溝呂木を 背負う者たち
溝呂木株式会社 代表取締役社長 溝呂木孝昌

今回取材をしたのはレース問屋として80年近く業界を牽引してきた溝呂木株式会社。旧態依然とした同業界の中、いち早く海外に目をつけ、海外工場を活用した独自の生産システムを確立し、高級レースだけではなく、安価で生産できる体制を作り上げた。それを機に日本の顧客だけではなく海外の顧客へと広げていっている。今後は海外への力をさらに伸ばしていきたいと考えている溝呂木社長。元々は証券マンとして働いていたが退職し、溝呂木に入社。4年前に社長に就任し、3代目として80年近く経つ企業を引っ張っていく溝呂木社長に溝呂木に対する想いや今後の展望を伺ってみた。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
社員も経営者という視点
同社の社風について「私達の仕事は社員一人ひとりの裁量権が多いので、より経営者に近い目線で仕事を進めることが求められる」と溝呂木社長は話す。 同社はレースの企画製造販売ということもあり、企画開発・営業はもちろんのこと、国内外の仕入先の選定や価格交渉、販売価格の決定までも社員が行い、業務領域は幅広い。上流工程から下流工程まで求められるため、一人ひとりの社員が経営者と同様の視点を持つことが求められている。例えば、営業担当に関しては、大手上場会社の役席者が相手であっても、その場で担当者が適切な判断が出来なければ、年々短期間で展開されるアパレル企画を受注し続けることはできない。生地の仕入れ価格などは現場で決められるだけの裁量権を持ち、自ら考える風土もまた特徴のひとつがある。営業以外でも、社内では社長にお伺いを立てずとも自ら考え改善がなされることも多いという。大きな自由と大きな責任。一人ひとりが経営視点を持ち、自立しているからこそ成り立っている、溝呂木の特徴のひとつである。メーカー機能と卸機能
溝呂木の独自性といえば問屋でありながら企画機能・メーカー機能、そして卸の機能をグローバルに展開しているという点である。これにより、多様なニーズに対応することが可能になり、商品・サービスに、より付加価値を加えた販売体制を実現している。また、レース業界はここ数年厳しい環境が続いており、多くの同業他社は淘汰されている傾向にある。そんな中、溝呂木は数々の有名ブランドから高い評価を得ている。その背景にはレース先進国の一つであるスイスのNO.1メーカーといち早くライセンス契約を結び、最新の生産技術とデザインを日本マーケットに提供してきた。また、日本・中国の自社工場をマザー工場と位置づけ、日本・中国の他、台湾・タイ・韓国にも独自の生産システムを作りあげたことがある。これにより、トレンド性の高いデザインを高品質でお客様の求める適切な価格で提供できるようになったのである。これまでの数々の挑戦が、今の溝呂木の独自性を作り上げてきている。これからも、挑戦を繰り返し、確固たるブランドを築き上げるだろう。ナンバーワンサプライヤー/海外への販路開拓
業界でもトップクラスの位置にいる溝呂木株式会社。目標は「レースにおいて、2年以内に圧倒的ナンバーワンサプライヤーになる」ことである。「固定概念にとらわれず、新たな挑戦をし続ける」と溝呂木社長は強い眼差しで語る。また、並行して、海外展開にも力を入れている。ここ数年、国内レース業界は、労働集約的な産業であるため、人件費のより安い東南アジア諸国にシェアを奪われている。そんな中、溝呂木は国内ルートのみならず、海外の調達および販路を開拓し、より盤石な体制を築き上げている。いち早く世の中の動向を察知し、海外へ動き始め、販路開拓することは溝呂木にとっても非常に重要なチャレンジである。時代の変化は大きなチャンス。溝呂木ブランドを世界に広め、ナンバーワンサプライヤーへなるための準備も着々と進んでいる。溝呂木のオフィスにはグローバルな人財が多数存在し、日本語以外が飛び交う方が日常である。海外のイベント等に出向き、広い視点で物事を進めている。溝呂木社長を筆頭に、優秀な人財が集まっている溝呂木。これからの展開が非常に楽しみである。
オシャレなカタログ

