理念を再度、会社のビジョン、ミッションとして明確に示し、第一金属製作所がどこを目指すのか、を共有しました。そのうえで、現場の改善や新しい取り組みの必要性を理解してもらい社員全員に積極的に関わってもらう体制を作ってきました。一番顕著に表れた成果は不良の削減ですね。キチンと情報を示し、目的を伝えたことで現場の意識と行動が変化しました。新卒採用を始めたきっかけを教えてください。
会社は平均年齢が40代半ばですが、少しずつ若返っています。それは創業時のメンバーの世代交代が始まっているからですが、いよいよ社歴が50年という節目に来て、さらにこれから50年の歴史を作っていこうとすると、技術的な経験者だけでなく、向上心を持ってゼロから育っていく社員も必要と考えました。現場においてもさらに拠点や設備を増やし、生産性を高めていくためにも、多能工化が重要で、ようやく新卒の社員にキチンと教え、育てられる状態ができました。また、特徴としては当社は女性も多く、現場でも活躍しています。ブログでも紹介していますので、いろんな方が当社に興味を持ってもらえると嬉しいですね。先代の思いを受け継ぎ 社長を支えるパートナー
株式会社第一金属製作所 取締役副社長 福田真弓
今回お話を伺ったのは、第一金属製作所の副社長として経理や基幹業務全体を統括する福田真弓さんだ。前社長の次女として地元で育ち、業務(事務職)として入社。その後結婚出産で一時会社を離れたが、改めて経理として復職した。2019年に父である前社長の急逝により、副社長という立場で社長とともに会社を背負う立場となった。“経営”に関わるようになって、改めて父(前社長)の言っていたことがわかるようになったという福田真弓さん。本取材では、入社の経緯や同社でのキャリア、そして福田社長と二人三脚で会社の舵取りを行いながら同社の現状と目指す未来についてお聞きした。
伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
社員として、経営者として
福田真弓さんは都心の美容クリニックへ2年ほど勤め、その後、事務系の仕事を志望し父が経営する第一金属製作所へ入社した。 「当時のことを思えば、父から言われたことも甘く考えてた部分がありますね」と語る。そんな福田真弓さんが本気で会社の課題と向き合い、経営に関わるようになったのは、子育てを経て10年後、2度目の入社後だ。経理業務を自身が担当し、現福田社長が製造部門長から営業部門も管理し、後継者として事業承継の準備を始めたとき、まだ若かった父(前社長)が病気で急逝する。その直前まで病気で衰えながらも、会議にはすべて参加し、細かいことまで指示する様子を見て、“経営者”が持つ責任感と覚悟を知り、自分が会社と新しい社長を支えていくと強く決意した。「祖父(創業社長)が技術、そして父(前社長)が営業とマネジメントを強みとして、会社の歴史を作ってきました。50年という節目を経て第一金属製作所をより魅力ある企業にした!と胸を張って言えるようにしたいですね」と抱負を語った。イキイキと仕事ができる環境づくり
「会社を良くしよう、もっと働きやすい環境をつくろう」と語り、社員がイキイキと仕事ができることが福田真弓さんのやりがいだという。そして自身の役割の1つは部門間の連携や仕事がスムーズに流れる基盤づくりだと考えている。個人のスキルや仕事の状況が共有できればもっと効率が上がる。ミスや不良も削減できる。そのために必要なリーダーや委員会の設置、社内の電子化など必要な改善を図るとともに、皆で決めたことやルールについては厳しくした。会社全体が良くなるために「嫌われても言わなければいけないことは、きちんと伝えるようにしました」と語る。もう1つは、社員同士のコミュニケーションを増やすために社員の表彰や会社説明会などのイベントの実施やSNSの活用に取り組んでいる。社員の頑張りや魅力を全体で共有することで、お互いの理解を深めチームワークを高めていく。先日「オープンファクトリーの見学ツアーの話をしたら、皆『ぜひ行きたいです!』と言ってくれて、会社の行事に参加したいと思ってもらえるのは嬉しいですね」と付け加えた。ミッションを実践すれば必ず実現できる
前社長のときから毎年方針や目標は設定していたが、その計画が現実離れした理想となり、修正する状況が続いていたという。高い目標を立てても実現性がないものだと社員が無関心になってしまう。そこで従来の経営理念のもと、新しいビジョン・ミッション・バリューを設定し、目標や計画に対する実行の振り返りも実施した。そのミッションの一つが不良削減だ。対策委員会を設置し不良品削減目標を掲げ、定期的なチェックと発生に対する検証したことで、目に見えて結果が表れた。こうして作業品質が良くなれば生産量も上がり、業務効率も良くなる。さらに現場のメンバーの意識が変わる。ミッションを実践することでビジョンに近づく、という実感が持てた事例だ。 時代はどんどん変化していき技術も進歩する。「変化を起こすことは難しいがついていくことはできる、変化に対応することが重要」と語るように、今までと違うことを受け入れられない人も多いが、それを乗り越えると大きな成長がある、と福田真弓さんは信じている。そして「その思いを現場でリーダーが発信することで、会社全体が変わっていく」と、付け加えた。
女性の活躍の場が多いのもICHIKINの特徴
創業時に活躍した設備
地元企業として環境美化活動の全員が行う
パートナーとして社長を、会社を支え続ける
福田真弓さんから見た社長はどんな人ですか?
