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株式会社京浜工業所

常に挑戦を行う それが前進の秘訣

株式会社京浜工業所 代表取締役社長 高井 亨

京浜工業所は、ケイヒン製品と呼ばれる、砥石などの「切る、削る、磨く」製品を製造し、自動車メーカーをはじめとする様々な産業分野に提供している企業。同業他社が代理店を用いることが増えてきている中、ユーザーの生の情報を吸い上げるために「直接販売」にこだわり続けている。そして、その情報をもとに研究開発を行っているが、研究専門員を10名配置するなど、お客様への期待・要望に応えようとする熱い思いが、研究開発から販売まで一貫している。本取材では、高井社長が持つ、会社やこれからの挑戦に対する思いを紐解いていく。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

汗をかき、頭を使って確実に前に進んできた「堅実さ」が根付く。

同社には「汗をかき、頭を使って確実に前に進む社風が根付いている」と高井社長は語る。お客様からの期待・要望に応えるための行動を継続してきた結果だ。その行動の一つとして人に、投資を行っている。同社は社員数117名のうち開発専門社員を10名置き、2016年は1億5千万円を研究開発に費やした。中小企業の売上高研究開発費比率の平均は1.6%だが、同社はなんと10%以上だ。同社の「汗をかき、頭を使って確実に前に進む社風」が見て取れる。また、高井社長が指揮を執り、さらなる挑戦にも着手している。代表的な挑戦として、大学や経済産業省と提携して世界最高峰の研究を行うことと、現場で即改善を行える社員を育て、増やしていくことの2つがある。これらによって、さらに挑戦していける環境と組織を作っていく。研究開発の拡充と、社員育成という新たな挑戦を行うことにより、会社は加速度的に発展していくことだろう。

先代から受け継いできた「直接販売」を貫く。

代理店販売を行う会社が増えてきている中で、「先代からの約束事のようなもの」であるという「直接販売」を貫いていることが同社の独自性だ。創業80年以上の歴史があり、昔から大手顧客の期待に応え続けてきたからこそ、今でも直接販売が行えている。顧客の要望を直接吸い上げて、研究開発を行い、他社に勝る製品を提供するという直接販売ならではの要望への応え方が評価されているのだ。ISOを取得する、検査システムを一流の水準に保つ、などの品質管理ももちろん行っている。だが、大手の競合との価格競争、技術競争が厳しい。そのため、「顧客の声をもとにしたニーズに合った提案」をより高いレベルで行えるように営業マンを育成していき、直接販売の強みをさらに発揮していく方針だ。過去に営業本部長を務め、多くの顧客から信頼を集めた高井社長のもとで育成を行うことで、同社の独自性である「直接販売」を貫いていく。

市場の先を読み、必要とされる会社に発展していく。

「新商品を作り、市場に投入していきたい」と将来について高井社長は語る。今でもオンリーワンの商品を持つ同社だが、「時代に合わせた商品を作り続けることが重要だ」という考えのもと、それに甘えることなく、次のステップに踏み出そうとしている。既に、現在と全く同じ材料を使いながらも、他社と比べて能率を3,4倍に上げられる商品を完成させている。そして、新商品をつくるだけでなく、「信頼される営業マンを育てていきたい」と高井社長は言う。「営業マンを育てるのは難しい」とも話すが、そこは営業本部長を務めていた高井社長の手腕の見せ所だ。これからも社長自ら現場に出ていくことで、市場の先を読み、「時代に合わせた商品」をつくり続け、市場から必要とされる会社を目指す。高井社長は「構想を描くだけでなく、実行できる会社にしていきたい」と意気込む。先を見ながらも、足元をおろそかにしない経営を行っている同社なら必ず達成できるだろう。
主力製品であるケイヒンダイヤ
主力製品であるケイヒントイシ
80周年式典の様子

