株式会社協同商事 代表取締役社長 朝霧重治

"コエドビール"というクラフトビールの名前を聞いたことのある方は多いのではないだろうか?今回、取材させて頂いた同社は、コエドビールを製造販売している株式会社協同商事だ。今でこそコエドビールが看板になっている同社だがビール事業だけを行っているわけではない。その始まりは有機栽培の青果物を取り扱っている商社が原点だ。1975年に青果物の産直事業を開始し、1982年に法人化。
今でこそオーガニックやロハス、SDGsという言葉があるが、その概念が普及するより前の1970年代から、これらのことに取り組んできた。冷蔵物流を他社に先駆けて開始したり、さつま芋のビールを開発したりといったことだ。
今回の取材は、2020年7月にオープンしたばかりの「コエドブルワリー・ザ・レストラン」にて行った。このお店の設立にも想いがある。同社の想いはインタビューで明らかにしていく。
今でこそオーガニックやロハス、SDGsという言葉があるが、その概念が普及するより前の1970年代から、これらのことに取り組んできた。冷蔵物流を他社に先駆けて開始したり、さつま芋のビールを開発したりといったことだ。
今回の取材は、2020年7月にオープンしたばかりの「コエドブルワリー・ザ・レストラン」にて行った。このお店の設立にも想いがある。同社の想いはインタビューで明らかにしていく。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
新しいことへの飽くなき挑戦
「常に新しいことにトライしているのが、この会社の性質です。」そう朝霧社長は語る。具体的には、"こういうサービスがあれば社会に喜ばれる"、"課題解決のために率先して新しいサービスを提供する"という会社カルチャーだ。例えば、先代の社長の頃から行われていた、青果物の冷蔵物流やビール事業の始まりとなったサツマ芋ビールの開発。2020年7月に新設したばかりの「コエド・ブルワリー・ザ・レストラン」もそうだ。このお店の設立背景には、地産地消、地元の新たな文化作りといった想いがある。
「理念先行型で、ビジネスモデルを追求することはない。常にトライするのがこの会社の性質です。」この会社カルチャーは、創業者である先代の社長の時からだそうだ。「それは先代からそうですね」カスタマーコミュニケーションチーム原田さんのインタビューからもそれは伺えた。
この設立当初からある会社カルチャーは、2代目である朝霧重治社長がしっかりと引継ぎ、更に発展させている。
独自性の根源にあるものとは?
同社の独自性。根源にあるのは、社風や会社カルチャーだ。「当社にとって新しいことではなく、社会にとって新しいことを行う」そう朝霧社長は語る。
例えば、青果物の冷蔵物流だ。70年代に冷蔵物流を開始。今でこそ当たり前の冷蔵物流だが、他社に先駆けて同社が冷蔵物流を開始した。70年代当時は、物流大手を含めて冷蔵物流はまだ整備されていなかった。常温の物流だとほうれん草や小松菜などは、夏場であれば暑さでしなしなになってしまう。こだわりの青果物を取り扱う同社が、冷蔵物流に取り組んだのは自然な流れだったのだ。
ビール事業の始まりも同じで、やはり新しい挑戦からだ。川越でさつま芋が収穫されていたが、規格外のさつま芋は破棄されていた。そこで、さつま芋はでんぷん質なので日本では焼酎の原料とされてきたように発酵原料となる、その考え方をビールに適用しさつま芋ビールを作ったのだ。
(さつま芋を原料にしたビールは、コエドビール紅赤で現在も飲むことができる。是非試して欲しい。)
様々な新しい取り組みを行うからこそ、独自の商品やサービスが作れるのだ。
ローカルから世界へ
ローカルに根付いた活動をしていきたい、それが同社の想いだ。「こういった地域に根付いて生きていくということは、SDGsとかCSRを掲げるといったこととはまた別のことだと考えています。元来の企業活動は、SDGsやCSRのようなものではなく、三方良しのようなことだと思います。」朝霧社長はそう語る。
「現在、価値尺度は多様になっています。以前は経済成長だったり、化学技術の発展だったりといった価値観が主流でした。これからは多種多様な価値観で、豊かに安心して暮らせる社会になって欲しいと考えています。田舎から東京に出て働く。それは本当に幸せなことなのか?それだけではないと思います。」
今の日本社会の価値観は多様化している。多様化の1つの具体例である、ローカリゼーション。同社はまさにそれを体現している。ローカルに軸足を置き、世界にも出ていく。新しい切り口で、楽しく企業活動ができればというのが同社の想いだ。

