西南開発株式会社 代表取締役社長 袋瀬洋
今回お話を伺ったのは、みかんの産地として全国的な知名度を誇る、愛媛県八幡浜市に会社を構える西南開発株式会社の代表取締役社長を務める袋瀬洋氏だ。人々の食卓に並ぶことも多い、「魚肉ソーセージ」を生み出した伝統ある老舗企業の同社。開発までの道のりは険しく、さまざまな努力と試行錯誤を繰り返し、全国で知らない人がいないほどの製品を生み出すことに成功した。数十年に渡り西南開発の成長を支え、現在では同社を牽引する袋瀬社長に、社長就任までの経緯や社風、会社として誇るべき独自性、そしてこれまで同社がどのような経緯で発展し、今後どのような展望を思い描いているのかについて深くお話を伺った。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
個人の小さな声も拾い上げて、会社の糧に
”風通しの良い社風”だという同社では、入社1年目の若手社員の小さな声に袋瀬社長自ら耳を傾け、必要があれば業務に活かしていこうとしているところが特徴である。
同社では以前、開発・製造・販売というフローの中で、それぞれの部署が主張し合い、意見がバラバラだったという過去がある。そのような環境から、お客様へ良いものを提供していくためには、コミュニケーションが必要不可欠であると感じたという。現在では、コミュニケーションの土台はあるものの、部署の内外を含め発言をすることができない社員が多いことに気付き、発言しやすい環境を整えることに注力しているとのこと。
その中でも、特に営業部関連のコミュニケーションを重要視しており、外部と密に関わる営業マンの風通しを良くすることで、社外の流れや貴重な情報をキャッチしたいと考えている。「営業マンは外交官なんです」と袋瀬社長は語る。同社では全ての社員の発言が社長の耳に入ってくるからこそ、外部からの情報を漏れなく拾うことができるのだ。ニッチな分野でお客様のニーズを発見し、様々な製品を開発できたのは、風通しの良い社内の環境があったからではないだろうか。
出来るまでやり抜く職人集団
同社の社員は"やり抜くこと"への想いやプライドがある人が多い。西南開発株式会社という社名は、創立時に当時の愛媛県知事から、”愛媛の西南の方角の地から食品加工開発をしてほしい”という想いを受け取り、命名された社名なのである。日本で最初に魚肉ソーセージを開発した同社の試行錯誤は容易なものではなかった。今では当たり前になっている、ソーセージの両端を止める技術や殺菌方法。これらは同社の社員が何十回、何百回とトライ&エラーを繰り返して開発した努力の賜物なのである。開発をやり抜く姿勢は魚肉ソーセージだけに留まらない。1964年の東京オリンピック時に、訪日外国人向けの冷凍食品需要が増大したことを背景に、明治屋さんより依頼があり、冷凍食品や簡易包装の開発に取り組んだ経緯もある。
日本で「一番最初」に魚肉ソーセージを開発したというプライドと確固たる自信ががあるからこそ、どの製品でもやり抜いてやろうという姿勢が生まれるのだ。
何世代にも続いてこの地で生きていけるように
「今の若者たちが、八幡浜市から離れなくても生活ができる地盤をつくりたいんです」と目を輝かせる袋瀬社長。現在は、就職を機に東京や大阪など都市部へ移り住む若者が多く、同社がある愛媛県八幡浜市でも過疎化が進んでいる。そんな中で、同社が考えた解決策は、地元出身の人々を雇用するというアイデアだ。会社を成長させ定期的に人材を採用できる体制を整えるために、学生が就職活動を始めるタイミングで「私は地元にずっと住み続けたいから西南開発株式会社に入社したい!」という人を増やすことを意識している。また、それに見合う企業にならなければと現在さまざまな取り組みを始めており、八幡浜の魅力を発信し、活性化していきたいと考える袋瀬社長。「西南開発で事業を永続的に運営し、親子で働いてもらえるような会社にしたい」と語る。
「スモークミート」
アップルパイ
風通しの良さで、需要に対してリアルタイムで応えていく
新たな取引先を作るための取り組みを教えてください
当社の主力事業としてアップルパイに代表されます、冷凍パイを製造しておりまして、保有レシピは300種類以上あるんです。取引先に提示するサンプル品の提供の速度は他社には負けません。以前は大手ハンバーガーチェーンの企業と取引があり、その当時使用していた機械が残っていたこともあって、お客様からのご要望でこれまでさまざまなパイを作ってきました。この経験があるからこそ、お客様のニーズに合わせたサンプルを出荷できるんです。
また、最近はコロナ禍で巣ごもり需要が高まっているので、ECサイトでの販路拡大も視野に入れており、家にいながら商品の注文ができるようにしたいと考えています。
今後発展していくために力を入れたいことは何ですか
営業部との情報共有はもっと積極的に行っていきたいですね。自分が営業畑ということもあって、営業が持つ情報は非常に貴重であると実感しています。先ほども言いましたが、営業マンは外交官なんです。営業マンのコミュニケーション能力を駆使して、外部から持ち帰ってきた情報をもとに、社内で新製品の企画を考案する。それがあるからこそ、プロダクトアウトではなくマーケットインできるような製品が開発できるんですよね。きちんと製品化ができるかできないかは後で判断すれば良いんです。(笑)
営業からの情報や意見は、評価という意味でも必要なんです。「これは良いものだ」と判断する軸って、結局はお客様の意見なんですよ。お客様の声を一番詳しく知っているのは営業に携わっている社員達なので、やはり発展していくためには営業が基盤になっていくと考えています。
最後に、社員へメッセージをください!
