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株式会社石田老舗

株式会社石田老舗 代表取締役 石田宏次 

創業から約150年の間、焼き菓子製造一筋で取り組み、誰もが知るお菓子を世の中に数多く送り出してきた株式会社石田老舗。時代の変化を機敏に捉えながら、お客様のニーズに合ったお菓子のOEM製造を手掛けている。企画から製造まで行い、お客様のニーズに幅広く応え続けている同社。そんな同社が扱うお菓子は幅広く、そばぼうろや最中といった和菓子から、マドレーヌ、フィナンシェといった洋菓子まで、優に1000種類は超えているという。そんな同社に25年前に入社した石田社長は、同社の6代目。150年の伝統を守りつつも積極的な改革に取り組み、売上を約2倍に伸ばしてきた。今回はそんな石田社長に、同社の商品の魅力や今後の展望を伺った。 

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

‟温故「向」新” 時代のニーズに合わせた商品づくり

石田老舗が大切にし、体現している考え方は‟温故「向」新”。古きから学び、新しきに向かうという考え方である。だからこそ150年続く歴史の中で蓄えたノウハウを大切にしながらも、時代の変化による趣向の変化を敏感に捉え、お菓子づくりに反映させている。伝統を守りつつも、焼き菓子業界に新風を吹かせようと、常に新しい情報に目を向けているのだ。そういった風土が社内に根付き、時代に合わせてお客様のニーズを追求する姿勢が同社の社風となっている。お客様のニーズを追求する上で、石田社長が大切にしているのは、‟お菓子はお腹を膨らますものではなく、心を膨らますもの”という想い。石田老舗が提供しているのは、お菓子を食べたその先にある笑顔なのだ。今でいうと甘味離れが起きており、甘さや油を抑えた商品のニーズも増えてきている。そういった時代に合わせて求められるお菓子を、お客様の笑顔のために同社はつくり続けていく。

積み重ねた歴史からくる商品への信頼

150年の歴史を積み重ねていく中で生み出された実績と、蓄積されたノウハウこそが、他にはない独自性だ。その実績とノウハウが、お客様が喜ぶ商品を生み出す力の源となっている。これはお菓子製造にとっては高いアドバンテージになっており、‟石田老舗”という名前のブランド力は極めて高い。2016年に食品表示法の改定で、従来は記入する必要のなかった製造元の表記が義務付けられた。「他社の名前を記載するなら」と、取引を止める企業も多数出てくるかと予測していた石田社長だったが、ほぼそういったことはなく、むしろ問い合わせが増えた。去年だけで新規受注が30件ほど増加したという。良いお客様に、美味しいと思ってもらえるものを届け続けている同社だからこそ150年の歴史が積み上げられ、それが世の中からの信頼となって返ってきているのだ。


分業文化を、世の中に広めていく

同社のメイン事業であるOEM製造を「下請け」ではなく「協業」と捉えている石田社長。今後はただOEM事業を発展していくだけでなく、OEMをしている会社のブランディングも手掛けていきたいと教えてくれた。石田社長はフィナンシェだけを取っても、今まで3000種類、3万食以上食べているというから驚きだ。日本で初めてフィナンシェのOEMを手掛けているため、クオリティや知識については決して負けない自信があるのだろう。OEMという形で協業するからこそ、クオリティが高く、美味しい商品を消費者に届けることができる。この文化を世の中に広げたいと石田社長は語る。実際の取り組みの一つとして、同社は去年から、‟フィナンシェ倶楽部”という取り組みをはじめた。取引先のフィナンシェの魅力を伝えていこうと、フィナンシェアンバサダーとして多岐にわたって活動している。同社ではOEM製造が日本の伝統文化の一つだということを、今後ますます発信していく予定だ。
3000種類以上食べ比べた
フィナンシェ
1000以上の種類を扱う
お菓子の製造工程
150年以上の歴史を持つ
石田老舗本社

150年の先の歴史に必要なのは、人材の力

社長就任時、どんな想いで140年の歴史を受け継ぎましたか?

就任時は積み重ねてきた歴史の重さを感じ過ぎず、とにかく今あるものをどうやってより良くしていくかを考えていました。「老舗企業を継ぐ」ではなくて、「自分自身をどう高めて、会社をより良くしていくか」がテーマでした。石田老舗には長い歴史と実績がありますが、そこではなく‟石田宏次”という人間を見て、認めてもらうにはどのような行動をするべきか考えていましたね。だからこそ注力したのは、売上・利益の向上と人材育成です。そしてそれを実行していくために、経営計画発表会で全従業員に発表しました。「言ったからには有言実行するぞ!」という気持ちで、達成に向けて日々努力を重ねていきたいと思います。

