「変わり続ける」ことで、業界NO.1へ
東日興産株式会社 代表取締役 鶴岡 耕平
1957年に自動車部品の製造・卸販売業として産声を上げた東日興産。創業から4年後に現在の主軸事業である建設機械部品の取り扱いを開始。現在でも建設機械部品を専門的に取り扱う商社は全国で数社しかないという。以来約60年間、商社としてこの業界そのものを作ってきたと言っても過言ではない。建設機械部品を理解する上で、建設工事の現場を想像してほしい。一般乗用車二台程の大きさで、キャタピラで運行するショベルカーが道路や工事現場を掘削整地している、そんな光景を見たことはないだろうか。一例ではあるが、そのショベルカーが建設機械と呼ばれる。その部品を専門的に扱っているのが同社。近年では農業機械部品の取り扱いや海外進出等、進化を続ける同社の舵取り役、4代目代表の鶴岡社長よりお話を伺った。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
意見を言いやすい文化を構築
「意見を言いやすい」、鶴岡社長は同社の社風をそう表現する。この社風が築かれた背景には、鶴岡社長自身が行った社内改革が存在する。2016年現在から遡ること13年前、真逆の風潮が同社には見られたという。その社風を改革したのが鶴岡社長。鶴岡社長は13年前に同社へ入社している。「当時は、社内において悪い意味で気を遣って仕事を進めている雰囲気がありました。しかし、これでは本当にお客様にとってためになる仕事はできません。社内で気を遣い合うことで、無駄な時間が生まれている、その時間をお客様のために使うべきだと思いました」と当時を振り返る。もちろん、目上の方に尊敬の念を込めることや礼儀礼節は重要。しかし、「仕事の成果」を前提としない気の遣い合いは無駄であると鶴岡社長は言い切る。鶴岡社長はそういった社風を感じ、成果を前提としない社内における気の遣い合いを撤廃すると公言。現在では社員が口を揃えて「風通しが良い」という社風へと変貌を遂げたのだ。お客様に対する最良の提案
お客様に最良の提案ができる、それが同社の強み。この強みが生み出されている背景には、商社ならではの理由がある。メーカーは自社製品を販売することに躍起になるが、同社は商社であるが故に、複数メーカーの商材を取り扱うことができる。これは商社の特色の一つ。その中でも同社が突出しているのが、営業社員の豊富な知識。同社の営業社員には、毎日相当数の電話がかかってくるという。これはなぜか。同社では「顧客密着」を重視しており、文字通り、各顧客に対して親身な対応を実現している。顧客目線から考えると、「困った時は東日興産に聞く」という関係性が構築されているため、複数顧客から担当営業に対して多くの相談が寄せられているのだ。故に、自ずと営業社員の商品における知識は豊富になっていき、鶴岡社長曰く「メーカーより商品知識について詳しい」という。その豊富な知識がバックボーンとなり、お客様にとって何が最良か、そしてどんな価格帯が好ましいのか、商品を提案する上での判断材料になっているのだ。業界シェアNO.1へ
「変わり続けること」、それが同社が持ち続ける揺るぎない価値観であり、その価値観のもと同社が向かうのは、2018年に業界シェアNO.1企業。この記事を作成しているのが2016年であることから、2年後に向けた計画である。これは絵に描いた餅ではなく、具体的なロードマップを鶴岡社長は描いている。鶴岡社長は2012年に代表へ就任。その時に描いたの未来計画。空想ではなく、すべて計画・行動ベースに落とし込み、それを遂行することで、2018年に業界NO.1に君臨するという明確な目標が存在する。具体的内容をここで記すことはできないのが残念であるが、そこには確かに具体的且つ実現可能なビジョンが存在している。鶴岡社長が代表に就任して以降、同社は急成長を遂げている。売上実績も組織規模も、就任以前と比較すると、倍程度へと進化している。つまり、当時描いた計画は順調に進行中。本社社屋の建て替えや資本提携を図るなど、様々な改革を実施しているのだ。同社は業界シェアNO.1企業へ向かい、日々歩みを進めている。
2年前に建て替えた東京本社
創立55周年式典
第33回 トニコン杯
業界シェアNO.1企業へ
―鶴岡社長の経歴について教えてください
