本質的なものづくり。
株式会社ツジ・キカイ 代表取締役社長 山根 証
日本を代表する歌謡曲「東京ブギウギ」が世に広まった1948年。戦後の高度経済成長期の中、アメリカ好きの一人の男が海外の食文化を伝えようと会社を興した。それがツジ・キカイである。現在では、石窯メーカーとして確固たる地位を築いた同社であるが、その背景には先代社長たちの「ものごとの本質を伝えたい」という想いが引き継がれている。その歴史を経て、運命的な出会いが重なり、2003年に同社の3代目社長に就任したのが、山根代表である。現在では本場イタリア・ナポリのシェフが認めるナポリピッツァ用石窯メーカーとしての地位を確立した山根代表に、会社の歴史と製品に対する想いを聞いた。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
受け継がれる「本質」を追求する心
「義父である2代目の辻眞須彦社長は”本質”という言葉をよく使っていました」と山根代表。先代から受け継いだ”本質を追求する姿勢”は製品づくりにも生きている。例えば、パンのオーブンの開発においては、パンの本質を考える。本質的に美味しいパンとは、材料がシンプルであり、熟成によって複雑な味わいを引き出すもの。料理を引き立てる脇役であること。そして、焼くことの本質も考える。美味しく焼くとはどういうことなのか。どのように焼くことが理想なのか。また、ナポリピッツァ用石窯にも”本質を追求する姿勢”が見てとれる。現在では、現地イタリアのナポリピッツァ職人が認めるほどの石窯メーカーとして成長した背景には、山根代表が現地ナポリで食べた経験があった。当時、食べたナポリピッツァの味に感動し、ナポリピッツァを多くの人に知ってもらおうと心に決める。美味しいナポリピッツァの本質は何か、それを追求し続けた結果、石の開発や熟成庫の提案にたどり着いた。先代から受け継がれる”本質を追求する姿勢”。これが同社には根付いている。簡単にはつくれない石窯
「理想の石窯は簡単にはつくれないんですよ」と山根代表。独自に石窯を開発した背景には、2つの苦労があった。1つは、割れない石の開発である。石は熱すると膨張して割れてしまう。熱膨張しない特殊な石の開発が必要だった。2つ目は、金型の開発である。従来の石窯の石は、経年劣化や継ぎ目から変形が生じる。それをなくし、長持ちする石にするためには、一切の切れ目のない一体成形された石が必要であり、それを可能にする特殊な金型の開発が必要だったのだ。2つの苦労を乗り越えて開発した石窯は、他社に真似できない製品となり、ナポリピッツァ、パン、スイーツの店舗で愛用されている。「自分が納得できるものをつくりたいんです」と話す山根代表。納得できるまで開発努力をした結果、他社には真似できないクオリティーの石窯が完成したのだ。今後、ナポリピッツァが広まっていくと同じくして、同社の石窯が全国のナポリピッツァ職人のもとで活躍していくことは間違いない。ナポリピッツァをもっともっと広めたい
「ナポリピッツァの本来の価値を広めるために、常にチャレンジしたいですね」山根代表は、輝く眼差しでそう語ってくれた。現在、ナポリピッツァ用石窯を手がける同社であるが、今後は、生地を練るミキサーなどの分野にも進出していきたいと考えている。また、山根代表は製品づくりだけでなく、ナポリピッツァの普及活動にも力を入れている。例えば、ナポリピッツァ職人との対談やセミナーの開催。さらには、ナポリピッツァ職人選手権の開催など。「会う人会う人にナポリピッツァの魅力を伝えているんです」と語ってくれる言葉の背景には、ナポリピッツァをこよなく愛する心とナポリピッツァを世に広めるという使命感に溢れている。同社が手がけるナポリピッツァ用石窯を使う飲食店が増えることが、ナポリピッツァの普及にもつながっていく。今後、ナポリピッツァが日本のポピュラーフードになる日もそう遠くないのではないだろうか。
電気式ナポリピッツァ用石窯「eNAPOLI 500」
ナポリピッツァ職人世界チャンピオンとも親交が深い
内部の一体6面成形された石
ナポリピッツァを愛する男
大切にしている考え方を教えてください
