夢を持って、美を求め、形にする。
日本精密株式会社 代表取締役社長 岡林博
60階建の超高層ビル「サンシャイン60」開館や新東京国際空港(現成田国際空港)開港がされた1978年に埼玉の秩父で創業をした日本精密株式会社。創業当時から複数の大手時計メーカーの金属製時計のバンドの製造を中心とした精密部品加工業として拡大をしてきた。35年以上たった今でも、国内一流企業や海外メーカーから、変わらずに厚い信頼を得ているのは、同社の『人材力』によるものだ。高度な熟練した技術を有しているのは、もちろんのこと、高い提案、企画力もあるのだ。今回、取材に当たるのは、日本精密株式会社の代表取締役社長である岡林博氏である。岡林社長は、20代のときから海外で工場長などの経験をし、帰国後に50代で同社の代表取締役社長に就任をした。なんと、今でも1ヶ月の半分を海外出張して、現場に出向き、現場感を大切にしているというのは驚きだ。今回は、その岡林社長にお話を伺った。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
フラットな雰囲気
「それぞれの社員が好きにしたいことのできる社風である。」そう語る岡林社長。 同社は、香港、ベトナム、カンボジアに工場を展開していることもあり、海外志向の社員が非常に多くいることがそうした社風を作っている。同社は、海外志向を持っている、個性のある、ユニークな人を積極的に採用していることが特徴と言える。そうした人が活躍できる場所が用意されているのだ。こうした社風のさきがけは、岡林社長だと言える。岡林社長は、20代の時から、海外でもまれながら仕事をしてきたため、上下関係によって部下が上司に意見を言ったりすることができないような日本の文化を好まないためだ。だから、同社では1つのフロアに社長、役員から社員まで壁を作らずに座っているため、社員が直接社長に意見を言いに来ることもあるそうだ。また、岡林社長が、こうした社員の意見の発信を歓迎するのには、1つの考え方にこだわってしまうことで、新しい意見が出なくなってしまい会社の進化が止まってしまうことを避けるためだという。20代を海外で工場長などを歴任し、今現在も1ヶ月の半分を海外で仕事をしている岡林社長だからこそ生み出せる同社の社風なのである。先を読んでいく力
「先見の明」に同社の強みがある。「先見の明」はビジネスを行っていく中で必要不可欠のものである。時計の製造を行なう企業の95%以上が中国に工場を展開しているのだが、そうした中で同社は中国ではなく、ASEANであるベトナムに工場を展開してきたのである。中国が1979年に1人っ子政策を取った際に、近い将来、中国国内において製造業に人が回らなくなると岡林社長は感じ、工場の展開を中国ではなく、ベトナムで展開をする決意をしたという。その予想は現実のものとなっており、昨今では中国の製造業では、人件費の高騰などの問題が現れている。しかし、時計の製造には、高度な技術を持つ熟練の技術者が必要なため、工場移設などを行なうことが難しいのだ。そのため各社ともASEANに進出することが課題となっている。しかし、同社は既にASEANで時計の製造を行なう基盤を持っていることは紛れもない強みである。ASEANプロジェクト
「ASEANにおいて時計のインフラを作ることが同社の未来予想図のゴールである」と話す岡林社長。工場の海外移転を行なう企業は数多くあるが、その多くが途中で辞めてしまうことが多いのが現実だ。技術や品質を一定に保つことが難しいことが要因だ。しかし、同社は他社より早く、工場のASEANであるベトナムに移転を行ない、現地での時計製造の一貫生産体制の構築、インフラを作ることに成功してきたのだ。そして、ASEANでの先駆者となった同社が、次に狙うのはカンボジアだ。既に2014年にカンボジアに新工場を設立しており、ベトナム工場とカンボジア工場のシナジー創出によって、同社のASEANにおいての時計製造のインフラを確固たるものにしていく動きをとっているのである。同社の今後のASEANでの動きからは目が離せない。
大手時計メーカーの金属バンド
社員同士のゴルフ会
ベトナム工場の食堂風景
海外で仕事をすることが多かった岡林社長の見ていること
-どんな人づくりをしていますか