2020年7月にオープン

シックで落ち着きのある雰囲気の内観

ビールは全て樽生
"グローカル" 地元川越から世界へ
どのような想いでコエド・ブルワリー・ザ・レストランを作ったのかをお聞かせ下さい
地域に根差して、街づくりに繋がる活動をしたい。ブルワリーのある街づくりというのがテーマの1つです。せっかくブルワリーがあるのだから、身近に感じてもらって街の存在意義にしたいと考えています。アメリカではクラフトビールメーカーが7,000社くらいあります。日本と比べれば人口が多いとは言えないオーストラリアでも500社ある。欧米は比較的自由にビールを造ることができますが、日本では、ビール造りの許認可を得ることが難しく、ブルワリーはそこまで多くありません。けれど、だからこそ面白さがあります。日本では、まだ街にブルワリーがあるということは珍しいことです。この「コエド・ブルワリー・ザ・レストラン」が地元の街づくりに繋がっていけば非常に嬉しいです。このブルワリー・ザ・レストランだけでなく、今後も"ブルワリーのある街づくり"をテーマに様々なコンテンツを作っていこうと考えています。
川越や埼玉の方たち、皆さまのビール民度が高くなってもらえたら嬉しいですね(笑)
どのような方がビールを造っているのでしょうか?
クラフトビールを造る人のことを"ブルワー"と横文字でいうのですが、我々はあえて"ビール職人"と呼んでいます。職人道といいますか、職人気質であって欲しいという想いが込めれられています。ビール職人は、社内で育成しています。ビール造りは1人のスーパー職人が造っているわけではなく、チームで造っています。クラフトビール共創チームと呼んでいて、15人のチームメンバーが、日々切磋琢磨しています。レシピを作っておしまいというわけではなく、日々よいビールを求め続けています。
職人の年齢層は幅広いです。年齢構成は意識して分散するようにしています。20代、30代、40代はもちろん60代もいます。年配社員は経験豊富で、よいビール造りに非常に貢献してくれています。なお、当社ビール職人の第1世代は、本場ドイツ人から技術仕込みです。
海外展開への想いをお聞かせ下さい
ローカリティを海外に発信していきたいと考えています。ビールの発祥は日本ではないのですが、日本には独自の様々なビールがあります。日本人は、自分の感性で商品やサービスをブラッシュアップして高めていくことが得意です。海外など外から得られた情報を工夫して、自分たち独自の感性でブラッシュアップしていくことは、イノベーションといえると思います。日本のコンテンツの1つとして食があって、他国と比べると独自的で特殊なところがある。例えば薄味を好むといったことです。その土地でなければ生まれない個性というのがあると思います。日本食が、海外のお客さまから"いいね"と思ってもらえることがツーリズムに繋がり、川越や日本の豊かさに繋がると思います。ローカリティを発信して、"グローカル"のネットワーク作りをしていきたいと考えています。
(※グローカルとは・・・地域性を考慮しながら世界規模の視点で考え、行動すること。)