全社員に今一番伝えたいことは、「開けない夜はない」ということです。今はしんどいと感じるかもしれませんが、いずれ光明が見えてきます。正直、私自身も売り上げを見ていると、辛いと感じることもあります。そういう時、この言葉を自分自身に言い聞かせているんですよ。ここ1~2年はコロナの影響で、大変な企業さんも多いです。我々も全社員が一致団結して頑張って事業を継続していくことが一番大切です。若者たちがこの八幡浜の土地で結婚して、その子供が入社したいと思えるような会社にしていきたいと思っています。この町には当社のOBがたくさんいますから、支えてくれるはずです。愛媛県八幡浜市をさらに活性化するためにも、当社が永続的な事業を行っていく必要があると思います。全社一丸となって取り組んでいきましょう!
コミュニケーションを通じて
社員へ幸せを提供する
西南開発株式会社 専務取締役 上杉良太
四国は愛媛県八幡浜市にある西南開発株式会社で、入社以来30年に渡り活躍を続けている上杉専務。今回お話を伺った際、印象的だったことは、会社を心から大切に思っているということが言葉の端々から感じ取ることができたことだ。全国的な知名度を誇る商品を発信してきた、同社の全てを知る大ベテランである上杉専務は、自身の立場から見た会社についてどうお考えなのだろうか。創業70年の歴史の中で、紆余曲折を経て、現在まで愛媛の地で活躍を続けてきた同社。今回は、同社の成長の軌跡、上杉専務ご自身のやりがい、そして今後の夢などを中心に、西南開発株式会社を深く知るためのお話を詳しく伺った。伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
縁もゆかりもない土地に人生を変える出会いがあった
西南開発で当時、開発部長を務めていた方との出会いが運命を変えるきっかけになった。京都出身の上杉専務は、大学進学を機に愛媛に移住。大学院卒業後は、バブル崩壊後ということも相まって、特定の企業に就職をせず、自身の見分を広めるためバイクで全国を駆け回っていた。 当時務めていたバイト先から、就職しないかと声を掛けられたこともあったが、フィーリングが合わず断り続けていたそうだ。そんなある日、大学院の教授の紹介で同社と出会い、3年だけなら働いても良いかという感情が芽生え、面接を受けることにしたとのこと。そこで選考官となったのが、後の上司となる開発部長であった。当時、フィーリングという部分を大事にしていた上杉専務は、当時の開発部長と接する中で、釣りという共通の趣味があったことなどから、この人とだったら面白い仕事ができると感じたという。 「3年のつもりが、もう30年もいるんですよね。」と笑いながら話す上杉専務。縁もゆかりもない土地での出会いが、人生を大きく変えるきっかけとなったのであった。専務であるからこその俯瞰的観点
専務になってから、今ではなく未来を考えるようになったと上杉専務は言う。 入社して間もない頃、当時の開発部長から「会社の役に立て」と言われ続けてきた。右も左もわからない中、人と違うことをするのが好きだという上杉専務は、誰も手をつけていない仕事に進んで取り組み、とにかくがむしゃらに仕事をしてきた。そして専務となり視点が変わった今、自分ががむしゃらにやってきた仕事が、どう経営に繋がるのかということがようやく見えてきたという。 現場では目の前の仕事しか見えていなかったからこそ、専務として西南開発にとっての理想の未来を現場へ伝えていかなければならないと考えている。また、現職に就任以降、円滑な会社運営を意識し始めたこともあり、横の繋がりの必要性も強く感じているとのこと。現在の立場から見る視点で会社を把握することや、同社が発展するため大切になる要素を考えることが今のやりがいであるという。助け合いで全社員を幸せに
