ホーム

 > 

掲載企業一覧

 > 

小島精工株式会社

小島精工株式会社 代表取締役社長 小島 孝弘

今回取材させていただくのは、群馬県高崎市に本社を構える小島精工株式会社。今年で創業88年を迎え、長い歳月の中で培ってきた高い技術力を活かし、プレス金型の設計、小型金属部品の少ロット生産を強みとする同社。地域をはじめ、幅広いお客様から絶大な信頼を得ている。長い歴史の中で、戦争時代も乗り越えて創業の精神を守り続けてきた。今回は日本が誇る老舗ものづくり企業の歩んできた軌跡と、来る100周年を見据えた今後の展望を代表取締役社長の小島孝弘氏に伺った。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

融和が根付く小島精工の文化

同社には企業理念としても掲げられる”融和”という独自の文化が息をするように根付く。その背景には2代目以降経営陣および、社員の協調と連携によって繁栄してきた歴史が存在する。1932年に東京都荒川区で小島社長の祖父にあたる小島八蔵氏が創業した同社。生粋の技術者であった小島八蔵氏はあの本田宗一郎よりも早い段階から電動自転車を考案していたというほどの技術の持ち主だったという。その後、八蔵氏のご子息である5人兄弟が全員が会社に在籍し、共に支え合うことで、現在まで続く同族経営の基盤を築き上げてきた。第二次世界大戦をきっかけに本社を群馬県高崎市に移した同社。どんな難局も親族を含め、社員一丸となって乗り越えてきた歴史の中で、自然と”融和”という文化がつくり上げられた。「日本的経営」の一つの理想型ともいえるのではないだろうか。

小島精工が誇る熱処理後の修正技術

他を圧倒する高い技術力こそ同社の独自性である。
創業からものづくりに力を注いできた同社は、代表的な技術として、プレス部品の熱処理後における高い修正技術を有する。一般的に金属は熱処理を加えると変形が避けられない場合が多く、形状や材質、加工手順で変形する度合いにもばらつきがあり、そのため、修正には非常に高度な技術が求められる。そこで同社は独自のノウハウにより、部品の特性に合わせた修正治具類や検査治具を内製し、熱処理後における修正を精度高く行うことに成功。昨今、金属加工は東南アジアをはじめ海外に生産の場を広げているが、現地の設備ではこの品質の再現は難しいとされ、同社の技術は希少価値が高い。そのため、取引先だけでなく、地域の企業からの信用も厚い。

自社製品の開発へ。チャレンジし続ける企業

「自社の製品を開発していきたい」と展望を語る小島社長。2032年で創業から100周年を迎える長い歴史の中で着々と実力をつけてきた同社は、創業の想いを今一度振り返り、自社製品の開発を目指す。「過去に何度か自社製品の開発にチャレンジしてきた」と小島社長の言葉通り、以前も社員からのアイディアを募る取り組みをしてきたが、本業との兼ね合いもなどもあり、実現に至らなかった。自社製品の開発は一筋縄ではいかないと感じたが、それでも「アイディアが浮かんだらメモをするようにしている」と語る小島社長。今後も自社製品の開発へ挑戦していく。現代ではクラウドファンディングなどのこれまでにない新しいツールが誕生してきている。このようなツールを積極的に活用することによって、自社製品の開発を効果的に進められることが可能になった。同社の100周年はきっと自社製品が生まれている。
”融和”の文化が根付く小島精工の社風
高い品質の製品を生み出す同社の誇る工場
小島精工が製造する小型プレス部品

小島社長が抱く会社への思い

会社を継ぐことをいつごろから考えていましたか

幼少期から潜在的には会社を継ぐのかなと考えていました。昔から、家族が会社を経営している姿を間近で見てきて、自分の将来のイメージを持つことができていました。
小学校の頃には社会科見学の授業で自分の会社に訪れたこともあり、周りからもいずれは会社を継ぐような雰囲気はありました。その後社会人になり、一度自動車系の会社に8年勤め、社外の経験を積み、多くのことを学ぶことができました。前職では海外へのチャレンジという選択肢もあったのですが、長男ということもあったので、会社に戻り、後を継ぐことを決意しました。入社後は、会社の歴史や伝承していくべき技術について学び、その後役員をはさみ、2018年に社長に就任し、現在に至ります。今後100周年を迎えていく中で、今後の世代にバトンを渡せるようにしっかりと会社の基盤を固め、次の世代へ受け継いでいきたいと考えています。

