壽高原食品株式会社 代表取締役 水井寿彦
長野県千曲市の特産品であるあんずを活かした果実加工から歩みを始めた壽高原食品株式会社。創業時はジャム製造を手がけ、現在では業務用の濃縮果汁やピューレを主力としながら、大手食品メーカーの清涼飲料や洋菓子、調味料の原材料など、様々な分野でその技術が求められている。果実のプロフェッショナルとして安全で安心な食を支えることにこだわり、お客様はもちろん、従業員や取引先にも笑顔を届けることを大切にしてきた。その想いは製品づくりにとどまらず、企業文化としても深く根付いている。今回の取材では、水井社長が家業を継ぐ決意を固めて以来、どのように同社の社風や独自性を築いてきたのか、そしてこれからの未来の展望について伺った。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
誠実さと堅実さが支える温かな職場
同社には、誠実で丁寧なものづくりを大切にする風土が根付いており、製品づくりにもその姿勢が貫かれている。その働く姿勢は、社員一人ひとりの温かい支援や、和気あいあいとした雰囲気の中で仕事が進められていることからも伺える。同社の誠実な姿勢は、経営陣の常に現場を重視した社員ファーストの企業文化として根付いており、従業員の家族にも配慮した経営を行っている。このように安心して長く働ける環境が提供されていることで、社員たちは仕事に対して真摯で前向きに取り組むことができるのだろう。またその器用さを活かして幅広い製品を手がけ、お客様からの依頼に対して柔軟に対応している。長年の歴史の中で培った果実加工の技術力を軸に、品質の追求だけでなく、イノベーションにも積極的に挑戦している。このような誠実さと堅実さが、同社の安定した運営を支え、従業員が活き活きと働ける環境をつくり出している。強固なネットワークが支える製品力
深い信頼関係を築いている産地とのつながり、そして原材料の調達能力の高さが、同社の事業基盤をしっかりと支えている。この強力なネットワークによって高品質な原料を安定的に確保し、高い技術力を活かして製品の多様化を実現しているのだ。同社では果実のピューレや果汁、果肉といった製品を幅広く展開しており、これらが顧客のさまざまなニーズに対応する強力な武器となっている。リンゴひとつを例にとっても、果汁、果肉、ピューレ、ジャムを製造するなど、異なる用途に応じた製品をつくり分ける能力がある。この柔軟な対応力こそが、競合他社との明確な差別化を生んでいるのだろう。また、長年築いてきた産地や仲買人との深い信頼関係によって、果実加工メーカーにとって重要な原料を確実に調達できる強いパイプをつくることができている。これらが同社が長年にわたって生き残り続けている理由であり、他社にはない独自性を確立できる要因となっているのだろう。理念の再構築と自立型組織の形成
今後の展望について、「社員のさらなる自立的な行動を促進し、企業文化の革新を進めていきたい」と語ってくれた水井社長。自立した行動集団をつくることが、会社の成長に不可欠だと考えているためだ。実際に製造部門の10人を対象とした職場活性化プログラムを導入し、各自が部署の5Sや改善活動を進めている。このプログラムによって社員一人ひとりの潜在能力を引き出し、指示待ちの姿勢から自ら考え行動する力を育んでいるという。このプログラムを通じて多くの社員が自分の才能を再認識し、成果も上がっている。この取り組みは社員の意欲を高め、今後の成長に大きな役割を果たすだろう。さらに同社ではホームページをリニューアルし、理念やミッションを記載することで従業員に浸透させていく予定だという。このような社員の自律的な行動を促進させる動きによって、同社は未来に向けたさらなる成長と発展を実現していくのだろう。
変わる時代に、変わらぬ誠実さを
社長になった経緯について教えてください。
実は家業を継ぐ決断をした時、非常に大きなプレッシャーを感じていました。それまで私はIT業界でキャリアを積んでいたので、家業に直接関わることはなかったんです。壽高原食品へ入社後、営業の経験を積みながら、経営者としての覚悟はある程度していたのですが、実際に、経営者という立場になった際に、どうしてもその責任の重さに悩む時期がありました。自分が果たしてこの会社をうまく引っ張っていけるのか、正直不安だったんです。しかし、家業を守るという強い使命感と義務感もあり、先代である父親からのサポートを受けながら家業を受け継ぐ決心を固めることができました。このような経緯があって、社長としての役割を引き受けることができたのだと思います。水井社長が会社を継いでから大切にしてきたことは何ですか?