お客様の特徴について教えてください。

「地域を大切にしながら、美味しいお菓子を販売する」ということを大切にしているお客様が多いです。実際に新型コロナウイルスの影響で、お菓子の消費が一気に下がった際、どこのお菓子屋さんを見ても、コロナ前より売上が上がったというお菓子屋さんはなかったですね。けれど300社ほどお付き合いがある中で、5割以上売上が下がったお客さんは3%程度だったんです。それはお付き合いしているお客様が、普段から地域の方々を大切にしていたからこそ、甘いものを食べたくなった時に地域の人がこぞって買いに来てくれたようなんです。弊社としてもそのようなお客様との繋がりが多かったからこそ、コロナ明けの6月には過去最高益を出すことができました。本当にお客様に恵まれていると思っています。

今後の発展に向けてのキーポイントを教えてください。

キーポイントは、‟人材の採用と育成”です。弊社は現在少数精鋭で、できるだけ従業員に還元するスタイルでやっています。だからこそ、積極的な採用活動を今までやってきたわけではありません。その分、出た利益を極力従業員に分配してきました。しかし今後、更に事業を発展させていくためには、今いる従業員が定年退職した後でも、高い技術力を維持することが絶対条件です。そのためにはやはり、優秀な人材を採用して育てていかなければいけないと考えています。また事業継承も行っていきたいので、資金を今いる人材の育成に回し、人を育てていかなければならないと思っています。

お客様からの「ありがとう」のために、 楽しみながら売上を引っ張っていく

株式会社石田老舗  営業部 主任 賀畑桂輔  

和菓子・洋菓子のOEM製造が売上の8割以上を支えている同社。そんな同社で営業部の主任として、トップ成績を上げているのが賀畑主任である。30年以上の長い付き合いがある既存顧客から、新規顧客まで幅広く担当。お客様からヒアリングを重ね、よりお客様が求めるものを追求し、提案を行っている。取材の中で印象的だったのは、なりよりも高い貢献意識と成長意欲。トップの成績をあげながら「まだまだ貢献できる余地があると感じるからこそ、もっと頑張っていきたい」と語る賀畑主任の姿はとても印象的であった。そんな賀畑主任に、仕事のやりがいや働く上で大切にしていることを伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

自由に挑戦できる、裁量ある環境

石田老舗に入社して、5年目になるという賀畑主任。新卒入社した会社から営業職に従事しており、同社は3社目になるという。同社に入社したきっかけは、1社目2社目で関わった仕事が「衣・食・住」の「衣」だったからこそ、次は「食」に携わる仕事に挑戦したいと思ったことだったという。そんな時に偶然、自宅の近くだった石田老舗の募集を見つけたという賀畑主任。決め手になったのは、面接の時に言われた、「やりやすいように自由にやっていい」という当時の営業部長の言葉だった。歴史ある老舗企業にも関わらず、自由で裁量があり、チャレンジができる環境。自分がいただいたお客様の声に、スピード感を持って対応できると感じて入社を決意。実際に入社してからも、石田社長から掛けられる言葉は「好きなようにやったらいい」「失敗することを恐れなくていい」と挑戦を後押しする声。入社してから果敢に挑戦し、今ではトップ営業として、同社の成長を第一線で支えている。

お客様からの「ありがとう」と、‟結果”にこだわることの楽しさ

自分が掲げた目標を達成した時に、何よりのやりがいを感じるという賀畑主任。だからこそ、案件を獲得し、商品が販売されて「ありがとう」という言葉をもらえた時の快感が忘れられないという。営業は自身の努力が数字として現れるため、プレッシャーも多い。けれども自分が努力すればするほど成果に繋がり、評価が得られる仕事であると語る賀畑主任。成果から逆算した行動を常に心掛けているという。そんな努力家で責任感の強い賀畑主任は、石田社長からの信頼も厚く、大きな裁量を委ねられている。だからこそ、賀畑主任は失敗を恐れずに常に高い目標を掲げている。そこで支えになっているのは、石田社長から日頃言われている「失敗したら、また取り返したら良い」という言葉。お客様の笑顔を見るため、そして会社からの期待と信頼に報いるためにも、賀畑主任は上を目指して努力し続けていく。

自らの手で、売上を倍にしていく

自身の夢について、石田老舗の売上を、今よりも倍に引き上げることだと賀畑主任は語ってくれた。そのためにOEMの拡大や、新規事業の展開を見据えているという。それにあたって大切にしていることは、‟目標を口に出して周囲に伝えること”。トップの成績を誇るからこそ、発言したことは必ず有言実行しなければいけないと自分自身に言い聞かせているのだという。これは、「サラリーマンではなく、自分が経営者の立場に立っているという意識で行動する」という、賀畑主任の強い責任感から来るものであった。だからこそ、入社5年で同社に欠かせない存在に上り詰めたのだ。そして目標達成のためには、仲間の協力が必要不可欠だと感じている賀畑主任。社内へのコミュニケーションも積極的に行っている。売上を倍にするという目標を、常に周囲に語っているのだ。信頼できる仲間と協力し、達成する未来もそう遠くはないのだろう。今後の同社の業績にも注目していきたい。
ヒット商品である
「そばぼうろ」
職人の手で
丁寧に製造されていくお菓子
1999年から展開されている
シュークリーム専門店
クレームデラクレーム

