斎藤マシン工業株式会社 代表取締役社長 中川健
将棋駒と温泉が有名な山形県東部にある天童市。そんな天童市で、豊富な設備を揃え、大きな志を持つ会社こそ、斎藤マシン工業株式会社である。1950年に創業し、世の中に必要なものづくりを行う会社として歴史を積み重ねてきた同社。そんな同社に結婚をキッカケに就職し、斎藤家からバトンを受け継いだ中川健社長。中川社長は、作業中にガムを噛むことを推奨するなどユニークな発想を持ち、変化することを恐れない。そういった考え方の根幹にはどのような想いがあるのか。今回は、そんな中川社長のこれまでの想いとこれから先の未来に向けて、どのようなことを考えているのかを中心に話を聞いた。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
明るく・楽しく・元気よく
中川社長が大切にしていることは、社員が「明るく・楽しく・元気よく」働くことである。社員は平日の朝から夕方までの時間を会社に費やしている。人間にとって時間というものはとても大切であり、そんな大切な時間の多くを会社のために使ってくれているのだからつまらないものにしてほしくないとのことである。もちろん、仕事だから仕方ない部分はあることは理解しているとのこと。そんな中でも「どういう加工をしようか」や「こういう選択肢もあるのではないか」など、社員同士で熱量の高い時間を過ごしてほしいと中川社長は考えている。理想としては、会社全体が仕事に対して前向きな感情を持つことだと言うが、決して簡単なことではないだろう。今後、斎藤マシン工業の熱量をいかに上げることができるのか、社員が「明るく・楽しく・元気よく」働くことができるのか、中川社長の腕の見せ所である。手動だからこそできるものづくり
現在の斎藤マシン工業を象徴するものの一つとして、汎用旋盤を用いた加工技術が挙げられる。汎用旋盤とは、旋盤加工に用いられる機械であり、主に手動で操作するものを指す。現在、この汎用旋盤を日本で製造している会社は多いとはいえない。さらに扱える人財も年々減少傾向にあるという。旋盤機械は時代の流れに沿って自動化が進み、ボタンを押すだけで作業が完結する方法へと発展している。そんな時代の流れだからこそ、職人の手によるクオリティの高い作業が重宝されるのだと中川社長は考えられている。溶接構造品のような一品一様の絶妙な加工などに関しては、まだ手動の方が勝っており、お客様の要望に沿った製品を提供することが可能となっている。時代の流れに逆行していたとしても、お客様に、より付加価値の高いものを提供することへの強いこだわり、お客様を第一に考える姿勢こそ、中川社長と斎藤マシン工業を語るうえで重要なポイントである。好循環なサイクルの形成へ
中川社長が見据える斎藤マシン工業の未来の姿とは、「良品が好循環なサイクルを生み出し、活用している会社」だと言う。ものづくりの会社であるため、10年後、20年後と時代の変化によっては取り扱う製品に変化が生じる可能性がある。その時代ごとにお客様のニーズの変化に対応することができなければ、製造会社は衰退してしまうと中川社長は危惧している。中川社長は、どんな状況であっても、お客様の要求に対して最大限の良品で応えることによって会社は発展を続け、良品を製造し続けることによって営業に力を注がなくとも受注できるといった好循環なサイクルが生まれると確信している。そういったサイクルを活用し、発展を続ける会社に成長するためには、社員一人ひとりが成長できる環境が必要である。機械に勝る人が持つ力を武器に、これから先の未来に立ち向かっていく姿には、大いに期待せずにはいられない。整理整頓された中山工場
斎藤マシンを支える汎用旋盤
ガム推奨ポスター
未来に向けて、会社と社員へ抱く想い
今、必要なことを教えてください
必要なこと、課題はまだまだ沢山ありますが一番は新卒採用において、いかに優秀な人財を確保することができるかだと思います。少子高齢化社会という時代の流れに加え、どうしても都会と比べて山形県の魅力が伝わりづらいというハードルがあります。そんな状況の中では、どのようにして魅力を発信するのか、自社のことをいかに理解してもらえるかが重要です。私は、既存社員はもちろん、就活生とも近い距離間で接するべきだと考えています。極端に言えば、社長の家族構成やこれまでの経歴について把握できるくらい腹を割って話すべきだと思います。「中川社長は社長に見えない」と言われるくらいの距離感を築くことができたら最高ですね。活躍している社員の特徴について教えてください
