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ムソー工業株式会社

ムソー工業株式会社 代表取締役 尾針徹治

ものづくりの原点、材料。そんな材料の強度、耐力を測定するための試験片、試験治具をつくる企業が大田区京浜島にある。70年の歴史を持つ、ムソー工業だ。始まりは1950年、「武蔵工業大学」で機械加工について指導をしていた創業者である尾針嘉一氏は、材料試験の支援を専門的に行う組織として、同社の前身、「武蔵工業研究所」を立ち上げた。この材料試験を経て、材料が世に送り出され、ものづくりの現場で「安全」「安心」な製品がつくられていく。「安全」「安心」な製品の根幹、最新の材料の試験に必要な実験器具をすべて提供することが同社の事業内容である。「安全」「安心」に暮らせる社会をつくるため、まだ誰も加工をしたことがないものへの挑戦を続けてきたムソー工業の今後の展望、ものづくりへの込めた想いについて3代目尾針徹治社長にお話を伺った。

安全・安心な社会の実現に 挑戦で応えたい

新素材に挑戦し続ける文化

ムソー工業には、挑戦し続ける文化がある。同社の仕事は、研究者の伴走者となり、研究者と共に未知なる素材に挑戦し続けることだ。材料を正しく試験するための試験片、試験治具づくりを70年続けてきた同社。もし、試験によって正しく評価された材料が使われなければ、乗り物、建物、使っているあらゆるものの信頼は失われ、安心して乗れない、安心して使えないものとなってしまうだろう。だからこそ、正しく評価され、安全の保障が欠かせない。大学教授から依頼を受けるのは希少な材料の加工。通常の加工であれば、加工表が存在しておりそれに沿って作業を行うことができるが、同社の扱う新素材は未だ加工表が存在しない、名前のない材料。だからこそ、一人ひとりが新素材の加工方法を今までの経験を基にした知恵と指先の感覚を駆使して、”ありえない納期”での加工を行う挑戦を続けてきたのだ。新素材に挑戦し続ける同社から目が離せない。

生活を支える安全・安心の最後の砦として

「社員一人ひとりがこれまでの未知の素材への加工経験を駆使して、挑戦することがムソー工業の強み」と尾針社長は話し始めた。普段、私たちは使用する乗り物や生活する建築物、いつ落ちるか分からない、いつ崩れるか分からないと毎日不安を抱えながら生きている人はいないだろう。それはものに対して安心しているから。その安心の背景にいるのが同社だ。同社の事業はミスが許されない。どれくらいの力に耐えられるのか、時が経つことで生じる劣化や腐食はどれくらいの程度なのかを試験することで確かな「安全」が保障される。同社の社員が扱うのは特殊な機械ではない。同社の社員のこれまでの経験で、機械を自在に操り、加工する。例えば、3ミリ×3ミリの切削加工の依頼に対しても、社員自身が培ってきた経験と指先の感覚から結果で応えてきた。社員全員が会社の財産であり、お客様の要求を超えた結果で応え続けていくプロフェッショナル集団として、今後も同社は私たちの日常を支える「当たり前の安心」を守り続けていくであろう。

本当の豊かさの実現を目指して

尾針社長は「人の手で『安全』『安心』が保障された本当の豊かさを実現したい」と熱く語った。現代の世の中では多くの製品が溢れているが、そんな時代の中で、本当に「安全」「安心」が保証されているものがどれだけあるだろうか。「ART」という言葉を辞書で引くと「芸術」の他に「人工物」という意味がでてくる。これは、元々は芸術作品も産業製品も同じ意味であったという証拠である。「『ART』、本来の意味をムソー工業の『ARM』(人の手)から生み出していきたい。」と語る尾針社長。海外からのロジックでは説明できないセンスや感覚、忍耐、正確さを通じ、高い品質を維持し続ける日本のものづくり。人の手を使ってつくった材料からできるものを使用するすべての人に「安全」と「安心」を届け、ものだけではなく心も豊かになるものづくりを同社は追求し続ける。
工場見学も積極的に
受け入れている
工業地帯でアート
「鉄工島フェス」
東京大学と共同研究も


安全・安心を守るものづくりを支える

貴社で最も大切にしている考え方について教えてください

私たちの根本にあるのは「安全性の評価」を行うこと。戦後間もない1950年に軍需産業のために研究されてきた「材料学」こそが今後の暮らしを支える鍵となると考えたのが私の祖父であり、創業者の尾針嘉一です。その背景にあるのは、やはりきちんとした材料でものづくりをしなければ、使用者に迷惑をかけてしまうということです。家を建てよう、橋をかけようと思っても、きちんとした材料でものづくりを行わなければ、家に住む人や橋を渡る人を不安や危険に晒してしまいます。だからこそ、私たちはきちんとした材料を使用して、安全性を寸分違わずに評価するという使命を大切に仕事に向き合っています。

