現代にお茶文化を残す
株式会社東京繁田園茶舗 代表取締役 繁田 豊

東京繁田園茶舗の始まりは、埼玉県。東京繁田園の創業者である繁田弘蔵氏は、本家である埼玉繁田園の歴史を背負い、分家として東京へ進出。そして1947年に東京の阿佐ヶ谷から同社の歴史は始まる。同社は、軽やかな味わいの深蒸茶と昔ながらのお茶の渋みと香りのある普通煎茶、この2種類の味を守り続け、数多くの根強いファンを獲得している。その秘訣は日本全国各地のお茶農家との強いパイプ。僅かな違いで味に大きな差が出ることから、毎年味の確認と細かいブレンドを繰り返しながら繁田園の味を守っている。東京繁田園で生まれ育ち、物心着いた時には家業の手伝いを始めていたという繁田社長に、社長の思いやお茶業界について伺った。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
東京繁田の味を愛するスタッフ
「うちのスタッフはお茶がとても好きなんです」と笑顔で話す、繁田社長。スタッフは皆お茶が好きで、東京繁田のお茶を愛している。このようなスタッフが集まっている背景には、繁田社長独自の採用基準がある。「面接時にお茶は好きですかと必ず聞きます」繁田社長はお茶を本当に好きな人のみを採用しているのだ。背景には、好きなものを仕事にしてほしいという繁田社長の思いがある。「好きな物を扱っている方が仕事が楽しいよね」と繁田社長。実際スタッフの方は東京繁田の商品を自信を持って、楽しんで、お客様に商品を提供しているという。商品の知識をつけたり、どのようにしたらもっと売れるのかと主体的に行動ができるのも、スタッフがお茶を好きだという思いから来ているという。本当にお茶を好きなメンバーが集まっているからこそ、お客様に東京繁田園のお茶の良さを伝えることができ、長い歴史を超えた今でも、お客様から愛されているのだ。産地や問屋との強い信頼関係
「産地や問屋さんと長い繋がりや信頼関係がある」東京繁田園の味が守られてきた一つの理由として挙げられるのが、お茶を作る上で重要となる産地や問屋さんとの関係性だ。お茶の葉は自然の物がゆえ、同じ種類を仕入れたから同じ味になるとは限らない。毎年全国各地の農家からのサンプルや、直接産地へ足を運び、繁田社長自ら味を確かめる。同社では、いくつかのお茶の葉をブレンドし、東京繁田園のオリジナルの味を出しているため、毎年各お茶の葉の割合を繁田社長が決めているという。さらには、ブレンドを問屋さんに依頼することができるのも同社だからだという。先代からの長い歴史の中で、問屋さんとの関係性を維持し続け、細かい味の違いを伝えていくことで、問屋さんに同社のお茶の味をわかってもらうことができるようになってきた。地道に毎年こだわりを貫いてきたからこそ、東京繁田園にリピーターは絶えない。これからもお客様に東京繁田園のお茶の味を届けるため、こだわり続けるのだ。オリジナルの味を後世に残す
「仕入れが仕組み化できれば、東京繁田園を残していくことができる」そう話す、繁田社長。長い歴史を超えて、オリジナルの味を守り続ける東京繁田園。それを支えるのが、繁田社長のみができる「お茶の仕入れ」である。お茶は毎年味が異なり、コントロールが難しい。ゆえに、繁田社長は毎年、お茶の味を確かめる必要があるという。新茶の時期になると全国各地へ飛び回り、その年のブレンドの割合を決めている。これは、誰でも簡単にできることではないのだ。一方で、同社のオリジナルの味を残していくことは、同社にとって重要事項なのだ。今後もオリジナルの味を守っていくために、今後は問屋さんとの連携がさらに大切になってくるという。問屋さんに同社の味を深く理解してもらうことで、よりシンプルな形で仕入れることができるからである。「5年以内には仕組み化したいね」そう語る繁田社長。仕入れの仕組み化という形で、同社の歴史ある味はこの先も残されていく。
自ら手伝う繁田社長