社長に就任してから気を付けていることを教えてください

新しく何かに取り組んでいくということではなく、会社としての基礎を固めていこうと取り組んできました。特に、人を育てるということを一番大事に考えています。今まで長い歴史の中で積み重ねてきた技術を、時代の変化に合わせた施策で伝承していきたいと考え、最近では多能工化に力を入れて取り組んでいます。一人ひとりの技術力を高め、少数精鋭化で生産性の高い会社にしていくことで、時代の変化に対応し続ける会社になれると考えています。しかし、まだまだ技術力に個人差があり、完全な多能工化とは言えません。そのため、5S活動などを積極的に行い、会社の基盤を安定させることで人が育ちやすい環境を作るなどの工夫をしています。また、今後は(コロナの対応にも気を付けながら)社内イベントを積極的に行い、社員同士の関係性をより構築させていこうと考えています。息をするように根付く”融和”という会社文化の中で、少数精鋭化を目指し、人を育てていきたいと考えています。

今後の取り組みとして考えていることを教えてください

現在の延長とも言えますが、技術と品質を高めるとともに、生産性を上げて、「利益を生む」組織をつくることです。急速な成長や発展は、人・組織の問題でほころびを生んでしまうかもしれません。ただ、拡大をするのではなく、高く安定した技術と品質の中で、少数精鋭化として成長していきたいです。”融和”という文化は不変ですが、しっかりとした利益をつくることで、夢でもある新しいものづくりにチャレンジできると考えています。

会社の未来をつくり 次世代へつなげてゆくキーマン

小島精工株式会社 生産部 生産管理課長 横谷 光彦

小島精工株式会社で生産管理部門の課長を務める横谷さん。部品の発注を行う生産管理から、製品の確認を行う品質管理をメインに行なう。製造の入り口と出口を管理する責任ある仕事を全うする。その仕事に対する姿勢は、小島社長からも一目を置かれ、会社にとって欠かせない存在として活躍している。常に現場社員とのコミュニケーションを取り続け、会社の業務を円滑にする潤滑油のような役割として働く横谷さん。今回の取材では、入社から18年豊富な経験を持ち、今後の小島精工を担う横谷さんの軌跡と将来について伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

確かな歴史を誇る企業へ、覚悟を持った入社

26歳の時に同社に入社した横谷さん。入社理由を「義兄(現在の専務)が務めていることから、働くことを決めた」と語る。前職では責任ある立場を任せられながらも、現状のままで良いのかと悩んでいた中、身近な人が長い歴史を誇る企業で働いている姿を目の当たりにし、入社を決意したという。また、横谷さんの入社は、同族経営を強みにする同社にとっても、大きな戦力となった。 入社当初の5年間は出荷係として勤め、その後品質管理、生産管理の業務を行うようになった横谷さん。現在は課長となり、部下の育成や会社の経営面など、会社に欠かせない存在へと成長を続ける。今後は技術者の多能工化に向け、会社を進化させていきたいと考える横谷さん。社長と常にコミュニケーションをとりながら、一目を置かれる存在となり、今後は会社の中枢としてさらに活躍の場を広げていく。

”お客様のために”誇りを持って仕事に取り組む

「新しい製品を立ち上げた時にお客様から喜んでもらえることが最大のやりがいになる」と語る横谷さん。その言葉の裏には、品質に絶対の自信を持つ同社の生産管理を背負って立つ横谷さんの覚悟が伺える。同族経営を行っている中で自然と目線が会社経営に向くという横谷さん。「会社の中で親族同士適材適所で自分の役割を担っている」と語るようにそれぞれの持ち味を活かし、役割を全うしているとのことで、横谷さんの品質管理の統括には、小島社長も「安心して仕事を任せられる」と絶大な信頼を置いている。同社の強みでもある品質を徹底して守るべく、社員同士で密なコミュニケーションを取り、日々改善に取り組んでいる。お客様に最大の価値を提供するため、横谷さんは誇りを持って自身の役割を全うする。

2つのキーワードを実現させ、理想の会社へ

「会社の利益を向上させていきたい」と強く目標を語り、この目標の実現のために、“多能工化”と“ムダの無い働き方”という2つのキーワードを挙げる横谷さん。 “多能工化”については「これを実現し、少数精鋭でも力強い存在になっていきたい」と語る。誰かに依存する仕事をなくし、誰が担当しても仕事が円滑に進むようにすることで、仕事に穴をあけず、チームとして生産性高く仕事をこなすことができる。過去の経験者離職の体験もあり、技術の流出を防ぐ点では、必須課題といえる。 2つ目の“ムダの無い働き方”について、具体的には5S活動の推進や残業時間を減らしていく勤務体制にするなど、一人ひとりのムダの無い職場をつくり出すことで個人として生産性が高い職場を実現させる。 課長という責任ある立場から、会社の未来を明確に描き、来る100周年に向け、歩みを進める。
次世代を担うキーマンとして活躍する横谷さん
高い技術を誇るプレス生産
社員の取り組みを見える化する習熟度マップ