技術者としては“0.00何ミリ単位の精度”が求められる世界で勝負する大ベテランですね。もともと第一金属製作所は「技術+対応」を強みとしてるので、難しい依頼でも、できないと言わず受けるという雰囲気があるのですが、社長はその点、特に妥協しないですね。そのように、こだわりも強かったので30歳前から部門を任されていました。自分の考えをしっかり持っていて、コツコツと時間をかけて着実に成果を上げる、という感じでしょうか。弱音を吐かず言い訳を一切しない人ですね。一方で何を考えているか見えにくい部分もあり、もっとオープンに発信した方がよいと思うこともあります。特に父(前社長)が亡くなり、事業承継にあたっては本音では「これからどうしようか?」など不安もたくさんあったと思います。その時は、父の代からつながりのある顧問社労士の支えもあり乗り越えました。そして社員にこれからの会社をイメージしてもらうために“3か年計画”を共有することで、社長が考える方向性もはっきり示せたと思います。これからは各部門の責任者を育てていき、こだわりや考えを発信できる環境を整えていきたいですね。社長交代によって変化したことはなんですか
オープンファクトリーの実現!という具体的な方針を示したことです。いい会社にしたい、とか働きやすい会社を創ろう、などと社長と二人で話すことは多いのですが、目指す姿や状態をはっきり示すことも重要だと思い、魅力ある製造業をビジネス雑誌で調べ、自分たちのイメージも明確になりました。こうして目標を持つと、今の課題が見えてきて、改善することを前向きに取り組めるようになります。例えば25年のベテラン社員がいますが、目的が伝わればこういった新しい取り組みにも協力してくれます。あとは…、変化というか最近、改めて亡くなった父(前社長)が当時、「ああしろ、こうしろ!」言っていたことが、ようやく今になってわかりました。これは私が父の働く姿を見ていたからこそ、理解できたのだと思います。オープンファクトリーを通じて社員が頑張っている姿を家族に伝えたい、というのはそういった思いもありますね。地域に密着した活動について教えてください
事業の拡張などを考えると他の地域への展開も考えていかなければいけないのですが、創業からずっとこの地域で活動してきたので、やはり思い入れはあります。ただ地域貢献という考え方よりは、社員が働く姿を社員の家族や近隣の方に見てほしい、ichikin(第一金属製作所の愛称)のことを知ってほしい、という考えの方が強いですね。そういった考えから地域の方に会社を身近に感じてほしく、小学生の工場見学を10年くらい続けています。皆とても興味を持って参加し、必ずあとで丁寧な感想を送ってくれるのですが、それを見るのがとても楽しいです。社員のモチベーションにもつながりますね。あとは、地域の清掃や廃品回収なども長く続けています。私たちが地元で長く仕事ができるこということは、やはり地域の方とのつながりがあってこそなので、これからもいろんな企画を考え、地域や社会との関わりを大事にしていきたいと思います。株式会社第一金属製作所
1970年(昭和45年) 埼玉県大宮市に於いて有限会社第一金属製作所を設立。
板金加工業務を開始する。
1981年(昭和56年) NCTタレットパンチプレス1号機を導入。
1986年(昭和61年) 有限会社を株式会社第一金属製作所と改める。
1988年(昭和63年) タレットパンチプレス2号機を導入。
1990年(平成2年) 工場拡大及び新事業所建設。
1991年(平成3年) レーザー加工機導入。
1997年(平成9年) ASIS100ネットワークシステム導入。
大宮市峰岸に資材センターを建設。物流部門を同所へ移転。
1998年(平成10年) CNC三次元測定機導入。 BRT-A504
1999年(平成11年) パンチ・レーザー複合加工機導入。
2001年(平成13年) ISO14001環境マネジメントシステム認証取得。
彩の国工場指定を受ける。
2005年(平成17年) 生産管理システム導入。
2007年(平成19年) 中小企業の新たな事業活動の促進に関する法律等の9条第1項の規定に基づき、埼玉県知事より承認を受け、経営革新計画承認企業となる。
