ホーム

 > 

掲載企業一覧

 > 

岡谷セイケン株式会社

岡谷セイケン株式会社 代表取締役社長 増田孝一

1963年、諏訪湖に隣接された歴史ある工業都市で、創業者である小松弘和氏によって興された岡谷セイケン株式会社。同社のメイン事業は高い自動旋盤加工技術と研削技術により、自動車用AT部品や油圧部品、直噴式高圧ポンプ用部品などの精密部品を製造している。
「東洋のスイス」と呼ばれるほど金属精密部品の製造に適した環境の岡谷市で、創業以来、現在に至るまで人々の生活の根幹を支えてきた。
「高精度・高品質・技術力」をポリシーに掲げ現在は海外進出も果たし、よりグローバル化する世の中で中小企業のリーディングカンパニーのごとく飛躍する企業をけん引する増田社長にお話を伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

製造業屈指の人間力。打算なしの気遣いをお互いに。

岡谷セイケンの社風について増田社長は「人がいい」一言そう話した。そしてこう続けた。「10人程度の中小企業が成長して大きくなった会社のよう」だと。少人数でしっかりとしたコミュニケーションをとり、全社員がお互いに理解し合っている部分が少数で経営している会社のイメージだが、大きな会社になればなかなか難しい。岡谷セイケンでは地方にある複数の工場も含めて、良好な人間関係が形成されている。その根幹には社員一人ひとりの「人がいい」があるという。社屋の引っ越しがあれば何も言わなくても手伝いに参上する社員がおり、社員が体調を崩したときに当たり前のように見舞う上司がいる。そんな理想ともいえる環境を作り上げているのは岡谷セイケンの中に育まれている会社で起こる事象を、他人事でなく、会社事と捉える文化ではないだろうか。ある工場で起きた納品物のトラブルを、100㎞以上離れた工場でフォローするなど「自工場の納期」ではなく「会社としての納期」と捉えることができるというのが最大の強みであり誇れる社風だと増田社長は語った。

既存の考え方からの脱却と、一人一人の未来に可能性を。

「アルバイトはどれだけ頑張ってもずっとアルバイト、パートに関しても同じでこれからの未来が可能性のないものだと思わせたくない。だから岡谷セイケンでは勤続年数や上長の推薦などで準社員、社員とキャリアアップできるような仕組みを活用しています。誰にでも平等にチャンスがあると思ってもらいたいからです。」独自性として増田社長が挙げたことはアルバイトやパートの雇用状態や社内のキャリアアップに関するものだった。岡谷セイケンでは、入社したら新卒も中途も学歴も一切関係ないといった、現在の企業では珍しいともいえるスタイルを貫いている。高卒も大卒も同じように評価される社内のシステムは、日本古来の文化より海外の考え方に類似するものであり、社員一人ひとりの潜在能力を引き出し、モチベーションを上げる効果が見込まれる。結果、社員個人の未来への可能性を大切にするといった独自のスタイルを構築できている。「中途でも頑張ったらどんどん上に上がっていける。だって私がそうだったから」と話した増田社長。決められたステップではなく個々の努力で今後のキャリアを形成できるといった点が最大の独自性だろう。

展望について

展望について増田社長は「製造業は研磨や、精密、切削、挽物など一つひとつが専門的な要素が強い業種であるため、その中で例えば精密をメインの業務としながらも研磨の分野に挑戦したり、他分野に積極的に取り組む動きをすることで行える業務の幅を広げていけると思っています。」と語った。「今年は社会情勢が大きく変化しているから売上の目標達成は難しい。それであるならば、今後に向けての準備期間と考えて、革新的な取り組みを行っていこう。」現状について冷静に分析し把握したうえで明確な展望を持つ増田社長。革新的な取り組みの一つが製造業として参画できる専門分野を広げていきたいということだ。今までと同じことをしていたら会社としても成長をしないし、常に新しいことを取り入れて進化をしていかないと変化していく製造業の世界で戦っていけないと見据えている。「これからEV化が進み、弊社の製品が部品として利用される機会が減っていくと思いますが建機や農耕機、さらにできることを増やすことで乗り越えていきます。」製造業の社長としての矜持が垣間見える具体的な展望だ。
1963年6月 長野県岡谷市にて創業
岡谷セイケン 社屋外観
岡谷工場 内観

製造業の今後の在り方~増田社長が思う未来は

増田社長の経歴を簡単に教えてください

私が入社したのは、33年前です。中途採用で入社して営業から始まり、経理や総務などを経験し現在に至っております。工場上がりではないため学ぶことは多くありました。これまで一生懸命学びながら仕事をしてきたこともありますが、今社長という立場にあるのは運もあったじゃないかと思います。頑張ってもポストが空いていない場合出世していくのは難しいし、タイミングも良かったのでしょう。私は創業者の血縁ではないのですが、社長を務めることになりました。これは岡谷セイケンの特徴というか良いところだと思う部分で、学歴や勤務年数などいわゆる評価項目に多い要素以外にも評価してもらえるものがあるということですね。