大学を卒業してからは、大手の通信機器メーカーに営業として3年半勤務していました。その後、ロサンゼルスへ留学していた時期があります。帰国後、当時父が代表を務めていた当社へ入社しました。入社してからは様々な業務を経験しましたね。福岡県で営業を実施しましたし、購買部門に異動になって商品の仕入れを行うなど、今思えばとても貴重な経験を積んできたと感じています。これまでの経験が糧となり、様々な視点を得ることができたからこそ、「こういうことを実施した方が良いのではないか」、「これは改善しよう」というように、会社をより良くするためのアイディアを持てるようになったと思っています。今後の強化ポイントについて教えてください
キーワードは「新規顧客の開拓」です。建設機械部品市場、そして近年参入した農業機械部品市場、いずれにしても国内市場はもちろん、海外市場の開拓をできると考えています。建設機械部品に関して、当社は地方に営業所を設けており、力を入れていますが、少ないながらも開拓できる余地がある地方が存在します。そういった未開拓の地の営業を強めて行くことと、海外市場、これは広大な市場があると読んでいます。農業機械部品に関しては、海外市場は建設機械部品市場と同様ですが、国内もまだまだ余地が残されていると考えています。そのことから、新規開拓に向けた人材の登用、取り扱いできる商品の幅を広げる等、様々な工夫を凝らしていきたいと考えています。鶴岡社長が考える「社長の仕事」について教えてください
もちろん大前提として、会社を存続、成長させること、そのための戦略構築や資金繰り、多方面におけるマネジメント等、様々な責務がありますが、大事な仕事の一つとして、「考えを伝える」ことがあると思います。一例を挙げるとするならば、「社員と飲む」ということを大事にしています。もちろんお酒を飲むことが目的ではなく、そういった場を通じて、いかに自分の思いを伝えるか、それが大切であると考えています。そのことから、地方の営業所に出張する際や、会社行事の際には、積極的に社員と盛り上がり、自分の考えを伝えていくようにしています。厳しく接することもありますが、本質は考えを伝えていく、そこに尽きると思います。新たなチャレンジ
東日興産株式会社 購買部 アシスタントマネージャー 尼ヶ崎 純一
2005年に同社へ中途入社した尼ヶ崎さん。同社入社後は営業を約10年間経験、そして2015年12月に、尼ヶ崎さんは商品の仕入れを行う購買部門に所属となった。同社は海外からの輸入品を多く仕入れていることから、国外とのやりとりが購買部門の主な仕事。メール、電話での連絡や現地に赴きメーカーと交渉を行うなど、多忙な日々を送っている。購買部門の所属になってからまだ日は浅いが、新しい挑戦の連続で充実感を覚えるという。同社に入社してからの10年間、様々なことを経験し、同社の成長過程を文字通り肌で体感してきた尼ヶ崎さんから、仕事のやりがい、今後の目標、そして「社員から見る東日興産」について、様々なお話をお伺いした。伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い
ニッチな業界への挑戦
「この業界で挑戦していきたい」、その思いが同社へ入社を決めた理由だ。転職活動当時、様々な会社を見たが、「建設機械部品の商社」は尼ヶ崎さん自身初めて知る業界だったという。「ニッチな業界」という最初の印象から、詳しく同社について調べていくと、「実は、すごく身近に動いているショベルカーやブルドーザーなどの消耗部品の会社なんだ」、そう思い、自身もこの業界、そして同社に飛び込んでみたくなったと当時を振り返る。さらには、「アットホームな雰囲気」も入社を決めた一つの要因。少人数であったということもあり、転職活動ページから雰囲気の良さがにじみ出ていることはもちろん、実際に面接に訪問した際も、社員の挨拶や面接官の対応から、社風にも魅力を感じたという。当時結婚を控えていたということもあり、転職活動は慎重に行ったというが、「今後の人生をどう生きるか」という大きな意味で同社への入社を決断。それから11年という歳月が流れた現在も、尼ヶ崎さんは業界において挑戦を続けている。スケールが大きな仕事を動かす