限られた人生の中でいかに多くの"感動体験"をするかが大切だと考えています。これは自分の幸せと魅力につながる大切なテーマです。そのためには何よりもまず行動を起こすことが大切です。また、物事を最初から否定するのではなく、受け入れることも大切です。新たな考え方を受け入れることで、後の感動につながったり、生き方に大きな影響を与えると考えています。感動したことを、自分の仕事やライフスタイルの中に組み込んでいく。そうすると、やりがいを得ることができ、楽しくなってやる気が増していきます。その結果、魅力的な人間になっていけるのだと思います。ツジキカイとの出会いを教えてください
自分自身1996年~1998年、ミラノ駐在時にピッツァを食べていましたが、2000年に初めて訪れたナポリで食べたピッツァの美味しさとその違いに大変、驚きました。ナポリピッツァのシンプルな生地の美味しさに感動しました。言わば、アメリカのピザとは対極にあるもので、低カロリーかつヘルシー、短時間焼成、低価格。本来、日本で言うとお母さんが握ってくれるおむすびだったり、駅構内で簡単に食べられるかけ蕎麦のような気軽な食べ物。当社が開発した電気式ナポリピッツァ用石窯によって、ナポリピッツァはより身近になると思いますし、日常食になると思うんです。実際に、一日1000枚以上のナポリピッツァを焼き上げ、提供しているお店も登場しています。づくりのコツは
事なことはプロの職人の意見を聞くことです。これによって本物とは何かに近づいていきます。そして、職人たちと想いを共有することで、たくさんの製品が新しく生まれています。例えば、ナポリピッツァ用の石窯の場合、ナポリで伝統的に使われてきた薪窯でないと、理想のナポリピッツァは焼けないと思われてきました。薪の匂いが美味しさに必要だと思われていたりもします。しかし、実際に重要なのは、石の蓄熱性と石の熱の質の高さであり、熱源ではないのです。つまり薪かガスか電気かが重要なのではなく、石からの熱で小麦粉から成る生地を香ばしく焼くことなのです。薪の匂いはむしろ邪魔で、小麦粉の香ばしい香りが美味しさにおいて最重要です。火で炙るのではなく、石からの熱で生地が万遍なくバランス良く焼けていることです。それらは、熟練のピッツァ職人たちが教えてくれたことです。実際、当社の電気式石窯で焼いたピッツァをプロの職人が絶賛してくれています。「人」と「人」を つなぐ存在として
株式会社ツジ・キカイ 営業戦略部部長 井上 暁彦
少数精鋭の機械メーカーである株式会社ツジ・キカイと運命的な出会いを果たし、入社に至った井上さんにお話を伺った。武蔵野音楽大学を卒業する前からプロとして音楽活動をし、その後は楽譜やCD等のメディアの製作、金融関係の仕事を渡り歩いてきた。実は、同社に入社する前から、先代の辻眞須彦社長とは縁があった。自身が所属するバンドのメンバーに辻社長の後輩がいたのだ。運命に引き寄せられるように入社してからは、お客様の声に耳を傾け、お客様にとって必要な人を結びつ付けていくという独自の営業手法で、数多くの方々の心を掴み、信頼される存在となった。今回は、井上さんの入社に至った思いや今後の展望等を存分にお話していただいた。伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い
運命的な出会いに引き寄せられて
運命的な出会いから、井上さんのツジ・キカイでの社会人生活は始まった。元々、音楽関連、金融関連の仕事をしていたが、自身の都合により、新しい職場を川越で探していた。当時、井上さんは履歴書を送った際に社長が出張に出てしまっていたため、なかなか連絡が来なかったという。意を決して井上さんが電話をし山根社長と会うことになったのが、運命の始まりだった。入社を決めたきっかけは山根社長との面接。面接と言うと一般的には30分、長くても1時間くらいだろう。しかし、山根社長と井上さんの面接は4時間にも及んだ。その時間で仕事の話はもちろん、人生観や音楽の話など、お互いに描いている夢や思いを語り合い、「ここで働くのも人生として面白いかもしれないと思った」と面接時を振り返り、その時、感じた印象を笑いながら語ってくれた。 同じ方向を向いて、同じ夢を見ることのできる2人が、音楽を通じて出会った、まさに運命の瞬間である。人に喜んでもらえる仕事の面白さ