チャレンジスピリット の体現者
株式会社協同商事 原田康平
今回お話をお伺いしたのは、カスタマーコミュニケーションチームの原田さん。カスタマーコミュニケーションといっても、他の企業でいうカスタマーサービスのイメージではなく、営業のイメージだ。新卒で入社して7年。ビール事業のあれこれを非常に多く経験をされてきた方だ。始めは営業として、飲食店、酒屋、スーパー、百貨店など国内の営業活動を行ったのち、海外15ヵ国への営業活動にも参加。醸造所の移転や、今回取材で伺った2020年7月にオープンしたばかりの「コエド・ブルワリー・ザ・レストラン」の移転にも関わられた、ビール事業の酸いも甘いも知り尽くす方だ。原田さんのインタビューを通し、同社の社風や想いを伝えていきたい。
伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
それは偶然の出会いだった
「きっかけは、大学の講義で社長の講演を聞いたことです」そう原田さんは語られた。講演の後、話を直接伺う機会があり、その中で、当時クラフトビールの認知度は低い状況で、これを広められるのはチャレンジングでおもしろいのではないか?と考えられたそうだ。その当時のコエドビールは名前が少しずつ広まり始めている段階で、力を試すには正に恰好の舞台だったのだ。 もちろん他企業の検討もされていたとのことだが、自分の力で広められる商材がある企業ということが決定打となったとのことだ。 それに加えもう一点「私が大宮出身だったこともあり、地元に根付いて働く事ができると考えたのも理由の一つです。」と原田さんは語られた。 社長の想いでもある、地元に根付いた経営をする。知らず知らずのうちにその想いに惹かれたのかもしれない。チャレンジスピリット
「新しいことを手探りでやっていくことに"やりがい"を感じています!」そう力強く原田さんは語られた。 新しいことを手探り、というのは例えばこうだ。 取材で訪れた「コエド・ブルワリー・ザ・レストラン」の立ち上げ"や"ECサイトの強化"だ。ブルワリーレストランは2020年7月にオープンし、既に居心地のよい空間ではあるのだが、よりよいブルワリーレストランになるようまだまだ試行錯誤中だ。 コロナの影響を打破するために、ECサイトの強化も行っているが、「ゼロからどういったサイトが良いのか?」「どういう商品を選定すれば良いのか?」まわりのメンバーと協力してやってはいるが、こちらも試行錯誤の手探り中だ。 「大変だけれども、とてもやりがいは感じます。朝霧社長は新しいことをどんどんやる方で、社員は飽きなくてよいのかなと(笑)」原田さんは楽しそうにそう語られた。ローカルからグローバルへ
「旅行で、ふらっとある国を訪れた際、現地の方がコエドビールを飲んでいるという光景を見られたら、それはすごく幸せだと思います。」原田さんは夢をそう語る。 理想は海外の方にも広くコエドビールが認知されている状態だが、現状は日本国内でも全ての方が知っている状態とはまだまだ言い難い。 「社員みんなで思考錯誤して、少しずつ認知度が増えてきたかなと思う。 以前は本当に認知度がなかった。こんな高いビールは売れない、といわれていたが、今は、コエドビールは味や品質から考えるとお買い得といわれるようにまでなってきた。」 まだ日本で一番知名度のあるクラフトビールとはいえないかもしれない。しかし、今回インタビューを行い、それも時間の問題なのではないかと筆者は感じた。
小江戸黒豚とご一緒に