人を育てることで組織を発展させていく

―経営者として大切にしている考え方は何ですか

やはり、「潰れない会社をつくる」ということですね。従業員にも生活がありますし、お客様にも迷惑をかけてしまいますから、会社を潰さないことが大事です。そのためには、絶対的なオンリーワンの商品を持ち、世界に打って出ていける会社にしていかないといけないと思っています。研究開発に力を入れているのもその一環です。初代社長が「創意工夫」や「やる気」という言葉をよく使っていたのですが、中小企業でやる気をもって創意工夫をすると本当にいろいろなアイデアが出てきます。近年では大学や経済産業省と提携して研究開発を始めました。これからも、研究開発を始めとして「創意工夫」と「やる気」を忘れずに、世界に躍進する会社を作っていきたいです。

―どのような組織を作っていきたいですか

挑戦をスピーディーに行っていける組織にしていきたいです。やはり、「挑戦したいことはあるけれど先送りにしてしまう組織」ではなくて、「挑戦できることがあったらすぐに取り掛かって、継続していくことができる組織」にしたいですね。そのために、中間層の人材を育てたり、入れたりしていきたいですね。特に幹部社員を育てていきたいと思っています。また、挑戦がスピーディーに行えるだけではなくて、中間層を育てることで商品開発もさらに強くしていきたいです。その両方ができれば怖いものなしですよね。大企業にも負けない組織になると思っています。各工場に1人ずつ幹部社員がいるようにしていき、長くても10年で挑戦をスピーディーに行っていける組織を作っていきます。

―人を育てることに対して、どのような考えを持っていますか

基本的なことを教えた後は「信頼して任せていく」ということが大事だと考えています。はじめは失敗すると思いますが、それでも任せていきます。やはり、任せることでやりがいに繋がっていきますから、意欲的に働いてくれて、成長も早まりますよね。ただ、各工場によってうまく任せられているところと、そうではないところの両方があるので、全ての工場でうまく任せられるようにしていくことが経営者の役割だと考えています。加えて、問題が起こったらすぐに解決でき、また、問題を事前に防ぐことができる問題意識の強い人をさらに育てていきたいと思っています。今後はもっと下から相談が上がってくるようにしたいので、階層別に教育をしていきたいと考えています。

人にも仕事にも真摯に向き合う

株式会社京浜工業所 本社工場 工場長 小田倉 由美

京浜工業所の東京本社工場は本社ビル2階にある。外から見ると一見工場があるとは思えない場所に置かれている。今回取材させていただいたのは、その東京本社工場で工場長として勤務されている小田倉さんだ。人や仕事に対して真摯に向き合うことができる小田倉さんは、社内でも働きぶりを評価されてグループ長になった。そこから副工場長を経て、今年の1月に工場長に就任して現在に至る。高井社長から「冷静で中立な立場から物事を判断できる」と評される通り、社員とパートとを区別せずに、公平性を持って評価できる。それが小田倉さんの魅力の1つである。製造業は男性が多い中、女性工場長として先頭を走り、会社の組織を改革し続けている小田倉さんにお話を伺った。

伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い

入社したのは偶然。そこから管理する立場に。

入社したのは今から13年前。前職では管理職を行っていたが、管理職は大変で苦労が多かっため、働きやすい環境で仕事をしたいと思い、偶然京浜工業所を発見してパートで入社することになる。実際に働いてみると、役員との距離が非常に近いことに驚いた。どの立場の人であっても意見をまず受け入れる、伸び伸びと仕事をさせてもらえる環境であった。最初は失敗をしても仕事を任せて社員の成長を促していく京浜工業所の特徴といえるであろう。「中途入社だから見えるところがあった」と小田倉さん。前職では管理職を行っていたこともあり、ただ作業を行うだけではなく組織全体の動きに対して俯瞰的に見ることができた。その姿勢が社内でも認められて、この会社でも管理する立場に変わっていく。現在は製品に関して工程ごとに見回り、納期遅れが生じないように管理を行っている。時間を効率良く使い、良い製品を提供する小田倉さんの熱意は、今日も会社をリードしている。