”仲良く楽しく働くことができる職場”を思い描く上杉専務。 地方では過疎化が進み、段々と勤める場所も無くなってきている中で、同社で勤務してくれている従業員には、常に笑顔でいてもらいたいという。 同社では、仕事に一生懸命な社員が多いからこそ、目の前の仕事に目が行きがちで、他の社員に目配りや気配りができない時もあるそう。人の集まりで会社が成り立っているからこそ、良くも悪くも社員のモチベーションは全社へと波及する。仕事を抱え込んで辛い思いしている社員に対して、無関心であるのではなく、手を差し伸べる文化があれば、会社がより一層良い方向に進むのではないかと考えている。約50名ほど在籍している社員の、それぞれの良さや生活環境を考え、お互いに協力する姿勢を持つことが、助け合いの文化を波及させ、やがて仕事の楽しさを作っていく。助け合いの文化を通じて全社員の幸せを作っていくことだけでなく、次世代に対してそれを継承し、日本の未来を担う若者たちの就職活動における選択肢のひとつとなればと上杉専務は語る。雰囲気で仕事をする様子
ポーズを決める同社の社員様
穏やかに過ごす人が多い
愛媛県八幡浜
西南開発株式会社の魅力を次世代へ
袋瀬社長は上杉専務にとってどのような人ですか?
一言で言うと、性格というか人柄が良い方です。コミュニケーション能力はもちろんなのですが、人間としての素の部分に魅力を感じます。社長は誰に対しても人懐っこいところがあるのですが、その部分に私もずいぶん助けられてきました。昔、社長が福岡に駐在して営業をしていた時に、本場九州仕込みの石鯛釣りをやっていたそうで、私が釣り好きということもあって、社長が本社へ異動してきた時に教えてもらったんです。役員になる前から仲良くさせてもらっています。歴代の社長の皆様に対しては言いたいことが言えないこともありましたが、袋瀬社長とは昔からの関係性も役立ち、どんなことでも言えちゃいます(笑)。今は袋瀬社長のおかげで社内の風通しが非常に良いと思います。分け隔てなく社員に接する所が良い影響を与えてると思いますね。
自社の強みを教えてください
おもしろい部分でもあるのですが、大変民主的な会社なので、誰にでも社長になるチャンスがあることが強みですかね。先々代は高校の商業科を卒業後、弊社に入社し現場で働くイチ社員から社長になったんです。今の袋瀬社長も、大勢いる新卒社員の中の1人でしたが、今では立派な社長ですからね。本人の能力はもちろんですが、頑張りや人柄次第で社長になることができる会社です。能力は人それぞれですが、人柄は非常に重要で、会社というのは人の集まりですから、嫌われ者じゃどうしようもないですよね(笑)。
弊社は個人の価値観に基づいて動く人が多いので、同じ方向性を持たせることは難儀だとは思いますが、そういった気風はやりがいに繋がるのではないかと思いますよ。出世したい人は是非社長の座を狙いに来てください!(笑)
コミュニケーションで大切にしていることはありますか?