150年の歴史で積み重ねた、信頼と実績の味

御社の商品の魅力を教えてください。

原材料にこだわっているからこそ、お客様に必ず「美味しい」と言ってもらえることです。これはやはり150年積み重ねてきた、お菓子づくりのノウハウがあるからこそだと思います。また、お菓子の流行の移り変わりは早いので、それをキャッチアップして商品に反映していくことにも苦労は惜しみません。商品開発は開発担当と役員で行っていますが、こだわりを持って商品の改良を行ってくれています。私は商品開発に携わることはないですが、お客様に教えてもらったり、SNSをチェックしたり、顧客のニーズを細かく把握することの努力は欠かせません。そんな社員の努力の結果が、お客様からの「美味しい」に繋がっていくのだと思います。

石田老舗で働く上で、どんなことを大切にしていますか?

楽しんで仕事をするということを大切にしています。ここでいう楽しさというのは、努力をして成果を出した時の喜びからくるものです。やっぱりお客様から喜んでもらえた時って、すごく嬉しくて楽しいんですよ。だからこそ、時には辛いこともあるけれど、楽しんで仕事をすることを第一にしています。あと石田社長もそうですが、お客様先の経営者から話を聞くと、「大変なことも多いけれど、楽しく仕事をやっている」という方が多いんですよね。現段階で経営者は目指していないので、経営者ほどの責任の重さを背負うことはないですが、経営者並みの客観的視点を持って、‟楽しむ”ことの幅を広げていきたいと思っています。

夢の実現のために、どんなことに取り組んでいきたいですか? 

私は常にネットでの情報収集や、流行の勉強を行っています。夢の実現には、その積み重ねが大切だと思っています。新型コロナウイルスの流行をきっかけに、全く違う業種のお菓子が売り場に出回るなど、市場は目まぐるしく変化しています。未知なるヒットゾーンがまだまだあると思っているので、そこにどうやって目を向けて、ビジネスチャンスに繋げていくかが大切だと思っています。だからこそ常にアンテナを張り巡らせて、情報をキャッチアップできるように意識していますね。もちろん人との交流で、良い情報をもらえることもあるので、人との出会いやコミュニケーションも大切にしていきたいです。

監修企業からのコメント

この度は取材にご協力いただきまして誠にありがとうございました。取材をしていて、石田社長と賀畑主任の向上心の高さには感銘を受けました。「一菓入魂」と、自社のお菓子に自信とこだわりを持ち、お客様のニーズを追求していく姿から、石田老舗様が150年間愛され続けている理由がわかりました。今後の発展にも注目して参りたいと思います。

掲載企業からのコメント

今回は、取材をしていただき誠にありがとうございました。私たちは和菓子・洋菓子のOEM製造を通して、美味しいの先にあるお客様の笑顔をつくっています。その美味しさの追求に集中できているのは、長年積み上げてきた150年という歴史と、地域から愛されているお客様の存在あってこそだと、改めて感じました。今後も皆様に多くの笑顔を届けられるように精進して参りますので、よろしくお願いいたします。

株式会社石田老舗
1871年
初代石田利太郎により石田商店設立。
1894年
二代目石田亀之助が社長に就任。
1911年
9月亀之助が京都菓盛会初代会長に就任。(当社既存の会員名簿より)
1925年
東洋製菓新聞社により発行(大正14年1月5日発行)されたお菓子の製造書 「和洋菓子製造大鑑(当社現存)」に「そばぼうろ・衛生ボーロ元祖」の広告を掲載。
1945年
三代目社長として、亀之助次男の小林亀次郎が社長就任。宮内庁御用達として、 雪印衛生ボーロの特注を承るほか、宮家にも松葉焼、そばぼうろを納める。
1971年
創業100年を機に石田老舗と改名。
1978年
亀次郎長男小林寛次が四代目社長に就任。
1980年
事業拡大のため南区に新工場設立。
1984年
洋菓子フィナンシェ・マドレーヌの製造を始める。
1989年
第21回全国菓子博覧会にて、そばぼうろが内閣総理大臣竹下登氏より褒賞状を授与される。
1992年
和菓子最中の製造を始める。
1993年
洋菓子ヴァッフェルの製造を始める。
1994年
第22回全国菓子博覧会にて、そばぼうろが寛仁親王より名誉総裁賞を受賞。
1999年
石田老舗発祥の地である烏丸竹屋町の表通りにシュークリーム専門店 「Crème de la Crème」オープン。
2003年
和菓子水物の製造を始める。
2005年
十条工場へ移転並びに石田弘三が五代目社長に就任。
2008年
第25回全国菓子博覧会にて、京野菜フィナンシェが橘花榮光章を受賞。 6月伏見外山工場へ本社を移転。
2011年
クレームデラクレーム六本木店をオープン。
2020年
「まめものとたい焼き」嵐山本店をオープン。
洋菓子サブレの製造を始める。
創業年(設立年) 1871年
事業内容 焼き菓子製造
所在地 〒612-8455 京都市伏見区中島外山町110
資本金 1,000万円
従業員数 135名
会社URL

株式会社石田老舗