どのようにしたら更に良い方向に向かうのか考え提案する

やりがいは「何かを提案してそれがうまくいくこと」と話す小田倉さん。仕事にアクシデントが生じた場合、どのようにしたら良くなるのか改善方法を考えながら仕事をしていた。正社員に登用された後に4年目でグループ長となったが、その当時をこう振り返る。「現場での不良が多く改善するべきところが多かった」と話した。京浜工業所は製品を手作りで製造している。そのなかで不可抗力なミスもつきものであるが、お客様の納期を守り良い製品を提供することを大切にして、月にいくつか発生していたミスを誰がどのようにミスしたのか、原因を見える化するしくみを提案した。その案が採用されて実行したおかげで、社員の製造に対する意識が高まり、ミスを削減することができた。更にミス0運動を掲げ、社員が一丸となり取り組んでいる。現在では、多くの月がミス0件になるほどの改善がされている。また、女性でも活躍できるこの環境に、小田倉さんは大きなやりがいを感じている。

いかにして後任者を育成するか考え、それを実践させるか

創業から80年を迎えてこれからも多くのメーカーに、優れた製品を提供していく京浜工業所。その製品を作る最前線にいる小田倉さんは、これは義務でもあるとも話した夢がある。「とにかく後任者を育てる」ことだ。中間層がいないということもあり、いかにして後任者を育てていくのかを常日頃考えている。「必ず後任者を育成してから辞めたい」とも話している。現在、後任者候補に一つずつ題材を与えながら育成をしている最中とのことだ。会社の重要事項として改善提案といわれる制度が、8年近く続いている。その改善提案を自らで考えさせて、実践的に教育を行っている。現在、会社内では女性が少ないが、いずれかは小田倉さんのように役職につく女性が現れることを期待している。また、「社内の業務を効率良く行う改革を進めていきたい」と小田倉さんは語った。どのように夢を実現していくのか目が離せない。これからの京浜工業所も未来が明るいであろう。
京浜工業所の製品 大手メーカーでも使用されている
SDドレッサー
電着工具

自分自身がその会社でどのようのになりたいのか

―仕事をしている中で大切にしていることは何ですか

公平性です。これは社員であっても、パートであっても関係無いです。公平にすることが大切です。自分が別の会社で働いていて管理職でない立場でいた時に、自分が何を管理職の方々に求めていたのかといえばこの公平性です。人を評価するにあたり、好き嫌いとかの感情が入ってしまう場合や、裏方でお仕事をしていて成果が見えづらいなどあるかと思いますが、そこでも公平性を第一に正当な評価していくことが重要です。その中で社員との距離も、近すぎず遠すぎず一定の距離を保っています。ダメなものはダメと時には厳しく言わなくてはいけないですが、そこでも自分が逆の立場であったらどうなのか常に考えて、私自身も傲慢にならないようにしています。

―社内に男性が多い中、役職に就くことに不安などはありましたか

不安はありませんでした。ただ、最初にグループ長になる時は、役職に就きたいとは正直思っていませんでした。もし社員に専門的なことを聞かれても、正しいか判断できるかわからなかったからです。また入社して4年目だったので、最初から指示が通るのか疑問に思いました。しかし、「女性ならではの観点で、組織の細かいところまで見て管理をして欲しい」との会社からの要望により決意しました。1年間は準備期間として1つずつ工場長から移管できる仕事を自ら行い、真摯に向き合うことを心掛けました。そのおかげもあって周りからサポートもいただけるようになり、こちらからの指示もうまく伝わるようになりました。

―これから入社してくる若手人材にメッセージをお願いします

自分自身がその会社に入って何がしたいのか、将来像をしっかりとイメージしていることが大事だと思います。仕事に取り組む姿勢も受け身ではなく前のめりで取り組む事で、自然と周りからも応援されると思います。どこの会社に入っても最初は難しいかもしれませんが、自分がどのようにしたいかある程度将来像を、持っている事も非常に大切だと思います。この会社は土台がしっかりしているので、安心して働くことができます。80年の長い歴史の中でお客様に良い製品を丁寧に供給したことで、私達とは比べ物にならない大手メーカー様からも信頼を得て、お付き合いができています。女性が活躍できる環境もあるので、是非一緒に働きましょう。

監修企業からのコメント

常にお客様に寄り添い、数多の産業分野に製品を提供している京浜工業所様。先代から受け継いできた「直接販売」も、お客様の期待に応えて続けてきたからこそできることであると思います。時代のニーズに沿った製品を作り続け、挑戦できるならすぐに行動していく京浜工業所様の今後に目が離せません!