貴社は今後どのような企業を目指しているのか教えてください

製造業の地位向上に貢献できる会社でありたいと考えています。最近はAIやロボットなどの工作機械は日々進化していますが、その機械を生み出し、進化・発展させているのは人間です。それにも関わらず、製造業に残る3K(きつい・汚い・危険)のイメージは今だに残っており、多くの製造業では人材の確保が難しい現状があります。この現状を変えるために、2019年から現役の工場をアーティストに提供し、ものづくり×アーティストの融合の場となっている「鉄工島フェス」にも参加しています。この3Kのイメージを払拭し、3M(モテる・儲かる・認められる)へイメージを変えていくことで製造業の地位向上に貢献していきたいと考えています。

貴社の社名の由来について教えてください

ムソー工業の「ムソー」には様々な想いが込められています。元々は、武蔵工業研究所の「武蔵」をカタカナで表記するという時代の流行りに乗り、「ムソー」としたことが由来となっています。この「ムソー」に天下無敵の「無双」や夢を想像する「夢想」など様々な想いを込めて創業から約70年挑戦し続けてきました。会社のロゴ「MUSO」の「O」の文字には、三方よし(買い手良し・売り手良し・世間良し)の精神が込められており、カタカナの「ムソー」の「ム」で表現しております。こうした社名にも先人たちの想いを理解し、さらにより良いものづくりを実現していく挑戦の精神が宿っています。

日本の産業を ものづくりから支えたい

ムソー工業株式会社
製造 小井土 延隆様
営業 坂本 涼太様

今回の取材で、お話をお伺いしたのは製造の小井土延隆さん(左)と営業の坂本涼太さん(右)のお二人。お二人とも、同社のものづくりを支える姿勢に共感し、入社を決意。入社28年目の小井土さん、中途社員として入社されたばかりの坂本さんのお二人は、部署は違えど、ムソー工業の未来を創るため、日々仕事に励み続けている。同社で脈々と受け継がれてきた「挑戦」する精神に強く共感し、その精神を継承されているお二人。ミスの許されない仕事内容の中で、高い技術力と豊富な経験を駆使して日本のものづくりを支える仕事に真摯に向き合うお二人に仕事に懸ける想いと今後の展望について伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

ものづくりを通して日本人の誇りを感じたい

「ものづくりを通して日本人の誇りを感じたい」と語る坂本さん。日本の産業を支えるものづくりがしたいと思い立ち、製造業の道に転職することを考えていた時、同社と出会った。尾針社長との面接時に、同社の仕事内容である「製品を売る仕事ではなく、研究者の功績を黒子として支えるニッチな部分を担っている」ことを聞き、これこそがものづくりの根幹であり、やりがいのある仕事であると感じ入社を決心したという。依頼される研究者に加工方法の可能性をわかりやすく伝え、新素材の加工の一翼を担えることを入社後にやりがいとして感じることができる同社の営業の仕事。「日本人にしかできないMade in Japanを追求し、今後も世界に誇るものづくりを営業の部分から支えていきたい」と坂本さんは語る。

ミスが許されない仕事だからこそ、成功した時の達成感が大きい

「他社ができないというほど高難度の仕事に挑むからこそやり遂げた時の達成感がある」と小井土さんは話す。世の中に2つとしてない材料など、貴重な素材を加工する仕事だからこそミスが許されない。例えば、材料開発のため、金の延べ棒を加工してほしいという依頼があった。教授が見守る中、一度きりの挑戦。切削加工中に発生した金紛まで気を配る必要があり、「今まで経験してきた加工の中で最も緊張した」と小井土さんは語る。どうすれば顧客の求める加工が実現できるか、これまでの仕事で培った経験に基づく指先の感覚と知識を駆使して、小井土さんは依頼を全うした。今後も、更なる新素材の加工に対して、ひるまず、常に挑戦する心とそれに裏打ちされた確固たる経験を武器に小井土さんは更に技術の高みを目指していくだろう。