時代に合わせてリニューアルした店舗

良いお茶を厳選
繁田社長が語る、お茶への思い
―繁田社長が大切にしている考え方を教えてください
産地の方や問屋さんと対等な関係であるために、値引きをしない・接待を受けないということです。これは先代の社長から教えていただいたことです。ビジネスをしていく上で、相手と常に対等でいることは大切だと思います。値引きをしないということは、相手を尊重することになります。相手が一生懸命考えてつけた値段を簡単に割引してほしいと交渉することは、自分が上だという気持ちの表れだと思いますから。そして接待を受けないことも、相手と対等な関係を維持していくのにとても大切なことです。私は、産地に訪問する際は、飛行機から宿まで、すべて自分で賄いますよ。上にも下にもならない。これからも大切にしていきたい考え方ですね。―お茶を広げるために繁田社長がしていることを活動してください
私は小学校に出向いて、急須でお茶を淹れるレクチャーをしています。初めは、急須を知らない子がいることにとても驚きましたよ。なので小学校では、基本的な事から教えて、急須でお茶を淹れて実際に飲んでみる。体験して、知っていく事が大切ですからね。急須で淹れるお茶はペットボトルとは味が違うんです。これはぜひ実際に味わって感じてもらいたいですね。以前、レクチャーをした小学生の子が親御さんと共に急須を買いに行ったという話を聞きました。すごく嬉しかったです。少しずつでも、お茶に触れる人が増えて、昔の日本のように、家族団欒の時間に急須で淹れたお茶を楽しんでもらいたいです。そのためにもこれからも自分にできることは進めていきたいですね。―お茶業界を背負う、若手に向けた期待を教えてください
次世代のお茶業界を担う、二代目三代目の方々が青年団として集まり、お茶の宣伝のために、様々なイベントをしています。イベントをすることで、急須で淹れる日本茶の良さを広げてくれているんですよ。例えば、母の日には街でお茶の葉をプレゼントしてます。産地の方に協力してもらって、産地のアピールにもなるし、配っているお茶は急須がないと飲めないようなもので、改めて一般のお客さんに急須で淹れる日本茶の良さを知ってもらえると思いますね。今後はさらに多くの人にイベントを知ってもらうために、ニュースソースに載るような施策を打っていけば、更にイベントの価値が出ると思います。これからもこのような活動を続けてお茶の業界を盛り上げていってほしいですね。
父を支え、東京繁田園を守っていく
株式会社東京繁田園茶舗 事務・経理 花井 恵
1947年から阿佐ヶ谷・荻窪等、店舗を増やしてきた東京繁田園。歴史を繋いできた繁田社長。そのサポートをしているのが、今回お話を伺った花井さんだ。花井さんは、店舗の収支のデータ管理や卸しの部分の伝票の管理等の事務・経理の業務だけでなく、自らの仕事の枠を超え、各店舗のスタッフと連携をし、いかにお客様を店頭に引き込んでいくかという施策を考え、実行し、店頭に沢山のお客様を呼び込んでいる。例えば、夏になれば、温かいお茶ではなく、茶そばを売り出していくために、花井さんがポスターをオリジナルで作成している。また、花井さんは繁田社長の娘でもある。東京繁田園で生まれ育ち、近くで繁田社長を見てきた花井さんに、繁田社長、そして同社についてお話を伺った。伝統の承継と挑戦の未来を担う社員の思い
父をサポートしたいという思い
「父の力になりたいという気持ちが強かったですね」当時を思い出し、そう語る花井さん。花井さんは、新卒でベンチャー企業に入社をし、営業部や管理職を経験。入社をして10年間、花井さんは多くを学び、日々自己成長を感じながら、充実した毎日を送っていた。一方で、当時の繁田社長は、事務や経理、商品の仕入れや店舗の管理等、多くの業務を抱えていた。父である、繁田社長の業務の多さを見て、花井さんの父を助けたいという気持ちが増していったという。そして花井さんは前の会社を辞め、同社に入社をするタイミングで資格を持っていたいと、入社前に1年間経理の学校で勉強をし、経理の知識をつけ、2013年に同社に入社。入社当初、同社の商品知識は少なかった花井さんだが、日々知識を身につけ、現在では、経理以外の販売促進等の業務にも携わっている。花井さんは外部で身につけた経験を生かし、東京繁田園を発展させていくのだ。スタッフと築いた信頼関係
「スタッフの方から相談されることがやりがいですね」と話す花井さん。「今こういうことに困っています」「こういうことをやってみたいです」等花井さんに直接、各店舗のスタッフから相談を来るようになったのは、花井さんが入社をして2年目のことだった。最初は会社全体の把握をメインに行っていたが、1年間で経理の流れを理解し、各店舗を回り、徐々に店舗ごとの把握をするようになっていったという。販売会議にも毎回出席し、花井さんの気持ちや考えを伝えていくことでスタッフとの信頼関係を築いていったのだ。「やりがいを持って、プライドを持って働いているスタッフに支えられているので、より働きやすい環境にしていきたいです」花井さんはスタッフに寄り添い、働く環境や同社を良くするためにひとつずつ改善を行っているという。花井さんとスタッフとの信頼関係がより強い東京繁田園を作り上げていくのだ。より繁田園へ貢献していく
花井さんの夢は同社にこれまで以上に貢献していくことだ。そのために歴史ある東京繁田園のお茶を生み出す、全国各地の産地へ直接足を運びたいのだという。花井さんは、同社に入社して以来、直接各店舗を回り、改善していったことと同じように産地にもしっかり訪問し、産地の方との接点を持ち、商品知識を深めていきたいと考えているのだ。「お茶ができるまでの過程を見たい」店舗で出来上がった商品のみに触れるのではなく、お茶ができるまでの過程も実際に目で見て、知識として学んでいきたいという。過程を知ることで、新しい観点を身に付けることができる。そして新しい観点を持つことにより、新しい閃きが生まれ、同社がより発展していく。さらに産地に直接足を運び、生産に触れることができるのは、新茶の時期のみだという。この少ない機会を逃さず、繁田社長と共に産地へ出向きたいと花井さんは話す。花井さんは常に、自らの成長、そして同社の発展を考えているのだ。
その場で焙じて商品を作り販売促進