「スケールの大きな仕事を動かすことができる」、それが尼ヶ崎さんの仕事のやりがいだ。購買部門に所属して以降、海外とのやりとりがメイン。海外現地で行うメーカーとの価格交渉等、任される裁量は非常に大きい。その分、得られる達成感は何ものにも代え難いという。一回の交渉でコンテナ単位のお金が動く。その金額によって同社が得られる利益も左右されるわけだが、その場を任され、納得のいく交渉ができることが会社に大きな利益をもたらすのだ。さらに、尼ヶ崎さんは営業経験が長いということから、営業のやりがいについてもお話してくださった。「自分次第でお客様と強固な信頼関係を構築できる」、それが醍醐味であるという。例えば東日本大震災が発生した際、東北のお客様が被災された。お客様が必要であろうものを第一に考え、商社という機能を生かして情報収集を行い、その当時一番必要であったブルーシートを購入してお客様に送るなど、真摯に向き合ってきた。これまでの経験を糧に、購買として尼ヶ崎さんは走り続ける。品質向上を図り、さらなる会社の成長へ
一つ一つの商品のクオリティを向上させる、それが尼ヶ崎さんの掲げる目標だ。日々寄せられるお客様からの要望や相談。その声をもとに、同社として更なる品質向上を目指している。同社は海外メーカーの商品を扱っていることから、現地の工場で直接品質改善の指導を行うこともあるという。品質向上の先にある目標。それはOEM戦略のもと、本体メーカーをターゲットとしたビジネスの展開だ。同社が扱う海外商品の品質を向上させることが、この計画を遂行する上での絶対条件。「今は任されて間もないですけど、1年目で基礎を作り、2年目以降で勝負していきたいと考えています。なにせ相手は海外なので、やりがいはありすぎますね(笑)」、そう笑顔で尼ヶ崎さんは語る。その目標実現のために、勉強に余念がない。日本が世界に誇るカイゼンの文化や5Sの考え方。それらをまずは自身が理解し、それらを海外工場にも根付かせていくためにはどうしたら良いか、試行錯誤の毎日であるというが、未来を語る尼ヶ崎さんの目は、とても輝いていた。
海外仕入先の工場見学
一緒に働く購買部の仲間
建設機械の消耗部品
尼ケ崎さんが語る東日興産と自身の価値観
日興産の良いところを教えてください
風通しが良いというのが、私自身が一番感じるところです。社長もすごく身近な存在ですし、良い雰囲気のもと仕事をさせてもらっていると思っています。数年前に当社は世代交代を行いましたが、世代交代をして以降、以前にも増して風通しが良くなったと感じています。また、新しいことにどんどんチャレンジしていくことも当社の良いところですね。本社社屋も建て替えしましたし、内部の動きも変わりましたし、現状に安住することなくチャレンジを続けていることは当社の良いところであると感じています。―尼ヶ崎さんが大切にしている考え方を教えてください
社長と同じようなものの見方や考え方ができるようになること、これを意識しています。語弊があるかもしれませんが、会社として存在している以上、潰れる可能性はすべての会社にあると言えます。その中で、社長は会社の存続、成長のために様々な施策を考えて実行しています。現在会社には2013年からスタートした5ヵ年ビジョンという計画がありますが、それが良い例だと思います。私自身、その視点を持ち合わせているかというとまだまだな部分はありますが、着実に仕事を遂行し、そういった目線を持てるように精進していきたいと考えています。―充実感を覚える瞬間を教えてください
日々充実感を覚えています。当初私は営業畑を歩み、営業一筋いうストーリーを描いていました。そのことから、購買に異動という話を聞いた時には、本音を言うと解せない部分もありました。その旨は社長にはもちろん伝えましたが、社長から購買について話を聞くと、事の重大さが分かりましたね(笑)。大きな責任を伴う仕事であり、会社の未来に向けて絶対的に重要なことなので、購買へ異動という話を受けることにしました。そして現在に至るのですが、毎日が刺激的であるため、嘘偽りなく、充実感を覚えるというのは毎日ですね。東日興産株式会社
1957年 7月 神田松下町にて自動車部品製造卸販売業として
鶴岡清太郎が創業。資本金150万円。
1957年11月 福岡営業所を開設。
1961年 6月 建設機械部品の取り扱いを開始。資本金500万円に増資。