働きやすさを追求した工場

社員一同成長し合える社員旅行
業界のリーディングカンパニー
-社長になってから一番覚えているエピソードを教えてください
社長就任後、様々な改革を行い会社が目に見える形で変わってきたことですね。9.11の大震災では「もう一度生活を見なおそう」「本当に必要なものってなんだ」っていう、日本人の価値観に大きな影響を与えました。レースというのはそもそも高級品、贅沢品の象徴でもあり、逆風でしたね。大変なタイミングで社長に就任したので「なんとかしなければ」という思いと「チャンスと捉え会社を変えよう」という二面性を持ち様々な改革に取り組みました。営業体制や管理の仕組みはもちろん、就業規則の抜本的見直しなど、あらゆる面に着手し、今では仕組みだけではなく社風も良くなり、生産性も非常に上がりました。まだまだやりたいことがたくさんあるので、これからが楽しみです。―溝呂木社長の考え方を教えてください
分の考えを押し付けないようにすることですね。社内外で先代の存在感が非常に強いので、先代を真似るのではなく、良いところは見習い、自分の色を出そうと思いました。もともと私は証券会社出身という背景があります。弊社に入社した頃は典型的なトップダウンで、自分からあれこれ指示をしてしまうと、会社ができること=自分のできることとなり、ある時限界を感じました。それからは社員がそれぞれの意見を言えるような風土づくりを意識して、今では各自が会社を変えてやるというベンチャー的発想を持ち表現できる会社を目指しています。社員の意見や活動から新たな議論や取り組みが生まれる時はとてもわくわくします。これからも、より多くの社員の意見が反映される会社にしていきたいですね。―社員教育の仕方を教えてください
頭で考えるだけではなく、多くの現場を経験してもらうことです。私も前職時代、営業マンとして数々の現場で多くの学びを得る経験をさせてもらいました。モノづくり企業である弊社においても、答えは必ず現場にあると信じています。弊社でも、入社後、研修も含めて出来る限り早い段階で現場に行き、仕入先様とお客様の生の声を聞き、自ら体験し考えることを大切にしています。最初はわからないことだらけで苦労することも多いと思うのですが、悩み、考え、もがき、振り返る。このサイクルが自分を成長させると思います。私達の仕事のフィールドは大変広く、経営者視点が求められます。与えられたことのみをするのではなく、自ら考え行動できる人財づくりを目指しています。
自分の価値を高める
溝呂木株式会社 営業1課主任 井上直人
今回お話を伺ったのは、将来の営業部隊を率いていくであろう期待を一身に受け、溝呂木のホープである井上さん。 3年前に中途で溝呂木株式会社に入社した井上さんは、元々レース業界とは無縁の職歴。ファッションに興味があったという理由で入社を決意。それからというもの入社3年目で、主任を任せられるほど成長した。今はアパレル業界を代表する大手アパレル会社を担当に持つという。日本では新しいものや流行を先手先手でリサーチし、お客様へ提案をしに行き、売り上げを作ってくる日々。先見の目を活かした営業をする井上さんに溝呂木で働く中で感じるやりがいや日々意識していること、そして今後の夢等を伺った。伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い
生地が意味するもの
井上さんが入社を決意した1番の理由は服の原料である生地に携われることである。井上さんは大学卒業後、家族に製薬関係が多かったこともあり、製薬会社の物流部門に就職。しかし、自分がやりたかった仕事とは違うと感じ退職を決意。当時を振り返って「別に製薬会社に入りたかったわけではないというのは嘘になりますけど、就きたい仕事というよりは家族に製薬関係がいるということで考えてしまっていましたね」と話す。改めて自分の就きたい仕事は何かと考えた時に自分がオシャレに興味があることを思い出す。しかし、アパレルで働くことを考えた時に「実際に服を売るよりも、服を作るところに携わりたい」と決意。そこから生地メーカーを探している中、見つかったのが同社だった。すぐに応募し、当時就任したばかりの溝呂木社長と面接。見事入社が決まったのだった。それからは自分の就きたい仕事だったこともあり、仕事に没頭。今後もさらに溝呂木を牽引していくだろう。街中で見て
1番のやりがいは「自分が扱ったレースを使った商品を街中で見た時です」と語る。井上さんは入社3年目ながらも大手アパレルメーカーさんと仕事を行っている。最初からやりがいを持てたわけではなく、その裏には前途多難な日々があった。前職が物流だったこともあり、入社した当初は営業のイロハも分からず、当時は「お客様と接するのが苦手だった」と話す。しかし、それで諦めることなく自分が就きたいという仕事に就いたことを原動力として、それからというもの先輩から営業について学んで真似したり、自分でレースについて学んだりと徐々に営業力が付いていき、3年目で営業1課の主任を任せられるまで成長した。だが、井上さんは「自分はまだまだ下っ端なので、現状に満足せず、さらに成長していきます」と話す。今後さらに成長したあかつきには井上さんが扱ったレースが様々なメーカーから世に出る日が来るだろう。自分という価値
「自分にしか出せない価値を提供したい」と井上さんは語る。井上さんが同社に入社し、営業に関わり始めてから間もなく4年が経過する。これまでは他業界で仕事をしていたため、知識も経験もゼロからのスタート。レース業界という全く未知の分野だが、お客様や関係者、社員に助けられ、やっと仕事も板について自信も出来てきたという。ここからは、これまでの土台を活かし、今までにない新しい価値、そして自分にしかできない価値を市場に提供したいという。その為にも「お客様のニーズを的確に捉えて、最適なコストで提案。そして納期を守る。これを徹底していくという。そして、その先には培った経験を生かしお客様に自分という価値を必ず生み出していく」と明確に未来を見据えている。「この案件は井上さんなら安心して任せられる」「井上さんにお願いしたい」という様な確固たるポジションを確立したいという。
展示会の様子