増田社長が今、一番重要視していることを教えてください

一番重要だと考えていることは、月頭に決めた短期目標や中長期的なビジョンに基づく目標を達成することではありません。もちろん的確な目標を定めて一致団結して進んでいくことが必要ないと言っているわけではなく、ただ私は「会社を存続させる」という部分に重きを置いています。達成しなければいけない目標も、働くことで得られる満足度も会社が存続してのことだと思います。あともう一つ大切にしていることがあります。既存の考え方に縛られない・捉われないということです。数字が設定されている規則に関しては変えることができませんが、一緒に働く社員の気持ちや全員で協力して行う物事に対して価値観で動けるということは今後の岡谷セイケンにとって、とても大切にしていきたい企業文化のようなものだと思っています。

岡谷セイケンが発展してきた理由を教えてください

カセットやビデオなどの日常生活をするうえで利用するもの、またはバギーやパチンコ、カラオケの音響設備といった趣味の分野で利用されるものなど、時代のニーズに合わせた供給を意識して行ってきたことが発展してきた要因なのではないかと思います。そして運やタイミングももちろん重要な要素になっています。あとは、会社にとって大切なことを見失わないようにしたことですね。会社における財産である社員を大切にして辞めさせない、一致団結して目的に向かって進んでいく。当たり前のことですがとても大切にしなければいけない部分だと考えています。あらゆる部分に利用されている弊社の製品をしっかり理解することでもっと活躍できる場所があるという思いを持って今後も業務に臨みたいですね。

製造過程に楽しみを見出す、 会社の未来を担う営業部長

岡谷セイケン株式会社 取締役執行役員 営業部長 横須賀達雄

今回、お話を伺った営業部の横須賀取締役は大学まで製造業とは無縁の環境を歩んできた。自社を深く理解するために、岡谷工場や秋田工場で住み込みとも呼べる研修を行い、その後、本社に戻り現在に至る。時には本社と工場という業務内容や考え方の異なる場所のパイプ役となり、両方をつなぎ合わせ一つにまとめていく。趣味の自転車競技でパーツを扱うことが好きだったこともあり、製造業の世界が持つ魅力に気づくまでさほど時間はかからなかったという。今後変わりゆく社会を乗り越えていくであろう岡谷セイケンの未来を任された横須賀取締役は、今何を思うのだろう。今回は入社の経緯、やりがいや夢など横須賀取締役が描く会社の未来予想図を伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

未知の楽しみが宿る仕事へ 導かれた製造業への道

横須賀取締役の入社理由はもともと趣味で自転車競技を行っていた時、自転車をカスタマイズする上で必要な「パーツ」を扱うことが昔から好きだったといういわゆる「製品を愛する気持ち」を持っていたことだという。その気持ちは入社当時、営業職で入社したものの、研修で岡谷工場や秋田工場を訪問した際に「ものづくりって楽しそうだな、やってみたいな」といった願望を抱いたことからより大きくなっていったと語った横須賀取締役。そしてもう一つの理由はきっかけをくれた人との出会いだった。大学在学中は製造業と無縁の道を歩んできて、絶対製造業がやりたいという強い願望も当時は持っていなかったという横須賀取締役は、恩人ともいえる人に出会い導かれるようにして製造業の世界飛び込んだ。専門学校から大学を経て入社したという非常に勉強熱心な性格は「ものづくり」を主とする製造業において最適であり、営業という異なる部署に在籍していても「ものづくり」に対しての情熱を持ち業務に取り組む姿は、「製造業」に導かれたように見える。それが最大の入社理由なのだろう。

当たり前の事こそ大切に。成長と共にあるやりがい

基本的にお客様との取引において、難しい部品を決められた納期で納めるという基本であり一番重要なことをやりがいとして挙げた横須賀部長。「お客様から発注頂いた緊急性の高い製品を、どうにかして間に合わそうとアイデアを出し合ったり、工場に現在の業務を止めて優先的に制作をしてもらうようお願いをする中でのコミュニケーションが一番印象に残っています。」と言う。時には営業部にも関わらず遠方の工場に直接製品を取りに伺うこともあると言うが、納期に間に合わせることができたときにお客様から感謝される喜びという点も大きなやりがいの一つとして答えてくれた横須賀部長。年齢が上がるにつれ信頼関係を構築する手段の幅が広がり、会社や共に働く社員たちに対しての接し方、そして自分自身の表現力やコミュニケーション能力が成長していると感じられる部分は大きなやりがいであると共に、今後も大切にしていきたいと思っています」という「やりがい」の中にある「成長」についても垣間見えたお話だった。