2008年(平成20年) ISO9001品質マネジメントシステム認証取得。新社屋完成。パンチレーザー複合加工機 アマダEML-3510NT導入決定。棚付素材供給製品搬出システムASR-48M導入高精度ベンダー加工機HDS5020NT導入
2012年(平成24年) 中国ビジネス事業 本格スタート(合併会社 奉櫻精工)ベンダー加工機FMBⅡ3613導入 さいたま市CSRチャレンジ企業認証取得
2013年(平成25年) YAGレーザ溶接機YLM-500PⅡ導入
2016年(平成28年) バリ取り機 メタルエステ ME-2307導入
2016年(平成28年) 高精度ベンディングマシンEG6013、2台導入
2020年(令和2年) CNC三次元測定機導入 CRYSTA-Apex V544
2020年(令和2年) 生産管理システム導入 APC21 Ver8. 10D
2020年(令和2年) 不良対策委員会始動
板金加工業務を開始する。
1981年(昭和56年) NCTタレットパンチプレス1号機を導入。
1986年(昭和61年) 有限会社を株式会社第一金属製作所と改める。
1988年(昭和63年) タレットパンチプレス2号機を導入。
1990年(平成2年) 工場拡大及び新事業所建設。
1991年(平成3年) レーザー加工機導入。
1997年(平成9年) ASIS100ネットワークシステム導入。
大宮市峰岸に資材センターを建設。物流部門を同所へ移転。
1998年(平成10年) CNC三次元測定機導入。 BRT-A504
1999年(平成11年) パンチ・レーザー複合加工機導入。
2001年(平成13年) ISO14001環境マネジメントシステム認証取得。
彩の国工場指定を受ける。
2005年(平成17年) 生産管理システム導入。
2007年(平成19年) 中小企業の新たな事業活動の促進に関する法律等の9条第1項の規定に基づき、埼玉県知事より承認を受け、経営革新計画承認企業となる。
2008年(平成20年) ISO9001品質マネジメントシステム認証取得。新社屋完成。パンチレーザー複合加工機 アマダEML-3510NT導入決定。棚付素材供給製品搬出システムASR-48M導入高精度ベンダー加工機HDS5020NT導入
2012年(平成24年) 中国ビジネス事業 本格スタート(合併会社 奉櫻精工)ベンダー加工機FMBⅡ3613導入 さいたま市CSRチャレンジ企業認証取得
2013年(平成25年) YAGレーザ溶接機YLM-500PⅡ導入
2016年(平成28年) バリ取り機 メタルエステ ME-2307導入
2016年(平成28年) 高精度ベンディングマシンEG6013、2台導入
2020年(令和2年) CNC三次元測定機導入 CRYSTA-Apex V544
2020年(令和2年) 生産管理システム導入 APC21 Ver8. 10D
2020年(令和2年) 不良対策委員会始動
創業年(設立年) | 1970年4月 |
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事業内容 | ・精密板金加工 ・レーザー加工 ・金属プレス金型製作 ・金属プレス部品加工 ・各種試作製作 |
所在地 | 本社工場:埼玉県さいたま市西区指扇374番地 電話:048-624-2873 FAX:048-623-6165 資材センター:埼玉県さいたま市西区峰岸73-1番地 電話:048-625-7788 FAX:048-620-1652 |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 30名 |
会社URL |
監修企業からのコメント
この度は、取材のご協力をいただき誠にありがとうございました。
現在の取り組みや会社の未来について興味深い内容がたくさんありました。
福田社長が3代目トップとして、これからの時代に合わせた会社づくりをどのように成果を上げていくか、とても楽しみです。
掲載企業からのコメント
取材を通じて気づいたこと、もっと良くできることも再発見できました。50年の節目を迎え、次は100年企業を目指し時代にあった会社づくりをしていきます。今後の第一金属製作所の活動に関心を持っていただけると嬉しいです。