常に正直でいることですね。嘘をついても、結局はどこかでバレますから。営業を例にすると、駆け引きではなく「買いたい!売りたい!」と正直な意思が大切なんです。値下げをするにしても、下限を把握して、これ以上は無理ですと言わなければいけませんよね。結局は、言いづらいようなことを言っても購入してもらえるように、相手と関係性を構築することが大切なんです。社内でも同じで、日常会話が弊社そのものの価値に繋がります。工場勤務の社員とは、ともすると2~3日話さないこともありますから、積極的に時間をつくって話しかけるように心掛けています。相手のことを知らなかったら警戒して何も話してくれないでしょう(笑)。対内外を問わず誠実にコミュニケーションを取りに行くようにしています。
西南開発株式会社
1949年 前身の西南開発協同組合により、日本初の魚肉ソーセージの開発に成功。
1951年 西南開発株式会社を創立。 日本最初の魚肉ソーセージ「スモークミート」を開発。
1952年 (株)明治屋と全国発売元の契約成立。
1968年 (株)明治屋より「コンビニエンスフード」商品群の開発依頼を受け、「冷凍食品」「簡易包装」の開発に取り組む。
1971年 安全な肉類の発色法を開発し国内及び海外特許(アメリカ・ニュージーランド・オーストラリア・ノルウェー・カナダ)を出願。
1973年 マクドナルド向けミートパティの生産開始。
1974年 魚肉ソーセージの製造方法を改良、スモークミートの製造法を高温殺菌法(レトルト)とする。
1975年 マクドナルド向けフルーツパイの生産開始。
1977年 安全な肉類の発色法の特許取得。
1978年 マクドナルド向けアップルパイの製造開始。
1987年 バイオ研究に伴い、研究室の改築、培養・無菌室設置。
1989年 胡蝶蘭の培養を開始。
1990年 マクドナルド四国地区ディストリビューション開始のため、移動ラック方式の冷凍庫新設。(F級収容 能力400トン)
1995年 レトルトパウチの生産開始。
1997年 四国管内のマクドナルド全店への資材供給拠点四国デポを高松市朝日町に開設。
2001年 品質保証の国際規格ISO9001を認証取得。
2008年 元祖魚肉ソーセージの復刻版を製造・販売。
2009年 関連会社オレンジベイフーズ株式会社設立。
2010年 ハンバーガーパティ生産をオレンジベイフーズ株式会社へ移行。
2014年 インドネシアに野村貿易、セカール・ブミ(インドネシアの現地法人)と3社合弁でPT.SEKAR SEINAN FOOD(魚肉ソーセージ工場)を設立。
2018年 Sekar Seinan Food 稼働開始。
1951年 西南開発株式会社を創立。 日本最初の魚肉ソーセージ「スモークミート」を開発。
1952年 (株)明治屋と全国発売元の契約成立。
1968年 (株)明治屋より「コンビニエンスフード」商品群の開発依頼を受け、「冷凍食品」「簡易包装」の開発に取り組む。
1971年 安全な肉類の発色法を開発し国内及び海外特許(アメリカ・ニュージーランド・オーストラリア・ノルウェー・カナダ)を出願。
1973年 マクドナルド向けミートパティの生産開始。
1974年 魚肉ソーセージの製造方法を改良、スモークミートの製造法を高温殺菌法(レトルト)とする。
1975年 マクドナルド向けフルーツパイの生産開始。
1977年 安全な肉類の発色法の特許取得。
1978年 マクドナルド向けアップルパイの製造開始。
1987年 バイオ研究に伴い、研究室の改築、培養・無菌室設置。
1989年 胡蝶蘭の培養を開始。
1990年 マクドナルド四国地区ディストリビューション開始のため、移動ラック方式の冷凍庫新設。(F級収容 能力400トン)
1995年 レトルトパウチの生産開始。
1997年 四国管内のマクドナルド全店への資材供給拠点四国デポを高松市朝日町に開設。
2001年 品質保証の国際規格ISO9001を認証取得。
2008年 元祖魚肉ソーセージの復刻版を製造・販売。
2009年 関連会社オレンジベイフーズ株式会社設立。
2010年 ハンバーガーパティ生産をオレンジベイフーズ株式会社へ移行。
2014年 インドネシアに野村貿易、セカール・ブミ(インドネシアの現地法人)と3社合弁でPT.SEKAR SEINAN FOOD(魚肉ソーセージ工場)を設立。
2018年 Sekar Seinan Food 稼働開始。
創業年(設立年) | 1951年10月 |
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事業内容 | ・魚肉ねり製品製造業 ・食肉処理業 ・食品の冷凍又は冷蔵業 ・菓子製造業 ・そう菜製造業 ・清涼飲料水製造業 ・食肉製品製造業 |
所在地 | 〒796-0293 愛媛県八幡浜市保内町宮内1-300-1 電話:0894-36-0651 FAX:0894-36-0030 |
資本金 | 7,500万円 |
従業員数 | 62名 |
会社URL |
監修企業からのコメント
取材をお受けいただき、誠にありがとうございました。
いつも食べている魚肉ソーセージを開発した会社に出会えて光栄です。
袋瀬社長、上杉常務のお二方で冗談を言い合う様子から、貴社の風通しの良い社風が伝わってきました。是非、貴社のお力でもっと和気あいあいとした愛媛県八幡浜をつくっていってください!益々のご活躍を期待しています!
掲載企業からのコメント
改めて、様々な経験があったからこその商品開発であったと明確にできました。営業時代から今まで携わっていただいた方には感謝しかありません。これからも愛媛県八幡浜を活性化することを目標に、事業を永続的に運営していきたいと思います。ぜひ、”元祖”の魚肉ソーセージを体験してみてください。