社員との信頼関係と誠実さを何よりも大切にしてきました。職場の人間関係が原因で悩んでしまう社員がいることは、経営者として非常に心苦しく感じています。会社は一日の大半を過ごす場所だからこそ、誰もが安心して働ける環境をつくらなければならないと考えています。そのため、経営陣との対話を重視し、社員の意見をしっかりと聞く機会を設けています。単なる指示ではなく、現場の声を反映しながら会社の方向性を決めていくことで、働きやすい職場を目指しています。また、社内の風通しをよくすることも重要です。お互いに相談しやすく、困ったときに支え合える関係が築ければ、社員のモチベーションも高まり、会社全体の成長につながると信じています。今後どのような会社を目指していきたいですか?
「果実×誠実=笑顔」。これが、当社が目指す企業のあり方です。品質にこだわり、地場の果実を活かしながらお客様に笑顔を届けるためには、まず社員が笑顔で働ける環境が欠かせません。そのため、当社では従業員満足度を重視し、働きやすい職場づくりに力を入れています。工場祭などのイベントを通じて社員同士の交流を深めるほか、地域の方々とのつながりも大切にし、働く誇りとやりがいを実感できる環境を整えています。また、果実の原料確保や生産性の向上にも取り組み、時代の変化に柔軟に対応しながら、従業員の安定した生活を守ることを最優先に考えています。これからも社員の笑顔が企業の成長につながるよう、働きがいのある職場づくりを進め、地域とともに発展していきたいと考えています。
挑戦から生まれる、無限の可能性
壽高原食品株式会社 営業本部営業部次長 上條和彦
新卒で入社してから30年間の勤務を経て、現在は営業本部の次長として活躍している上條次長。組織のプレイングマネージャーとして部門間の連携や業務の効率化を推進しながら、常に新たな課題に挑戦し続けている。営業という枠を超え、多岐にわたる経験を積む中で、上條次長が大切にしてきた価値観とは何か。そして、日々の業務を通じて感じるやりがいや、これからの未来にどのような想いを抱いているのか。長年の経験から培った柔軟な対応力と課題解決の姿勢を武器に、次の世代へバトンを繋ごうとする上條次長。その歩みの中には、仕事への誇りと仲間との絆があった。今回の取材では、上條次長のこれまでのキャリアと、仕事に向き合う姿勢について詳しくお話を伺った。伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
偶然の出会いから成長を重ねた歩み
上條次長が同社に入社したのは、偶然の縁がきっかけであった。就職活動を始めた当初はホテル業界に就職する予定だったが、卒業後に新たな選択肢を模索することとなり、再び地元である長野県で就職活動を行うことに。そこで偶然同社の求人に出会い、入社に至ったという。入社して数年、新しい環境に対して不安もあったものの、実際に働いてみると職場の温かな雰囲気や社員同士が助け合う文化が自身とマッチしたのだ。しかし働く中で、上司との意見の食い違いで対立することや、未知の分野に挑戦しなければならない状況もあったという。そのような上司との対立や職場での協力を経て、他者との意見交換の大切さや柔軟な考え方を身につけたことで、仕事への向き合い方が変化したという。現在は様々な経験を経て、営業部次長に就任。自分一人で進んでいくのではなく、周囲との対立や協力を経て共に成長していくことを重要視しながら現在もなお活躍し続けている。消費者の声が力となる、仕事の原動力