「ユーザーが喜んでいる姿を見ることや、感謝してもらえることが大きなやりがいですね」井上さんはそう話してくれた。前職では、ユーザーの反応を直接感じたり、深い人間関係を築けなかったという。今では、井上さんがツジ・キカイ製品を販売した飲食店やベーカリー、菓子店などが日本全国に数多く存在し、その店舗のオーナーやスタッフの方々と信頼関係を構築し、「友人」として慕われている。店舗の計画から相談に乗り、立ち上げ時のサポートやどんな些細な悩みにも耳を傾ける気配りや配慮があったからこそ深い人間関係を築くに至ったのだ。井上さんは自らの仕事を「あったかい仕事」と表現している。どのお客様にも感謝され、「ありがとう」の一言をもらえることが嬉しさや楽しさであり、今後も多くのお客様にとって、頼りになる存在である井上さんは「あったかい仕事」を続け、多くのユーザーに感謝される存在として活躍を続けていくであろう。可能性のある限り挑戦を続ける
今後は、今あるパン・洋菓子・ナポリピッツァの製品の販売を行いながら、他の会社では取り組まないことに挑戦していく。機械メーカーの枠を超えて、「人」と「人」とをつなぐ、そんな挑戦を考えているのだ。そのような挑戦ができるのは、同社が世界でも最高峰のパン、洋菓子、ナポリピッツァの職人たちと共に事業を推し進め、質の高さで感動を与えているからこそ多くの可能性を秘め、挑戦が出来る環境にあるからだ。井上さんはこの仕事を始めてから、多くの人と出会い、多くの人をつなげてきた。印象的なエピソードとして、日本のスーパーシェフに数えられるある方との話だ。それは、そのシェフがフランスで修行中に共に修行に励んでいた方と井上さんがたまたま出会い、長い間交流の無かった2者が井上さんが介在したことによって”つなぐ”ことの一躍を担ったというエピソードである。 そのエピソードのように、機械メーカーの営業という枠を超え、人と人をつなぐ。そんな挑戦がツジ・キカイの未来を創りだしていくのだ。
ジ・キカイ 大阪堂島ラボ
東京ビッグサイトでの展示会ブース
スイーツの世界大会でフランス、リヨンへ
ツジ・キカイの今後を担う井上さんの考え方
ツジ・キカイの良さを教えてください
社員が20数名しかいないところが良さだと思います。現在行っている事業は少数ですが、とても大きなスケールの仕事なので、一人ひとりに対する大きな期待があり、それが社員全員の仕事に対する充実感にもつながっていると一緒に働いていて感じます。人数が少ない分、各人が大きな歯車として、会社全体が前に動いていることがわかる環境でもあります。もちろん一人ひとりに対する負荷はどうしても大きくなってしまいますが、その一人ひとりが大きな夢を抱き、責任を持って、他社とは違うことをやろうという意識が大きいところも良さであり、会社の発展の一躍を担っていると思います。
仕事に対する考え方を教えてください
私は仕事なのかプライベートなのか分けられないくらい楽しんで仕事をしています。機械メーカーの営業は、機械についての話は最低限必要ですけども、結局どこで相手の役に立てるかを考えることが重要だと考えています。その為、押し売りやお願いしますと頭を下げるような営業はしないですし、したくもないと思っています。相手に対して気遣いや配慮をして、本当に相手が成し遂げたいことに対して、役に立っていきたいですし、機械はそのためのツールだと思っています。これからも、人の役に立ち、人と人をつないでいくことを楽しみながら仕事をしていければと考えています。今後1年で挑戦してみたい事を教えてください
この1年では、クリエイティブな新しいことにどんどん挑戦していきたいですね。今考えていて、具体的にあるものは、某イタリアのビッグ企業とコラボレーションをしていければいいなと思っています。まだ、始まってもいないもので、人の伝手があるわけでもないのでどうなるかわからないですけども、挑戦して必ず形にしたいと思っています。失敗したとしても失うものはないので、前向きに挑戦していきます。この会社なら機械メーカーの枠を飛び越えて「つないでいく」というところに私自身、とても凄く可能性が広がっていると感じています。