活躍している社員の傾向としては、みんなを引っ張っていくリーダーシップに長けている人や人間関係づくりを得意としている人が多いように感じます。ここで言う人間関係づくりというのは、仲良しこよしをしろというわけではなく、周りの社員の足を引っ張らないこと、ポジティブな空気感を生み出すことだと捉えています。もちろん、人それぞれ得意不得意なことがあって、様々な人がいるのが組織です。そんな組織の中で、社員それぞれがパズルのように上手く噛み合い、持ち味を活かすことができるように今後も工夫していきたいと思います。社員が自分なりの活躍の仕方を理解し、よりよい相乗効果を生み出してくれることを願っています。社員に期待していることを教えてください
社員には自分が良いと思ったアイデアや挑戦したいことがあれば、どんどん発信してほしいと思います。斎藤マシン工業という会社は私が創業したわけではないですし、これまでの歴史を振り返ると、変化を積み重ねてきた会社です。そのため、固定概念に縛られることなく、常に挑戦することを忘れないでほしいです。挑戦した結果、トラブルや失敗に繋がってしまったのであれば責任は私が取ります。恐れることなく、せっかく毎日朝から晩まで働いているので、ワクワクするような働き方をしてもらいたいです。これからの斎藤マシン工業を自分たちの手で作っていくんだという想いを胸に、日々の仕事に取り組んでもらいたいと思います。ものづくりへの熱い想いを胸に ワンランク上の斎藤マシン工業へ
斎藤マシン工業株式会社 営業部 係長 工藤司
斎藤マシン工業に入社したのは2011年のこと。長らく溶接の現場で活躍し、2021年5月からは営業部へ異動。そんな活躍の場を広げている最中の工藤係長。高校を卒業後は様々な業界を経験し、非常に興味深いキャリアを形成してきた。そんな工藤係長は今日に至るまで、ものづくりへの熱い想いを胸に仕事に取り組んできたという。10年以上、同社でのキャリアを重ね、立場にも変化が生じていく中でどのようなことを感じ、今後に向けて更なる成長を遂げるために必要なことは何か。工藤係長自身、斎藤マシン工業という会社全体、二つの視点から現状とこれから先の未来に向けた野望などを中心に話を伺った。伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
ものづくりへの想い
斎藤マシン工業に入社した理由、それは「ものづくりが好き」自分はこれに尽きると話す工藤係長。そんな工藤係長は高校卒業後、樹脂や金属の塗装を行う塗装工場に就職した。その後、飲食店や家電メーカーなど様々な業界、業種を経験することとなる。そんな中、斎藤マシン工業と出会ったのは今から11年前の2011年のこと。元々ものづくりへの関心が強く、高校生の頃には、当時乗っていたバイクをバラバラに分解したり、壊れたら自分で修理するような学生であった。そんな工藤係長は転職活動をしている中で斎藤マシン工業へ興味が湧き、ホームページを閲覧したところ事業内容などに対してより興味が増したという。さらに工藤係長は山形県出身であり、ものづくりができるということに加え、地元へ貢献できるというところも自分にとっては大きな決め手になったポイントだと11年前を懐かしそうに語ってくれた。”オンリーワン”がもたらす達成感
斎藤マシン工業は部品加工から溶接、その後の加工や一部組み立てまで行っているため、ただの部品加工会社ではない。そんな斎藤マシン工業で10年以上勤めている工藤係長にとってのやりがいは、難しい仕事をやり遂げたときの達成感だという。工藤係長の中での難しい仕事とは何か。それは、斎藤マシン工業にしかできない”オンリーワン”な仕事のことである。斎藤マシン工業は、現在全国的に使用数が減少している汎用旋盤にあえて力を入れ、より難易度の高い製品づくりを強みとしている。そのため、他社が断るような難しい図面の案件や複雑な加工が必要な際に対応が可能である。そんな斎藤マシン工業とはいえ、断ってもおかしくない案件も中にはあるが、どうやったら応えることができるかについて、知恵の輪を解くように意見を出し合い、”オンリーワン”な方法を用いて納品まで成し遂げる。そういった時に、他の社員とともに達成感を共有することこそが工藤係長にとって何よりもやりがいに繋がっているのだ。ワンランク上の斎藤マシン工業へ
工藤係長からすると、斎藤マシン工業はまだまだ知名度が低いとのこと。山形県の枠を飛び出し、中小企業の中でも秀でた会社、まさにワンランク上の会社になるために、今後はこれまで以上に作業効率や技術力を高めるため、社内での改善活動に力を入れていきたいと考えているという。毎週1、2時間程度の時間をつくり、各課で改善活動を行っている時間を大事にしていく予定である。数多く難しい仕事をこなしてきた実績、社内での改善活動を積み重ねていった先に「ワンランク上の斎藤マシン工業」が見えてくると工藤係長は信じている。さらに課、部、会社全体が向上心を持ち、日々意識することによって、夢の実現が近づくと考えられている。工藤係長を筆頭に今後どのような改善を進めていくのか。また、それによって斎藤マシン工業がどのような姿へと進化、変化を遂げるのか、熱意に溢れる工藤係長の話を聞いて非常に楽しみである。優秀な改善活動には表彰を