上條次長のやりがいは、営業として大きな契約を取ることだけでなく、自分が企画した商品が世に出て消費者であるお客様に評価されることである。特に自分で企画した家庭用ジャムなどがお客様に認知され、「美味しかった」という声を直接もらうことが上條次長にとってこの上ない喜びだという。通常時は業務用の果汁やピューレを企画・納品することが多い中で、家庭用の商品がお客様に届き、手紙や電話で商品への評価が届くことに特別な価値を感じているのだ。また、「長野県の一企業でつくられた商品が全国で親しまれ、美味しいと評価されることに大きな誇りを持っている」と語ってくれた上條次長。このようにメーカーだからこそ感じることができるやりがいを、上條次長自身が開発部や新人の社員にも伝えているという。お客様との繋がりを感じることが上條次長にとっての仕事の原動力であり、その喜びこそが次のステップへ進む力を与えているのだろう。仕事も趣味も、妥協しない人生を目指して
上條次長の夢は、定年後も趣味であるゴルフを楽しむことだ。現在もひと月に何度もゴルフ場に通うほどだそうで、定年後もこの趣味を続けることを楽しみにしている。しかし、仕事に対する想いも衰えることはない。現在55歳である上條次長は、「定年を迎えた後も再雇用の機会があれば引き続き部下を育成するという面で会社に貢献したい」と教えてくれた。特に部下たちの成長を見守りながら、彼らが自分の道を切り開いていく過程に関わりたいという。しかし、部下を積極的に指導するのではなく、あくまで自然に道筋を示し、主体性を育んでほしいと考えている。また、社内での情報共有や連携の重要性も感じており、今後さらに組織内のコミュニケーションが薄れないように、より円滑な連携を促進していきたいという。定年後の楽しみを持ちつつも、仕事に対する想いを忘れず、会社と部下たちの成長を見守ることで、充実した毎日を送ることを目指している。
変革と挑戦で築く、次世代の躍動
仕事をする中で難しいことについて教えてください。
仕事をする中で難しいことは、組織の文化を変えることです。弊社は社長が交代した2019年をきっかけに、ワンマン体制から組織的な運営へと少しずつシフトしてきました。先代の社長はカリスマ的な存在で、長い間社長直結の形で組織が動いていましたが、現在は全員が積極的に関わることができるような環境を目指しています。ただ、依然として課題も残っています。一部の社員には自分の役割に対してもう少し当事者意識を持ってほしいという想いがあり、改善に向けた取り組みを進めています。少しずつですが、社員が自分の意見を発信したり、自分の仕事に積極的に参加する場面が増えてきています。この変化が進むことで、会社の成長に繋がればと考えています。水井社長はどのような人ですか?
水井社長は、男気がありながらも柔軟な対応力を持つ方です。もともと理系出身で、別の業界で働いていた経験がある方なのですが、その異なる環境で培った力が、会社の成長にも大きく活かされているのだと思います。また、地元の名士としても信頼が厚く、社員だけでなく地域の人たちからも頼られる存在です。特に水井社長が自らのスタイルを模索しながら会社を導いてきた姿勢には、私も学ぶことが多いと感じます。過去のやり方にとらわれず新しい発想を積極的に取り入れる姿は、まさにリーダーの在り方そのもの。そんな社長のもとで私たちも共に成長し、会社を支えていきたい。そう思わせてくれる存在です。さらに会社を強くしていくポイントはどこにあると思いますか?