小島精工の発展を担うキーマン

教育をする上で気を付けていることを教えてください

教える側と教えられる側で相違することがないかを常に気にしながら現場社員の教育を行っています。少しの言葉のニュアンスの違いでも全く違う捉え方をしてしまう場合があります。そのため、常に現場社員の目線に立ち、的確なアドバイスをすることを念頭に置き、現場社員の教育を行っています。その一例として、一人ひとりの多能工化に向けた進捗状況をリストにし、習熟度マップとして見える化を図りました。誰がどのレベルかを分かりやすくしたことで、指導・教育の内容が的確になり、社員の成長を促進していきます。

小島社長が就任してから変わったことを教えてください

急激にガラっと変わったわけではないが、着実に良い方向に変化してきていることを感じます。特に変化したものとして、1つ目は働き方についてです。休む時はしっかりと休み、業務は集中して行うというような体制づくりや、5S活動や作業の見える化などを通じて、生産性を高める働き方に変化してきました。2つ目は社内の風通しが良くなってきたと感じています。これは社長の人柄が影響していると考えています。小島社長はとてもフレンドリーな人柄で誰からも好かれるような人物で、私自身とも何でも言い合えるような存在で、社員から出た意見をすぐに実行し、改善に動いてくれます。この2つは5代目になり、強みとなりました。

品質管理を行う上で気を付けていることを教えてください

小さな不具合や社員からの気づきに対して敏感でいることを意識しています。特に社員からの声は聞き逃がさないようにしています。現場からは小さな傷が一つでもあった場合、逐一連絡が来るようになっており、社員一人ひとりが真面目に仕事に取り組んできた結果が長年高い品質を保ち続けた理由です。そのことで、お客様からの信頼を積み重ねたことが、私たちの強みです。今後も教育体制ともに品質管理に力を入れていきます。

監修企業からのコメント

小島精工株式会社の”融和”という独自の社風は長い時間をかけて文化として浸透し、その歴史は唯一無二です。また、今後も更なる挑戦を考えておられ、まさに伝統と挑戦の革新企業だと感じました。今後も地域に根差し、我々にとって必要不可欠な企業として成長していく同社に目が離せません!

掲載企業からのコメント

この度は、取材を実施していただきありがとうございました。
これまでの歴史や、今後の展望を改めて文字にし、会社を振り返る良い機会になりました。
今後も社員一丸となり、成長を続ける会社を目指していきます。

小島精工株式会社
昭和7年4月 東京都荒川区尾久町に小島八蔵が、小島製作所として創業。
         アイスクリームを作るアンモニア冷凍機の製造と
修理を営業品目として創業。

昭和17年8月 大東亜戦争の激化に伴い航空機部品の生産に転じる。

昭和20年4月 戦災を被り高崎市に疎開。
         中川テープ工業株式会社様工場の一角を借用し、同社の機械修理工場として営業を再開。

昭和27年1月 実用新案を取得したライトコントロール(自転車に乗ったまま発電ランプを点灯出来る装置で近年まで製品化されていた)の商品化を図る。
            この商品化の為にプレス設備をする事になり、
当社がプレス業界に携わるきっかけとなる。

昭和29年9月 プレス業界参入。
株式会社林製作所様より石油ストーブ、洗濯機のプレス部品受注。

昭和34年6月 有限会社小島製作所(資本金30万円)を設立。
            代表取締役に創業者の小島八蔵が就任。

昭和34年10月 高崎プレス工業共同組合に加盟。

昭和37年7月 マックス株式会社様より、
ホッチキス・エアタッカ等のプレス部品を受注。
            マックス株式会社様と、本格的な取引がスタート。
昭和40年4月 自社のプレス作業の安全性を図るため、
クランクプレス用電磁安全装置を開発し、
            労働省の認可を受け商品化を図る。