6種類全ての種類が飲めます

ビールの量り売りも行っています
エース社員の仕事に迫る
これまでお仕事をしてきた中で印象的な出来事を教えて下さい。
会社が大きくなる中での移転、具体的には、2016年の醸造所の移転を鮮明に覚えています。元々は、三芳町に醸造所があり、そこから現在の東松山市へ移転してきました。新しい醸造所になる敷地は、某企業の跡地で、2015年のとある日、社長に社員が車でその場所まで連れて行かれました。初めは、なぜ連れて来られたのか全員まったく分からない状態でした。そこで社長が一言「ここが新しい醸造所になる」。そう言われた時の社員全員の固まった顔がいまだに忘れられません(笑)。後々になり、あぁ一歩先に進んだのだなと感じました。この一連のことが印象に残っています。
これまでのお仕事の経歴を教えてください。
入社してから、営業の仕事を一通り経験しました。飲食店や酒屋、卸、スーパーといったところへの営業活動から始まり、海外15ヵ国への営業活動も行ってきています。元々、海外に携わりたいとの想いをずっと持っていましたので、念願叶ったという形です。数年前から海外事業に携わっているのですが、コロナの件で今は停滞しています。つい先日の7月22日に立ち上がったばかりの、「コエド・ブルワリー・ザ・レストラン」の立ち上げにも関わらせて頂いております。レストランの立ち上げも始めての経験で、チーム全員で調査し、仮説を立て実施と、毎日試行錯誤しています。大変ではあるのですが、非常にやりがいも感じています。原田さんにとってお仕事とは?コエドビールとは?
私にとって仕事は、お客さまに満足して頂くことも、もちろんですが、自分も楽しんで仕事をすることが非常に大事なことだと考えています。それに加えて、三方よしの精神も非常に重要だと考えておりまして、特に、このコロナ禍で苦境を乗り切るためには、自社だけがよいというのではなく「売り手よし、買い手よし、世間よし」この精神をもとに皆で力を合わせ事業を行っていくことが重要だと考えています。コエドビールは、自分自身と一緒に成長している、自分自身のような存在だと考えています。みなさんにコエドビールのことを知って頂けるのは、自分のことのように非常に嬉しいです。今後もコエドビールと一緒に成長していきたいです。
株式会社協同商事
1975年1月 生協の青果物産直事業を開始
1982年5月 (株)協同商事設立
1982年6月 貨物自動車運送事業免許取得
1984年9月 青果物パッケージ事業開始
1987年4月 川越集出荷センター・加工場・事務所開設
1993年10月 川越花き市場において花き仲卸業開始
1994年1月 貨物自動車運送事業一般免許取得
1994年9月 酒類輸入販売免許取得
1996年3月 発泡酒製造免許取得
1996年4月 コエドブルワリー開設R&D・エンジニアリング部門開設
1997年7月 ビール・発泡酒販売免許取得コエドブルワリー三芳工場開設
1998年4月 深谷営業所開設
2002年7月 埼玉県本庄市にバイオガス研究所・本庄開発センター開設
2004年10月 食品輸入事業に本格参入
2006年10月 クラフトビールブランドCOEDO創設
2015年6月 COEDO Craft Beer 1000Labo開設
2016年9月 コエドブルワリー三芳工場を移転し、埼玉県東松山市にCOEDO クラフトビール醸造所を開設
1982年5月 (株)協同商事設立
1982年6月 貨物自動車運送事業免許取得
1984年9月 青果物パッケージ事業開始
1987年4月 川越集出荷センター・加工場・事務所開設
1993年10月 川越花き市場において花き仲卸業開始
1994年1月 貨物自動車運送事業一般免許取得
1994年9月 酒類輸入販売免許取得
1996年3月 発泡酒製造免許取得
1996年4月 コエドブルワリー開設R&D・エンジニアリング部門開設
1997年7月 ビール・発泡酒販売免許取得コエドブルワリー三芳工場開設
1998年4月 深谷営業所開設
2002年7月 埼玉県本庄市にバイオガス研究所・本庄開発センター開設
2004年10月 食品輸入事業に本格参入
2006年10月 クラフトビールブランドCOEDO創設
2015年6月 COEDO Craft Beer 1000Labo開設
2016年9月 コエドブルワリー三芳工場を移転し、埼玉県東松山市にCOEDO クラフトビール醸造所を開設
創業年(設立年) | 1975年 |
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事業内容 | ・青果物卸売事業 ・ビール製造事業 ・食品輸入事業 ・物流事業 ・花き卸売事業 ・環境関連事業 |
所在地 | 〒350-1150 埼玉県川越市中台南2-20-1 |
資本金 | 9,900万円 |
従業員数 | |
会社URL |
監修企業からのコメント
ブルワリーレストラン開業でお忙しい中にも関わらず、取材を受けて頂きましてありがとうございました。リーンスタートアップという起業の手法の根源となる考え方で、課題出発というものがあります。まず課題を認識して、その課題を解決する為に事業を立ち上げるというものです。協同商事様の事業立ち上げは、まさにこの考え方を体現されています。今後数年の間に、さらなる"グローカル企業"になるのは間違いないと思います。
掲載企業からのコメント
この度は取材をしていただきありがとうございました。
改めて会社について話すことで、考えていることが整理させるよいきっかけになりました。今後も地元川越に愛される企業になるために、より一層チャレンジしていきます。これからもよろしくお願いします。