当社では、人との関わり合いを大切にしています。人は、人との関わりの中で成長すると考えているからです。だから、私自身も積極的に社員に話しかけて、関わりを持つようにしているんです。そうした関わりの中で、社員と話していると、抱えている悩みを話してくれるので、それに対してアドバイスをしたりしています。例えば、目的意識や目標をしっかりと持てるように、悩みや問題をわかりやすくなるようにアドバイスをしています。そうすることで、前向きに進めるようになりますよね。関わりがあるからこそ、そうした話をしてくれるわけですからね。―海外で活躍できる人材とは
海外で生活をしていく上では、陽気な性格をしていたりするのは大事です。外国の方々は、陽気な方が多いですからね。暗い方だと難しいと思いますよ。それがあった上で、海外で仕事をしていくとなると、向上心と展開力が大事になってくると思います。向上心っていうのは、ガツガツと周りを気にせずに行動していける人ですね。次に、展開力っていのは、1つの知識をいくつに展開をしていけるかってことです。学校ってインプットをする場所ですけど、企業ってアウトプットをしていく場所なのですよ。だから、100の知識を100通りにしか展開できない人よりも20の知識を100通りに展開できる人の方が生きてくるし求められていますね。―若者に対するアドバイス
今の若い人達には、あきらめないで粘り強くなってほしいと思っています。どんなに難攻不落の城でも、しっかりと外堀を埋めて、攻めていけば城は落ちるんです。外堀が埋まらないうちに結果を求めるから結果に結びつかずに、途中で辞めてしまうと思うのですが、そこで諦めるのではなく、再び、外堀を埋めるように行動して欲しいです。私自身、当社で行っているASEANプロジェクトという、カンボジアに時計のインフラを作っていく企画の契約をとるまでに3年掛かっています。ダメを言わせないために、都合の悪い時は自ら引いて、次に機会を貰い、着実に外堀を固めてきた上でASEANプロジェクトが始動しました。だから、若い人達にも、諦めずに努力をすることを忘れないで欲しいです。次世代を担う人材になる
日本精密株式会社 開発部 研究員 渡邉雅也
渡邉さんは、開発部の研究員として日本とアジアの拠点のコネクションとなり、製品のアイデア段階のものを試作をおこない、量産体制まで一貫して最後までの業務を行っている。それは、同社の一貫生産体制を行っていく上で非常に大事なポジションになってくる。そんな渡邉さんは、同社に入社をしてから4年目ではあるものの、今では数十種類もの加工過程を実務のみならず全体把握をして管理までも行っているのだ。一例でしかないが、某大手時計メーカーのOEM製造では、アイデア通りの製品を作るために、数mmの部品加工にも気を使い、高い品質を保ちながら、大量生産を行うという責任のある仕事を行っているとのこと。そんな同社の重要なポジションで働かれ、未来を担っていく次世代のリーダーになっていくことを目指す渡邉さんに今日はお話を伺った。伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い
時計の製造に携わりたかった
「自分の持っている機械設計の技術やノウハウを用いて、時計の開発製造に携わりたかった」と語る渡邉さん。渡邉さんは高校と大学では工業科を学んでいたこともあり、そこで得た知識や技術などを活かすために前職までは機械設計の業務に携わっていた。10年を超える時間で培ってきた技術や知識。そして趣味であった時計を掛け合わせたような仕事はないだろうか?そう考えている中で「時計を見る側ではなく、持っている知識や技術を用いて時計を作る側になりたい。」と思い始めるようになった。そんな折に、某大手時計メーカーの時計などを製造している同社に出会った。同社では、製造をするだけでなく、メーカーでアイデアされたものを試作から量産まで行っており、自分の今まで行ってきた機械設計の知識や技術を活かせるだけでなく、より広く活用していけるところにも魅力を感じ、入社を決意した。自分の携わった商品を世の中で見ること
「時計のデザイン段階のものを量産まで行っていった商品が時計屋で売られているのを見ると非常に感動する。」そう語る渡邉さんは、時計のデザインが出来上がり、それを大量生産まで行っていくのに、約1年近くをかけて行っていくそうだ。その期間は、毎日のように製造部門の社員の方と電話で話しながら、デザイン通りにできているか?技術面で問題はないか?など細かなすり合わせを行い、また自社内のみならず、デザイナーや企画担当者、設計担当者と色んなポジションの方と細かいところを打ち合わせしながら仕事を行っていくのだ。そうした様々な人と共に仕事を行っていき、量産までつなげた際に、渡邉さんは、強い達成感を感じるそうだ。そして、その量産された時計が時計屋で売られているのを見ると、本当にこの仕事をしていてよかったと感じるそうだ。海外展開を成功させて、次世代を担う人材になる