昭和42年7月 資本金120万円に増資、
前橋市青梨子町に工場(215平方メートルm²)を新築。

昭和46年3月 資本金250万円に増資し、
代表取締役に小島武昭が就任。
昭和46年9月 株式会社中川機器製作所様より、
自動車、カメラ用プレス部品を受注。
昭和47年11月   工場東側に2階建て組立工場兼休憩室を増築。
            マックス株式会社様より製品組立てを受注。

昭和48年9月 資本金500万円に増資。

昭和52年1月 事務棟休憩室増築。
昭和52年8月 治工具棟を増築。
昭和56年7月 株式会社東京鋲兼様より、日本精工株式会社様向けの自動車(ステアリング)部品を受注。
         スターテング工業株式会社様より小型発電機コイルスターター部品を受注。
昭和57年9月 岡部工業株式会社様より、沖電気工業株式会社様向けOA機器部品を受注。
昭和59年5月 資本金を1,000万円に増資。
昭和61年8月 三甲株式会社様より、プラスチックコンテナーの把手を受注。
         高崎市(旧_群馬町)足門工業団地進出を決定し、
           群馬町工業団地共同組合に加盟。
昭和63年4月 澤藤電機株式会社様より、自動車用電装品、
           冷蔵庫及び発電機のプレス部品を受注。
昭和63年7月 有限会社小島製作所を、小島精工株式会社に社名変更。
           代表取締役に小島義昭が就任。
昭和63年8月 高崎市(旧_群馬町)足門工業団地内の敷地
          (3,122平方メートルm²)に、新社屋
          (1,635平方メートルm²)を建設し、前橋市青梨子町より移転。
平成2年8月 金型格納用自動倉庫導入により金型管理の合理化を図る。
         金型製作のマシニングセンター導入。
平成2年10月 ワイヤー放電加工機増設。
平成3年8月 バーチカルカルーセル(垂直式回転部品収納庫)
           3基を導入し部品管理の合理化を図る。
平成4年1月 製品倉庫(430平方メートルm²)増築。
平成4年8月 株式会社阪東工業様より、PIAA製品(TERZO)の
           スキーキャリア、荷物キャリアのプレス部品を受注。
平成5年4月 CAD/CAM総合システムを導入。
平成6年7月 株式会社秋葉ダイカスト工業様より、
           タキゲン製造株式会社様の錠前製品のプレス部品を
           受注。
平成10年6月 三次元測定機新設により、検査室増築。
平成11年8月 仕上げ加工室増築。
平成12年5月 CNCフリーモーションプレスを導入。
平成13年6月 代表取締役に小島茂昭が就任。
平成15年3月 200tストレートサイドプレス導入。
平成17年3月 200tサーボプレス導入。
         ワイヤー放電加工機切替え導入。
         2D CAD/CAMから3D CAD/CAMに切替え導入。(2台)
平成18年1月 市町村合併に伴い、群馬郡群馬町足門から
           高崎市足門町へ住所変更。
平成24年6月 株式会社シバサキ製作所様より、
           自動車用シート部品を受注。
平成25年10月    省エネ対策として、生産部門、治工具部門、
           事務室の照明をLEDに切替え。
平成26年7月 ワイヤー放電加工機切替え導入。
平成27年6月 株式会社新芝製作所様より、建設関連部品を受注。
平成28年4月 200tサーボプレス、レベラーフィード(板厚4.5mmまで)導入。
           (ものづくり補助金採択による)
平成30年7月 代表取締役に小島孝弘が就任。
平成30年11月 事務室、通路の照明をLEDに切替え、ほぼ全ての照明をLED化する。
平成31年1月 ホームページリニューアル。
平成31年4月 高崎市足門工業団地拡張工事に伴い、
         本社工場北東位置の敷地(1,489平方メートルm²)を取得予定。
創業年(設立年) 1932年
事業内容 ・プレス加工(単発加工・順送加工)
・プレス金型設計・製作(単発型・順送型・各種治具・各種検査ゲージ・その他)
・プレス部品試作(簡易型プレス加工・ワイヤー放電加工・ベンダー加工など)
・切削・研磨(マシニング加工・成形研磨加工)
・溶接加工(スポット溶接・TIG溶接・アセチレンガス溶接)
・加締め加工(ハイスピン加締め加工・プレス加締め加工)
・タップ加工(M2~M8) ※M8以上はマシニング対応
・熱処理変形部品の仕上げ(熱処理による変形を仕上げ修正・検査)
・その他
所在地 〒370-3531群馬県高崎市足門町39-6
資本金 1000万円
従業員数 42名(男子33名/女子9名)
会社URL

小島精工株式会社