溶接後の二次加工でも
大活躍の汎用旋盤
金属加工を経て生まれ変わった
分析装置部品
強みを活かし、更なる成長を遂げるために
斎藤マシン工業の強みについて教えてください
斎藤マシン工業は、先ほど述べたように特殊な加工など難易度の高い仕事を受け入れることができます。受け入れることができる要因として、もちろん設備の存在も大切ですが、一番は社員にあるのではないかと考えます。特に難しい図面が届くとワクワクするような若い社員が増えてきたなと感じるようになってきました。そのような社員を中心に幅広い技術、知識を用いて、より品質の良い、製造者の想いが込められた製品をお客様に提供することができることが斎藤マシン工業の一番の強みではないかと思います。今後も進化を続け、さらに多くのお客様を喜ばすことができる会社を目指していきたいです。斎藤マシン工業にとっての課題とそれに対する解決策は
何ですか
課題と聞かれてすぐに思いつくのは、生産性やスピード感とかですかね。製品それぞれに対して、かかる加工時間はバラバラであり、最低限かかる時間もある程度は決まっています。加工できる時間に対して現在、有難いことに依頼が多く、キャパオーバーしているような状況です。いかにしてより多くのお客様の依頼に応えられるかが今の課題です。その課題を解決するためには、やはり無駄な作業、無駄な時間を省き、技術力を向上させ、作業スピードを上げるしかないと感じています。社員一人ひとりのモチベーションを高め、目の前の仕事に対して高い意識を持って取り組むことができる空気感をつくっていきたいと思います。中川社長への想いを教えてください
私が入社したての頃は、中川社長は社長ではなく工場長でした。生産管理や営業、事務的な仕事のほかに、社員の作業効率を高める取り組みに注力してくれていました。そのため、会社の幹部という立場にも関わらず、社員一人ひとりと距離感が近く、親身になって話を聞いてくれていました。社長になった今でもその姿勢は変わらず、冗談を言い合えるような関係性でありつつも、仕事の話になれば真剣といったようにメリハリがあります。こういった性格の中川社長でも、やはり立場上動きづらいことや把握できないことはあると思います。中々難しいとは思いますが、そんな中川社長を支えられるように、手の届かない範囲を埋められるような存在になりたいという想いを抱いて働いています。斎藤マシン工業株式会社
1950年 個人にて斎藤プレス工場として創業/山形市宮町
1963年 斎藤プレス工業株式会社として法人化
代表取締役 斎藤 啓次郎
1977年 現在地に全面移転
1985年 斎藤マシン工業株式会社に名称変更"
2009年 「元気なモノ作り中小企業300社」に認定される。
県の「やまがた産業夢未来基金」助成金交付事業を受け自社製品を開発
2010年 初めての自社商品、業務用食用油ろ過器を開発販売
「山形県環境保全推進賞」受賞
2011年 東経連ビジネスセンター支援先に採択
2016年 中山工場新設
2017年 代表取締役社長に中川 健就任
1963年 斎藤プレス工業株式会社として法人化
代表取締役 斎藤 啓次郎
1977年 現在地に全面移転
1985年 斎藤マシン工業株式会社に名称変更"
2009年 「元気なモノ作り中小企業300社」に認定される。
県の「やまがた産業夢未来基金」助成金交付事業を受け自社製品を開発
2010年 初めての自社商品、業務用食用油ろ過器を開発販売
「山形県環境保全推進賞」受賞
2011年 東経連ビジネスセンター支援先に採択
2016年 中山工場新設
2017年 代表取締役社長に中川 健就任
創業年(設立年) | 1963年 |
---|---|
事業内容 | 真空装置部品、食品関連機械部品および電子顕微鏡などの 電子応用装置部品の機械加工と組立 |
所在地 | 山形県天童市石鳥居2-2-64 |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 53名 |
会社URL |
監修企業からのコメント
今回の取材を通して、中川社長の「変わることを恐れない姿勢」はとても勉強になり、自分自身の更なる成長のために参考にしたいと思いました。社内の改善活動に力を入れている斎藤マシン工業が、今後どのような姿に変貌していくのか、とても楽しみにしております。今回は取材をお受けいただき、ありがとうございました。
掲載企業からのコメント
今回の取材を通して、斎藤マシン工業に入社した当時のことや自分が大切にしている想いを改めて、振り返ることができました。社員が最大限活躍できるように、これからも工夫を凝らしていきたいと思います。今後の斎藤マシン工業にご期待ください。