ムソーの高い技術力を後世に継承していきたい

若い世代へ技術を継承していきたいとお二人は語った。ムソー工業の社員1人ひとりがプロフェッショナルだからこそ、その技術を紡ぎ、後世のものづくりをさらにより良いものにしていきたいと強く願っている。現在、同社では、若手社員が入社した際は、簡単な素材の切削加工から任せて、多くの経験を積んだのちに高難度の素材の加工を行ってもらう教育フローを取っている。小井土さんは「自分自身が経験してきた技術を後世の未来ある若者にバトンをつないでいきたい」、坂本さんは「ムソー工業の高い技術力を若い世代に継承できるように自分もさらに成長できるように挑戦していきたい」と話す。この二人を筆頭にムソー工業は新しい仲間を加え、日本のものづくりの土台を形成する材料試験を将来も守っていくだろうと、取材を通して確信することができた。
「下町ボブスレー」
プロジェクトにも参加
若手の育成にも力を入れている
ムソー工業製
1200トン引張試験機

ミスが許されない仕事から生まれた挑戦する社風

貴社で働く上で大切にしている想いについて教えてください

「できない」は言わないという挑戦の精神は全社員が持っていると思います。自分たちが経験してきた切削加工の感覚とどうやって加工を行えば成功するかを考える2つの想いが合わさった挑戦の精神は先代の時代から継承されていますね。例えば、「他社で難しいから断られたこの素材を加工してほしい」という依頼に対しても、弊社では引き受けて、加工をやり遂げることができた事例も多くあります。今後も新しい素材の切削加工に挑戦し、日本のものづくりの根幹を支え続けていきたいと思っています。

ものづくりを根本から支える貴社の誇りについて教えてください

完全で安心してもらえるものづくりに誇りを持っています。弊社のものづくりは、試験片の製造が主製品であるため世の中に出回ることはないです。しかし、様々な製品の完成までの過程には必ず、材料の強度試験は実施されており、そこに携わっている自分たちの仕事にすごく誇りを持っています。日々利用されている公共物や乗り物など人の命に係わるものづくりの原点を自分たちが担っている。普段目に触れるあらゆる製品の完成までの過程に今後も関わっていけることは何よりもやりがいになっています。

貴社における社員同士のつながりについて教えてください

社員同士のつながりが深いことはムソー工業ならではだと感じます。高い技術力が必要であり一人もミスが許されない緊張感のある仕事をチームで行うからこそ、深い信頼関係が築けていると思います。自分の役割以外の仕事であっても、チームで完成まで持って行くことに責任と誇りを全社員が持っているので、互いを信頼し合うことができる。これには、仕事以外でも沖縄や北海道に毎年社員旅行に行くことで、普段の仕事では見えない一面も共有できていることも理由の一つではないでしょうか。今後もこの社員同士のつながりを武器にチームで難素材に挑戦していきたいですね。

監修企業からのコメント

研究者の伴走者として、ものづくりの第一線で活躍するムソー工業を取材できたこと、とても嬉しく思っています。お客様からの絶大な信頼を受けている背景にあるのは、長年培ってきた「挑戦」の社風でした。お客様の要望に応えるためにチームとしてそれぞれが「挑戦」のバトンをミスなく繋ぐ、日々の仕事に邁進してきた歴史の積み重ねが、進化し続けるムソー工業をつくっているのでしょう。

掲載企業からのコメント

取材、掲載ありがとうございました。今回の取材記事をきっかけに会社の歩みについて社員に知ってもらう良い機会になったと感じています。求職者の皆さまにも弊社を知ってもらう良い機会になるのではないかと思います。未来を共に創る方々と出会えるのを楽しみにしています。

ムソー工業株式会社
1950年 5月 武蔵工業大学で工業を指導していた尾針嘉一が
東京都品川区にて武蔵工業研究所として創業
1963年 8月 株式会社に改組し「ムソー工業株式会社」に社名変更
1967年 10月 川崎製鉄株式会社に1200トン引張試験機を納入
1979年 4月 大田区京浜島に移転
1979年 12月 同業他社にさきがけてNC旋盤を導入
1980年 4月 日本溶接協会認定工場となる
1983年 11月 京浜島に第2工場を開設
1984年 3月 マシニングセンターを導入 東京都知事賞受賞
2000年 6月 尾針輝男が代表取締役に就任
2005年 1月 優工場認定取得
2009年 9月 エコアクション21認証取得
2012年 9月 下町ボブスレーネットワークプロジェクト1号機製作より参画
2015年 9月 もの補助採択
2017年 8月 尾針徹治が代表取締役に就任
2018年 1月 生産管理システム導入
2019年 3月 もの補助採択
2019年 6月 CRMシステム導入
2019年 11月 「鉄工島フェス」副実行委員長を務める
創業年(設立年) 1950年
事業内容 試験片/試験治具/実験装置の設計・製作
所在地 東京都大田区京浜島2-13-9
資本金 1,000万円
従業員数 10名
会社URL

ムソー工業株式会社