同社では、2018年に100億企業になる。というビジョンを掲げている。そのためにも海外進出を強めており、2013年には同社と某大手時計メーカーの共同出資でカンボジア工場の設立を行っている。これは、日本の高度なものづくり技術で世界市場において勝てる事業へと革新するために行っているASEAN戦略の一つだ。そうした中で、渡邉さんは、本社機能として日本とアジアのコネクション業務を行っている。しかし近い将来、そうした経験を活かしてアジアの支部で働くことを目標としている渡邉さんは、そのための準備として仕事終わりには英会話教室に通い、英語の勉学などにも励んでいるのだ。「既にあるレールを走って売り上げを出すのみならず、自身で新しいレールを創っていくことで、更に会社の売り上げを大きく伸ばしていくような未来を担う人材になり、日本精密の更なる発展に寄与したい」と渡邉さんは語る。
腕時計の金属枠
バンドの金属加工
ベトナム工場の正面
日本精密の現場の声を伺ってみました
-日本精密の良いところ
日本精密の良いところは、みんな優しく、気さくで雰囲気が非常に良いところですね。社員同士でバーベキューや飲み会などを行う動きがあって、若い世代からイベントの企画があがったりしていますね。それから本社では50人程が働いているのですが、社長や役員と社員など関係なく全員が同じフロアーで、壁の区切りなどが無い中でやっているので、上司との距離も近く、相談もしやすいことも良いところですね。ただ、メリハリはしっかりしています。1日の仕事も少なくないですが、みんなで勤務時間内に仕事を終わらせることを意識して仕事をしているので、勤務時間内に終わらない人はいないですね。―日本精密で働いていて、成長した点は
前職までは、技術職として働いていたので、自分のみで仕事が完結することが多かったんですよね。しかし、現在は、アジア各国で働く現地の拠点スタッフや取引先の企業の担当者様とコミュニケーションを行っていかないと仕事が進んでいかないという点で、色んな方と仕事を円滑に進めていくコミュニケーションは成長しました。それこそ、企業のデザイナーさんから頂いたデザイン通りに加工をしていく過程で、現地スタッフと逐一細かく話して進めていくのですが、そこでも信頼関係があってこそ、高い品質の加工が行っていけると思っています。―未来の後輩へ期待すること
恐れずに何にでも挑戦をしていってほしいと思います。恐れて、YESばかりを言っていてはダメです。最初はわからないことばかりで、失敗することや怒られることもあると思いますが、そうした経験を重ねて、いろんなことを吸収していけば、少しずつ仕事が見えるようになってきます。そうなれば危険を読み取って、これは大丈夫だな。これはやめておこう。と見えてきます。また、弊社は手を上げて、やりたいと言えば、何でもやらせてもらえます。そうしたやる気のある人を持ち上げてくれる会社なので、辛いこともあると思いますが、一緒に会社を盛り上げていきましょう。日本精密株式会社
1978年 8月 埼玉県秩父郡子鹿町に日本精密株式会社を設立
1978年 9月 カシオ計算機株式会社向けの金属製時計バンドの製造・販売を開始。
1980年 4月 シチズン時計株式会社向けの金属製時計バンドの製造・販売を開始。
1983年 3月 業界初の超硬セラミックス製腕時計バンド及び
純チタニウム製バンドの製造・販売を開始
株式会社服部セイコー向けの金属製時計バンドの製造・販売を開始。
1983年 7月 本社を埼玉県川口市並木に移転。
1994年11月 ベトナム社会主義共和国のホーチミン市に メガネフレームの
生産拠点として子会社NISSEY VIETNAMCO.,LTD.を設立(現連結子会社)。
1995年 8月 ドイツ連邦共和国METZLER-OPTIK PARTNER AG.等
ヨーロッパ向けにOEMチタニウム製メガネフレームの製造・販売
1995年10月 本社を埼玉県川口市本町に移転
2000年 3月 子会社NISSEY VIETNAMCO.,LTD.