1961年11月 本社を港区浜松町3丁目へ移転。
1963年 4月 札幌営業所を開設。
1965年11月 資本金1,000万円に増資。
1966年 4月 (株)シグマ通商を設立。(後の海外部へ)
1966年12月 本社を世田谷区野沢3丁目へ移転。
1967年 7月 創立10周年記念式典挙行。
1968年 6月 資本金1,200万円に増資。
1968年11月 資本金2,000万円に増資。
1975年10月 大阪営業所を開設
1987年 6月 代表取締役 松根雅実 就任
1987年 7月 創立30周年記念式典挙行。
1987年 8月 輸入開始。
1988年11月 札幌営業所を移転。
1994年 6月 代表取締役 鶴岡猛史 就任。
1997年 6月 仙台営業所を移転。
2000年 3月 (株)シグマ通商の業務を継承、海外部を新設し、
輸出・入業務の拡充。
2002年 7月 札幌営業所を移転。
2003年 4月 大阪営業所を移転。
2003年10月 ホームページ開設。
2006年 1月 群馬配送センターを開設。
2006年 9月 農業機械部品の取扱いを開始。
2007年 7月 創立50周年記念式典挙行。
2011年 8月 福岡営業所を移転。
2012年 7月 代表取締役 鶴岡耕平 就任。
2014年 4月 東京本社を建て替え。
2014年12月 東京海上キャピタル(株)と資本業務提携。
2015年 4月 資本金4億円に増資。
2016年 3月 大阪営業所を移転。
鶴岡清太郎が創業。資本金150万円。
1957年11月 福岡営業所を開設。
1961年 6月 建設機械部品の取り扱いを開始。資本金500万円に増資。
1961年11月 本社を港区浜松町3丁目へ移転。
1963年 4月 札幌営業所を開設。
1965年11月 資本金1,000万円に増資。
1966年 4月 (株)シグマ通商を設立。(後の海外部へ)
1966年12月 本社を世田谷区野沢3丁目へ移転。
1967年 7月 創立10周年記念式典挙行。
1968年 6月 資本金1,200万円に増資。
1968年11月 資本金2,000万円に増資。
1975年10月 大阪営業所を開設
1987年 6月 代表取締役 松根雅実 就任
1987年 7月 創立30周年記念式典挙行。
1987年 8月 輸入開始。
1988年11月 札幌営業所を移転。
1994年 6月 代表取締役 鶴岡猛史 就任。
1997年 6月 仙台営業所を移転。
2000年 3月 (株)シグマ通商の業務を継承、海外部を新設し、
輸出・入業務の拡充。
2002年 7月 札幌営業所を移転。
2003年 4月 大阪営業所を移転。
2003年10月 ホームページ開設。
2006年 1月 群馬配送センターを開設。
2006年 9月 農業機械部品の取扱いを開始。
2007年 7月 創立50周年記念式典挙行。
2011年 8月 福岡営業所を移転。
2012年 7月 代表取締役 鶴岡耕平 就任。
2014年 4月 東京本社を建て替え。
2014年12月 東京海上キャピタル(株)と資本業務提携。
2015年 4月 資本金4億円に増資。
2016年 3月 大阪営業所を移転。
創業年(設立年) | 1957年 |
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事業内容 | 建設機械部品販売/農業機械部品販売/日本食材輸出販売 |
所在地 | 東京都 世田谷区 野沢 3-2-18 |
資本金 | 9,000万円 |
従業員数 | 123名 |
会社URL |
監修企業からのコメント
貴重なお時間をいただき誠にありがとうございました。
鶴岡社長の思いや、現在遂行していること、そして今後取り組む未来の展望を伺い、貴社の急成長の理由と今後の更なる進化を、恐縮ながら確信致しました。
5ヵ年ビジョンが進行中ということもあり、2018年、そして2018年以降の貴社の活躍から益々目が離せません!
掲載企業からのコメント
今回は取材をしてくださり有難う御座いました。これまでの当社の歴史や、そして未来について社内外へ改めて発信していく良い機会になったと思っています。
当社は世代交代を行い間もないですが、着実に前進していると感じています。
この記事を読んでくださり、共感していただけましたら幸いです。