溝呂木レースが使われた製品

営業会議の写真
自分の価値を高める
-営業をする上で意識していることは何ですか
案件も用件もない時でもお客様先を訪れることですね。入社当初はお客様との関係性を作るのが上手く出来なかったんです。というのも人前に出るのが苦手だったというのとレースを売ってるんでレディース部門がお客様なんですよ。ということもあって最初は全然覚えてもらえなくて「誰ですか」って感じなんですよね。でもそのままでは駄目だと思って、何かあると声をかけて挨拶するみたいなことをやっていたら覚えてもらって声までかけてもらえるようになったんですよ。それからというもの仕事の話だけじゃなくてくだらない話まで出来るようになりましたよ。だからといって全員が全員それでコミュニケーション取れるわけじゃないので、そこは今後の課題にはなってきますね。―思い出に残っている社長とのエピソードは何ですか
良く接していただくんですけど、一番のエピソードは仕事ではなくて溝呂木社長との面接ですね。なにかっていうと自分はサッカーをやっていたので、面接途中から話がそれてサッカーの話になって、溝呂木社長から「今日神宮でフットサルやるからおいでよ」って誘われたんですよ。その時はこれも面接の一部なのかなと思って、「行きます」って言いましたね。それで実際行ってみると溝呂木社長のお知り合いばかりで、緊張はしてたんですけど、終わってみれば溝呂木社長をはじめ皆さんと仲良くさせていただいてましたね。でもそれがきっかけで社長からご厚意にしてもらっているので、ある意味いってよかったなと今でも思いますね。―溝呂木の良いところは何ですか
メリハリをつけられる風土があるところです。業界的には平気で深夜や休日ま で仕事しているんですけど、当社では仕事を効率良く進め、出来る限り早く帰 宅するようにってなっているんですよ。なので、定時に帰れる日もありますし 、当たり前のように残業っていう風土はないですね。僕自身まだ新婚なので、 どうしても仕事もプライベートも充実させなければいけないってところで、残 業する日もありますけど、基本的には早めに帰れるようにメリハリをつけてま すね。そのおかげで仕事の効率にも繋がってきてますし、以前より余裕をもっ て期日を迎えられますね。今後はプライベートだけではなく、自己成長などに も活用できる時間を増やしていきたいですね。溝呂木株式会社
1936年 日本橋馬喰町にて創業
1948年 株式会社溝呂木商店設立
1951年 大阪出張所開設
1967年 本社ビル竣工、現社名に変更
1971年 マギー株式会社(国内工場)設立
1986年 FORSTER ROHNER AGと業務提携契約締結
1994年 蘇州貴婦人刺繍有限公司設立
2009年 蘇州雅恵蕾絲有限公司設立
2014年 新たにブランド事業部発足、本社ビル全面改装
1948年 株式会社溝呂木商店設立
1951年 大阪出張所開設
1967年 本社ビル竣工、現社名に変更
1971年 マギー株式会社(国内工場)設立
1986年 FORSTER ROHNER AGと業務提携契約締結
1994年 蘇州貴婦人刺繍有限公司設立
2009年 蘇州雅恵蕾絲有限公司設立
2014年 新たにブランド事業部発足、本社ビル全面改装
創業年(設立年) | 1936年(1948年) |
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事業内容 | 国内および海外におけるレース製造およびルート販売 ヨーロッパ/アジア/アメリカからのレースの輸入および卸 革製品、小物類の輸入および卸、販売 |
所在地 | 東京都中央区日本橋馬喰町 1-14-4 |
資本金 | 1億円 |
従業員数 | 46名(正社員) |
会社URL |
監修企業からのコメント
今回の取材を通して、溝呂木社長の経営者としての考えや一人の男としての生き方を学ぶと共に、自分のあるべき姿やそして自分の周りにいる人に対してどんな貢献が出来るかどうかを考えるきっかけになりました。今後は80周年に向けてより一層の溝呂木の発展と溝呂木の経営を楽しみにしております。
掲載企業からのコメント
今回の取材では、社風、独自性、展望といった切り口でまとめて頂き、企業としての存在感、意識など改めて整理することが出来ました。ありがとうございます。このサイトから弊社のイメージを掴んで頂ければ幸いです。また、多くの方に弊社の存在を周知して頂けることを期待します。