お茶教室を通じ、お茶文化を広げる

出雲そばと選抜の抹茶の掛け合せ
東京繁田園の歴史を繋いできたのは、味だけでなく、人の魅力
―花井さんから見て、繁田社長はどんな方ですか
繁田社長は、仕事がとても好きな方です。私が小さい頃、小学校に大きな茶箱を持って父が来ていたり、私が学校から帰ってきた時に、父が焙煎しながら「おかえり」と言ってくれたことが印象に残っています。よく仕事をしていた父の背中を見て、一緒に遊ぶことは多くはなかったけれど、働くことの素晴らしさを小さいながらに感じていましたね。今でも、スタッフの皆さんと月に1度の販売会議をしている姿を見て、尊敬しています。知識や仕事に対する姿勢もそうですけど、やはり父が淹れるお茶は美味しいんですよね。それは、お茶が好きで、近くで触れていた父だからだと思います。これからも父を見習い、私も仕事を楽しみながら成長していきたいです。―お茶業界の資格について教えてください
お茶の資格には日本茶インストラクターと日本茶アドバイザーの2つあります。阿佐ヶ谷の店長は日本茶インストラクターの2期生なんです。日本茶インストラクターは日本茶に関する全ての知識と技術のレベルが、お客様や初級レベルの方に伝える適格性のある方です。日本茶インストラクター協会の主催する通信講座を受け、試験に合格すると取得できます。一方で日本茶アドバイザーはお客様に伝えることやインストラクターのアシスタントができる適格性のある方です。私も小さい頃からお茶を飲んでいましたし、日々お茶の勉強はしているので、日本茶アドバイザーをまずは取りたいと考えています。そして、より店舗をサポートしていきたいと思います。―同社の良いところを教えてください
スタッフの皆さんが商品に自信を持っている、持ちたいと思ってくれているところだと思います。なぜなら、元々お茶が好きということに加えて、繁田社長が実際にお茶を淹れて、全員試飲をした上で、「美味しい」と納得をして販売しているからです。また万が一、取引先の方のトラブルで、お茶の味が少し違うということが起きた場合でも、一人ひとりがなぜ起きたのかお互いの意見をぶつけ合いながら、活発的に話し合い、今後の対策を考えます。だからこそ、常に自信をもって美味しいお茶をお客様に提供できるのだと思います。支えてくれているスタッフの皆さんのおかげで、長い間お客様から愛される東京繁田園を維持できているのだと思います。株式会社東京繁田園茶舗
947年 阿佐ヶ谷店 開店
1949年 荻窪店 開店
1960年 天沼倉庫 開設
1965年 昭島市場店 開店
1980年 浦和店 開店
1985年 若葉台店 開店
1988年 ブラウンチップ(珈琲自家焙煎専門店)開店
1949年 荻窪店 開店
1960年 天沼倉庫 開設
1965年 昭島市場店 開店
1980年 浦和店 開店
1985年 若葉台店 開店
1988年 ブラウンチップ(珈琲自家焙煎専門店)開店
創業年(設立年) | 1947年 |
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事業内容 | 日本茶専門店5店、コーヒー自家焙煎店1店での小売販売、日本茶、コーヒー生豆の卸売。 |
所在地 | 東京都杉並区阿佐谷南1-14-16 1F 阿佐ヶ谷パールセンター内 |
資本金 | 1000万円 |
従業員数 | 32名 |
会社URL |
監修企業からのコメント
私自身、子どもの頃から、急須で淹れるお茶を飲む機会がなかったので、 東京繁田園さんのように気軽に楽しめる場が増えてほしいと感じました。 また、繁田社長の思いもお茶の魅力以上に伺え、良い機会となりました。 この度は、ありがとうございました。
掲載企業からのコメント
長年繋いできた歴史を振り返る機会となりましたが、 改めて、次世代に当社の味を残していきたいと強く思いました。 今後は新しい形でも、当社の味を知ってもらい、それが続いていく体制を作っていきたいですね。取材していただき、ありがとうございました。