掲載企業からのコメント

この度は取材をしていただき、ありがとうございました。取材の際、質問に答えていくなかで、改めて弊社の社員に伝えたい会社の歴史や思いを確認できました。また、皆さまに知っていただきたい弊社の強みを発信できる良い機会になりました。新たなオンリーワンの製品の開発に挑戦し、必要とされる会社を目指して努力して参ります。

株式会社京浜工業所
1936年 創業者高井祐太郎が東京都中央区に、当社の前身である高井工商を
        創業国内初の軸付砥石の製造開始
        翌年研削砥石量産開始
1941年 株式会社京浜製砥所に改称
1944年 現社名 株式会社京浜工業所と改称
1946年 研削砥石研究所を設立して、品質の向上を図る
1955年 業界初のJIS表示許可工場(第4337号)となる
1957年 インドに研削砥石のプラント輸出と技術援助を成功させる
1961年 自社技術による画期的な焼成炉を完成し、品質の更なる安定と
        めざましい実績をあげる
1962年 レジノイド砥石の製造開始
1963年 静岡県森町に静岡工場設立、研削砥石製造開始、翌年営業所開設
1970年 栃木営業所開設
1972年 山形営業所を開設
1979年 山形県天童市に山形工場設立、研削砥石製造開始
1984年 山形工場にて、ダイヤモンド工具製造開始
1993年 本社ビル竣工
1997年 QB(セラミック)砥石専用全自動焼成炉増設
2000年 耐磨耗冶具の製造開始
2003年 弊社の「希土類のカッティングのための超硬極薄ダイヤモンド
        カッターの開発」事業が、東京都中小企業振興公社の平成15年度
        東京都地域産業集積活性化研究開発費等補助事業として認定
2004年 山形工場設備増強
2006年 本社 ISO9001 認証取得
2009年 高精度加工用SDホーニング砥石を開発し、市場展開
        弊社の「光ファイバ(石英ガラス)切断用ダイヤモンド切断刃の
        開発」事業が、経済産業省の平成21年度ものづくり中小企業製品
        開発等支援補助事業として認定
        弊社の「光ファイバ(石英ガラス)切断用ダイヤモンド切断刃の
        開発」事業が、経済産業省の平成21年度ものづくり中小企業製品
        開発等支援補助事業として認定
2010年 弊社の「高能率研削用ダイヤモンドホイールの開発」事業が品川区
        工業活性化支援事業として認定
2011年 弊社の「任意曲線刃先形状の極微細総型ダイヤモンドバイト製造
        技術の開発」事業が、経済産業省 関東経済産業局の平成23年度
        戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン)として認定
2012年 弊社の「超精密ダイヤモンドバイトの開発」事業が品川区工業
        活性化支援事業として認定
2013年 弊社の「有効範囲増大型超精密ダイヤモンドバイトの開発」
         事業が、品川区工業活性化支援事業として認定
        弊社の「ベアリング用超仕上げ砥石の開発と生産効率化」事業が
        経済産業省の平成24年度ものづくり中小企業・小規模事業者試作
         開発等支援補助事業として認定
2014年 弊社の「新素材に対応したレジンメタル複合砥石の開発」事業が
        経済産業省の平成25年度中小企業・小規模事業者
        ものづくり・商業・サービス革新事業として認定
2015年 弊社の「研削砥石の高強度タイプ結合剤の開発と低温焼成による
        生産コスト低減」事業(最新の全自動焼成炉を導入し実施)が
        経済産業省の平成26年度中小企業・小規模事業者
        ものづくり・商業・サービス革新事業として認定
        弊社の「単結晶ダイヤモンド精密任意曲線バイト」事業が品川区の
        メードイン品川ブランドPR事業として認定
2016年 研削能率3倍(切込み3倍可)の超ウルトラポーラス砥石を
        市場展開
2017年 「ローフリクションソフトメタルダイヤモンド砥石の開発」事業が
        経済産業省の平成28年度革新的ものづくり・商業・サービス開発
        支援事業として認定
創業年(設立年) 1936年(1941年)
事業内容 研削砥石、ダイヤモンド工具の製造・販売
所在地 東京都品川区東大井2-13-8 ケイヒン東大井ビル
資本金 5,000万円
従業員数 117名
会社URL

株式会社京浜工業所