株式会社ツジ・キカイ
1948年 (株)辻・商会設立、製菓機械の販売開始
1959年 自動ドーナッツ製造機販売開始
1962年 大阪出張所開設
1967年 (株)ツジ・キカイに商号変更
1968年 ユニオートフライヤーを開発、全国ベーカリー大工場へ納入開始
1969年 辻 眞須彦が社長に就任、同年川口工場完成
1970年 フードサービス機器の製造販売を開始
1971年 日清食品ロスアンゼルス工場にカップヌードル生産ライン納入
1973年 日清食品国内各工場にカップヌードル生産設備を納入
フライングラインとフードサービス機器のパイオニアとして、
FRiMAX(フライマックス)のブランドを確立
1980年 川越工業団地に新工場(現 本社)完成
1983年 フランス・セプコ社と輸入総代理店契約締結
続いてフランスメーカー各社との契約を進め、フランスパン製造器
の輸入・販売を開始
1986年 フランス・CARIF社と製パン改良剤の技術提携を契約
1991年 全日本パン共同組合連合会の委託により、ドウコンディ ショナー「レポス」を
開発、全国のベーカリーに販売
1992年 製パン法の革新的新製法(即焼き製法:Ready to Bake)に対応した、
全自動コンベクションオーブン「ベイキー」を開発、販売開始
1993年 大型フライングライン部門を分社、(株)フライテクノ独立
1997年 ドウコンディショナー「レポス3」を発売
高性能スチームコンベクションオーブン「ベイキープロ」発売
1999年 高性能2室別制御型ドウコンディショナー
「ツインレポス ・プロ」発売
2003年 山根 証が社長に就任、石窯の独自開発&純国産メーカーとして
新たなスタート
2004年 小型製パン用石窯「クラシカ」を純国産品として開発、発売
2005年 石窯デッキオーブン「平窯王」、ナポリピッツァ用石窯
「クラシカ・ナポリ」を開発、販売開始し、純国産自社
開発石窯3機種が揃う
2006年 萩原俊夫パティシエをアドヴァイザーに迎え、石窯デッキオーブン
「平窯王」を活用した、 “石窯パティスリー”の提案開始
洋菓子の品質向上を訴求。洋菓子業界に新風を吹き込む
2008年 石窯パティスリーオーブン「エレガンス」、小型ナポリピッツァ用石窯
「クラシカ・ナポリロッサ」を発売
2009年 究極のパン・菓子用石窯「クラシカ・ポンペイ」を開発、発売
『プレミアム・オーブン』ブランドの確立
パティスリー(ブラスト)チラー「パティ」を開発、発売
2010年 電気式ナポリピッツァ用石窯「イーナポリ500」革命的デビュー、
ナポリピッツァ市場拡大へ
パティスリー(ブラスト)チラー 業界初2室別制御モデル
「ツインパティ」を開発、発売
2011年 高断熱デッキオーブン(High Ins-Tech Oven)「フォルノ」発売
2012年 電気式ナポリピッツァ用石窯に2枚焼きモデル登場
「イーナポリ ピッツァイォーロ」発売
ますますナポリピッツァの素晴らしさを伝え広める
2013年 小型ドーナッツフライヤー「フライスマート」発売
オイルフィルターとの一体型も可能な新設計、揚げたてを促進
2014年 1月27日に大阪支店を移転、堂島ラボを開設
2015年 新型スチームコンベクションオーブン「ベイキープロ」<BX-5>発売、
大幅に進化してデビュー
ガス式ナポリピッツァ用石窯の最上位機種
「クラシカ・ナポリ クオーレ」と当社初の薪窯
「ヴェスヴィアーナ」同時発売
1959年 自動ドーナッツ製造機販売開始
1962年 大阪出張所開設
1967年 (株)ツジ・キカイに商号変更
1968年 ユニオートフライヤーを開発、全国ベーカリー大工場へ納入開始
1969年 辻 眞須彦が社長に就任、同年川口工場完成
1970年 フードサービス機器の製造販売を開始
1971年 日清食品ロスアンゼルス工場にカップヌードル生産ライン納入
1973年 日清食品国内各工場にカップヌードル生産設備を納入
フライングラインとフードサービス機器のパイオニアとして、