より良く発展した岡谷セイケンを次世代に

「夢は大きく2つあります。一つ目は弊社の主力である自動車部品が占める比率を変えることです。」冒頭から自動車部品という岡谷セイケンの屋台骨と言っても過言ではない製品について言及した横須賀部長。その背景には、今後の自動車業界の動向を注視している様子が伺えた。「自動車のEV化が進むにつれ、使用するパーツの数も減少していくことが想像される中、このままでは下降線の一途を辿ってしまうのではないかという危機感があるんです」と言う。自動車関連の比率を建機や農耕機などにシフトしていくことで、会社を守っていきたいという考えだ。さらに「海外の新規取引先を増やしていきたいと考えています」という2つ目の夢も挙がった。ベトナムに工場を持ち、グローバルなマーケットで奮闘する岡谷セイケンは、更なる展望として海外と取引を強化していきたいという方向性を持つ。「いつか家族や友人に、岡谷セイケンの製造した部品が使用されている自動車やその他の製品を見ながら説明したいですね。」と語る横須賀部長。岡谷セイケンの更なる発展こそがなにより望む夢だと確信させてもらえる話の内容だった。
岡谷セイケン ベトナム工場 外観
岡谷セイケン ベトナム工場 内観
高い切削技術と研削技術により自動車用部品の超精密切削部品を製造

製造業の雄、岡谷セイケンの革新的な取り組み

この先、横須賀部長が取り組みたいと思うことを教えてください

今までは、月頭に決めた納期を守るという意識が強くて、難しい図面だったり緊急性の高い製品に対して、難色を示す傾向にありました。でもそれでは新しいことにチャレンジできないと思ったので、岡谷や秋田の工場へ出張に行った際に工場長との食事のなどで営業部としての考えだったり自分の思いだったりを示すようにしています。難しいからできない、やりたくないといった考えから、「難しいけど何とかしてできないかな?ギリギリでもできることならどんどんチャレンジしていこう。」私は難しくてできないという固定観念の脱却ができれば、会社としてもどんどん事業を展開していけると思っています。岡谷セイケン自慢の技術力を駆使して誇れる製品を作り、世の中に率先して発信できるような会社になりたいと思っています。

岡谷セイケンの若手育成方法教えてください

岡谷セイケンでは、主に高卒の採用に力を入れています。製造業においてエンジニアを育成することはとても難しいと思っていますので、新入社員には入社してすぐに研修で大手機械メーカーなどに出向してもらいます。そこで2年ぐらいの期間で機械設備の扱い方から修理に至るまであらゆる経験を積んでもらい戻ってきてもらうという育成方法をとっています。技術力を向上させるには、長年培ってきた現場の先輩社員から得られるノウハウも大事ですし、製品や部品に対しての知識も必要だと思います。技術力と知識が身につけば、社員一人一人がどんどん新しい提案をできるようになる。難しい図面に対応できる技術を持つことで、これまでの業務に対するクオリティの向上と製造業としての幅を広げていきたいです。

横須賀部長が感じる岡谷セイケンの魅力を教えてください

岡谷セイケンの魅力に感じる部分は社員の人間性ですね。一人ひとりが仲間のことを考えた言動、行動がとれるということは誇るべき企業文化だと思っています。規則や簡易的なルールはもちろん大事ですが、その人に今必要なものは何だろうと各自が考えて自発的に動くことでチームワークというか一体感が形成されていると思います。あとは時代のニーズに合わせた柔軟性ですね。ビデオやカセットなどから自動車部品へのシフトチェンジなど、製造業の常識に捉われない進化を遂げてきました。求められるものが目まぐるしく変わっていく中で大切にしている考え方は、お客様が求めているものは何か、そして良い製品と迅速な納品・納期に対しての意識を社員で共有し常により良い製品の制作を心掛けているということです。直面する大小様々な問題点を確実に解決していき、常に進化してく会社だと思いますし、これからそう在り続けていきます。

監修企業からのコメント

abe

この度は、取材をさせていただきましてありがとうございました。社風に関する質問の際に「人がいい」というお答えを伺った時、岡谷セイケン様の社内環境の良さと全社員の共通認識がしっかりと構築されている企業様だと感じました。日本のみならず世界中で今後も引き続きグローバルな活躍をされることを確信しております。

掲載企業からのコメント

この度は取材をしていただきありがとうございました。
会社について思い出しながら話すことで、客観的な視点で自社を見つめるいい機会になりました。社会の変化に対して柔軟な対応ができるようになることで岡谷セイケンの発展に繋がると思っております。弊社の「ものつくり」を世界に発信できるよう今後も精進して参りますので、これからもよろしくお願いいたします。

岡谷セイケン株式会社
1963年 長野県岡谷市川岸1782番地で小松弘和個人創業
1966年 法人改組「有限会社岡谷精機研究所」代表取締役に小松弘和 就任
1977年 本社工場新設
1982年 組織変更「岡谷セイケン株式会社」とする
1991年 秋田県十文字町仁井田八萩82番地に秋田工場新設
2002年 OKAYA VIETNAM ベトナムホーチミン市に現地法人設立
2008年 本社を横浜市金沢区鳥浜町3番地12に移転
      代表取締役に小松充明 就任
2016年 横浜市優良工業事業所市長表彰受賞
2018年 代表取締役会長に小松充明 就任
      代表取締役社長に増田孝一 就任
創業年(設立年) 1966年
事業内容 ・精密切削部品製造/販売
所在地 神奈川県横浜市金沢区鳥浜町3番地12号
資本金 4,100万円
従業員数 国内125名 海外650名
会社URL

岡谷セイケン株式会社