いま農業業界が抱えている課題に向き合いながら、既存事業の柱を守り続けることがポイントだと考えています。特に国産果実の生産量が減少している中で、リンゴの加工業を持続させることは大きな課題。新規参入する加工会社がほとんどない中で生き残るためには、既存事業の強みを活かしながら、さらに安定した収益の柱を築くことが求められていると思います。そのためには営業や現場の声を活かし、会社全体で課題に取り組む姿勢が不可欠だと思います。ただ指示されたことをこなすのではなく、社員一人ひとりが「どうすればより良くなるか」を考え、積極的に意見を出していくことが重要だと思います。そうした意識が根付けば、コスト削減や業務改善にもつながり、会社が強くなっていくのではないでしょうか。壽高原食品株式会社
1919年 創業者・水井壽穂が長野県旧更級村(現・千曲市)に更級杏ジャム(株)創立
1921年 あんずシロップ漬け(缶詰)製造開始
1924年 更級ジャム(株)に社名変更
青森へ進出し、りんご汁の商品化に成功(日本初のりんごジュースの誕生)
1927年 更級ジャム(株)解散
1931年 東京に(資)壽商会を設立、営業再開
1936年 長野県豊野町(現・長野市豊野)に豊野工場を新設
1941年 りんご酒の製造を開始
1942年 戦争のため(資)壽商会の本店を東京から豊野工場に移す
1946年 二代目・水井正三が代表取締役に就任
1947年 東京に壽食品工業(株)を設立
1951年 戸倉工場にて缶詰とジャムの製造を開始
1956年 各種濃縮果汁の製造を開始
1962年 水井正三が寿高原食品(株)を設立
1967年 本社工場内に県下最大規模の果実缶詰工場(鉄骨)を建設
1972年 ジャム原料用いちごの加工処理量が2000トンに達する
1982年 りんご・桃の濃縮混濁果汁の製造を開始
1986年 三代目・水井壽光が代表取締役に就任
1994年 りんご窒素ガス搾汁を開始
1998年 長野冬季オリンピック開催
2009年 豊野工場・総合衛生管理製造過程取得
2010年 本社工場改築
2014年 本社工場・食品安全マネジメントシステムISO22000取得
2018年 千曲市更埴体育館が「ことぶきアリーナ千曲」に
2019年 四代目・水井寿彦が代表取締役に就任
2020年 令和元年東日本台風で被災した豊野工場が復旧を果たす
2022年 復興事業として豊野工場改築
2024年 豊野工場・食品安全マネジメントシステムISO22000取得
1921年 あんずシロップ漬け(缶詰)製造開始
1924年 更級ジャム(株)に社名変更
青森へ進出し、りんご汁の商品化に成功(日本初のりんごジュースの誕生)
1927年 更級ジャム(株)解散
1931年 東京に(資)壽商会を設立、営業再開
1936年 長野県豊野町(現・長野市豊野)に豊野工場を新設
1941年 りんご酒の製造を開始
1942年 戦争のため(資)壽商会の本店を東京から豊野工場に移す
1946年 二代目・水井正三が代表取締役に就任
1947年 東京に壽食品工業(株)を設立
1951年 戸倉工場にて缶詰とジャムの製造を開始
1956年 各種濃縮果汁の製造を開始
1962年 水井正三が寿高原食品(株)を設立
1967年 本社工場内に県下最大規模の果実缶詰工場(鉄骨)を建設
1972年 ジャム原料用いちごの加工処理量が2000トンに達する
1982年 りんご・桃の濃縮混濁果汁の製造を開始
1986年 三代目・水井壽光が代表取締役に就任
1994年 りんご窒素ガス搾汁を開始
1998年 長野冬季オリンピック開催
2009年 豊野工場・総合衛生管理製造過程取得
2010年 本社工場改築
2014年 本社工場・食品安全マネジメントシステムISO22000取得
2018年 千曲市更埴体育館が「ことぶきアリーナ千曲」に
2019年 四代目・水井寿彦が代表取締役に就任
2020年 令和元年東日本台風で被災した豊野工場が復旧を果たす
2022年 復興事業として豊野工場改築
2024年 豊野工場・食品安全マネジメントシステムISO22000取得
| 創業年(設立年) | 1919年 |
|---|---|
| 事業内容 | 果実・野菜類の加工販売 |
| 所在地 | 長野県千曲市大字戸倉1465-1 |
| 資本金 | 100,000,000円 |
| 従業員数 | 127名 |
| 会社URL |
監修企業からのコメント
この度は取材にご協力いただきありがとうございました。取材を通じて、同社の誠実な企業姿勢と社員を大切にする風土が伝わってきました。自立型組織の形成に向けた取り組みも印象的で、社員一人ひとりの成長を支える環境が整っていると感じました。壽高原食品様の今後のさらなる発展に期待しております。
掲載企業からのコメント
このたびは弊社を取材いただき、誠にありがとうございました。当社が大切にしている「果実と向き合う真摯な姿勢」や、ものづくりへのこだわりをお伝えできたことを嬉しく思います。今後も現状に満足することなく挑戦を続け、安心・安全な製品づくりを追求してまいります。