FRiMAX(フライマックス)のブランドを確立
1980年 川越工業団地に新工場(現 本社)完成
1983年 フランス・セプコ社と輸入総代理店契約締結
続いてフランスメーカー各社との契約を進め、フランスパン製造器
の輸入・販売を開始
1986年 フランス・CARIF社と製パン改良剤の技術提携を契約
1991年 全日本パン共同組合連合会の委託により、ドウコンディ ショナー「レポス」を
開発、全国のベーカリーに販売
1992年 製パン法の革新的新製法(即焼き製法:Ready to Bake)に対応した、
全自動コンベクションオーブン「ベイキー」を開発、販売開始
1993年 大型フライングライン部門を分社、(株)フライテクノ独立
1997年 ドウコンディショナー「レポス3」を発売
高性能スチームコンベクションオーブン「ベイキープロ」発売
1999年 高性能2室別制御型ドウコンディショナー
「ツインレポス ・プロ」発売
2003年 山根 証が社長に就任、石窯の独自開発&純国産メーカーとして
新たなスタート
2004年 小型製パン用石窯「クラシカ」を純国産品として開発、発売
2005年 石窯デッキオーブン「平窯王」、ナポリピッツァ用石窯
「クラシカ・ナポリ」を開発、販売開始し、純国産自社
開発石窯3機種が揃う
2006年 萩原俊夫パティシエをアドヴァイザーに迎え、石窯デッキオーブン
「平窯王」を活用した、 “石窯パティスリー”の提案開始
洋菓子の品質向上を訴求。洋菓子業界に新風を吹き込む
2008年 石窯パティスリーオーブン「エレガンス」、小型ナポリピッツァ用石窯
「クラシカ・ナポリロッサ」を発売
2009年 究極のパン・菓子用石窯「クラシカ・ポンペイ」を開発、発売
『プレミアム・オーブン』ブランドの確立
パティスリー(ブラスト)チラー「パティ」を開発、発売
2010年 電気式ナポリピッツァ用石窯「イーナポリ500」革命的デビュー、
ナポリピッツァ市場拡大へ
パティスリー(ブラスト)チラー 業界初2室別制御モデル
「ツインパティ」を開発、発売
2011年 高断熱デッキオーブン(High Ins-Tech Oven)「フォルノ」発売
2012年 電気式ナポリピッツァ用石窯に2枚焼きモデル登場
「イーナポリ ピッツァイォーロ」発売
ますますナポリピッツァの素晴らしさを伝え広める
2013年 小型ドーナッツフライヤー「フライスマート」発売
オイルフィルターとの一体型も可能な新設計、揚げたてを促進
2014年 1月27日に大阪支店を移転、堂島ラボを開設
2015年 新型スチームコンベクションオーブン「ベイキープロ」<BX-5>発売、
大幅に進化してデビュー
ガス式ナポリピッツァ用石窯の最上位機種
「クラシカ・ナポリ クオーレ」と当社初の薪窯
「ヴェスヴィアーナ」同時発売
創業年(設立年) | 1948年 |
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事業内容 | 食品(パン・菓子)の新製法の企画・開発 製菓製パン機械・フードサービス機器の企画・開発・製造・販売 製パン製菓技術指導 ピッツァ関連機器の開発・製造・販売 上記にかかわる機器の輸入及び販売 上記各項に付帯する一切の業務 |
所在地 | 埼玉県川越市芳野台1-103-11 |
資本金 | 1,466万円 |
従業員数 | 26名 |
会社URL |
監修企業からのコメント
今回、山根社長にお話しをお伺いさせていただきまして、山根社長のナポリピッツアに対する熱い思いをお伺いすることが出来ました。世間一般で知られているピザと健康に良くて、おいしいナポリピッツアの違い、またそこに目を付けた経緯などを詳しくお話していただきまして、非常に理解が進みました。今後、ナポリピッツアが一般的に流行することが楽しみです。ありがとうございました。
掲載企業からのコメント
今回の取材を通して、改めて弊社の歴史や展望について考える良い機会となりました。多くの職人の方々に力を貸してもらいながら、ここまでの製品が作れていると感じています。今後も、世界の職人をあっと言わせるような製品を作っていくことに挑戦していきます。