ISO9001承認取得(現連結子会社)
2001年 4月 香港に営業、調達拠点として子会社NISSEY (HONG KONG) LIMITEDを設立
2004年12月 株式会社ジャスダック証券取引所に株式を上場
2007年 8月 KOSDAQ上場企業、株式会社エムアンドエフシー
(M&FC Co.,Ltd)と業務提携開始。
2010年 4月 株式会社ジャスダック証券取引所と株式会社大阪証券取引所の
合併に伴い株式会社大阪証券取引所JASDAQ市場に株式を上場
2010年10月 株式会社大阪証券取引所JASDAQ市場、
同取引所ヘラクレス市場及び同取引所NEO市場の統合に伴い、
株式会社大阪証券取引所JASDAQ(スタンダード)に株式を上場
2013年 5月 カンボジア王国バベット市に時計外装部品等の生産拠点として
子会社NISSEY CAMBODIA CO.,LTD.を設立
2013年 7月 東京証券取引所と大阪証券取引所の現物市場の統合に伴い、
東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に株式を上場
1978年 9月 カシオ計算機株式会社向けの金属製時計バンドの製造・販売を開始。
1980年 4月 シチズン時計株式会社向けの金属製時計バンドの製造・販売を開始。
1983年 3月 業界初の超硬セラミックス製腕時計バンド及び
純チタニウム製バンドの製造・販売を開始
株式会社服部セイコー向けの金属製時計バンドの製造・販売を開始。
1983年 7月 本社を埼玉県川口市並木に移転。
1994年11月 ベトナム社会主義共和国のホーチミン市に メガネフレームの
生産拠点として子会社NISSEY VIETNAMCO.,LTD.を設立(現連結子会社)。
1995年 8月 ドイツ連邦共和国METZLER-OPTIK PARTNER AG.等
ヨーロッパ向けにOEMチタニウム製メガネフレームの製造・販売
1995年10月 本社を埼玉県川口市本町に移転
2000年 3月 子会社NISSEY VIETNAMCO.,LTD.
ISO9001承認取得(現連結子会社)
2001年 4月 香港に営業、調達拠点として子会社NISSEY (HONG KONG) LIMITEDを設立
2004年12月 株式会社ジャスダック証券取引所に株式を上場
2007年 8月 KOSDAQ上場企業、株式会社エムアンドエフシー
(M&FC Co.,Ltd)と業務提携開始。
2010年 4月 株式会社ジャスダック証券取引所と株式会社大阪証券取引所の
合併に伴い株式会社大阪証券取引所JASDAQ市場に株式を上場
2010年10月 株式会社大阪証券取引所JASDAQ市場、
同取引所ヘラクレス市場及び同取引所NEO市場の統合に伴い、
株式会社大阪証券取引所JASDAQ(スタンダード)に株式を上場
2013年 5月 カンボジア王国バベット市に時計外装部品等の生産拠点として
子会社NISSEY CAMBODIA CO.,LTD.を設立
2013年 7月 東京証券取引所と大阪証券取引所の現物市場の統合に伴い、
東京証券取引所JASDAQ(スタンダード)に株式を上場
創業年(設立年) | 1978年 |
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事業内容 | 時計バンドの製造、販売 メガネフレームの製造、販売 イオンプレーティング(表面処理加工) 釣具用部品、静電気除去器、その他製品の製造、販売 |
所在地 | 埼玉県川口市本町4-1-8 川口センタ-ビル8階 |
資本金 | 19億円 |
従業員数 | 62名 |
会社URL |
監修企業からのコメント
今回、取材をさせていただいていて、一番印象に残っているのは、岡林社長のエネルギッシュなお人柄です。 若い時から海外で働いてこられたので、日本の外から日本を見るという視点を常に持ち、第一線で日本精密を先導していっらっしゃるところに社員の方々の惹かれているのを感じました。 現在も、ASEANでベトナムそしてカンボジアと進出なさっていますが、今後もますます、日本を代表する企業として海外でやられていく日本精密からは目が話せないです。
掲載企業からのコメント
今回の取材を受けましてもっと当社を世界に対してアピールしたいと思いました。 数少ない時計部品メーカーとして業界の発展と日本の技術を世界に伝えたいと望みます。