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京丸うなぎ株式会社

京丸うなぎ株式会社 代表取締役 塚本 和弘

「日本一のうなぎの総合企業」を目標に掲げる京丸うなぎ株式会社は、養鰻・加工・製造・販売すべてを自社で行う企業である。二代目である塚本和弘社長が入社した当初は社員数が5~6名ほどの規模の会社だったが、現在では100名を超える規模へと拡大した。その成長理由を「運が良かったから」と話す塚本社長。入社当初は、早朝から夜中まで、自らが先頭に立ち、業務を行わなければ回らない個人商店状態だったという。そこから着実に成長を遂げてきた背景には、運だけではない「挑戦」と「革新」の積み重ねがあった。今回の取材では、そんな同社の「運が良かったから」という言葉の裏側にある発展要因について迫る。

伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質

柔軟性が生み出した「信頼」という結晶

塚本社長は「ノーと言わず、できる限りお客様の要望に応える」という信念を持ち、それを社員にも深く浸透させている。この考えの背景には、社長自身が長年にわたり、その思いを忘れずにお客様と向き合い、信頼を築いてきた経験がある。過去には、困っているお客様のために多忙な業務の合間をぬって静岡から東京まで自ら足を運び、たった一つの商品を手渡しで届けたこともある。また、自己負担で空輸便を手配し、迅速に対応するなど、常にお客様第一の姿勢を貫いてきた。その積み重ねが評判となり、いつしか「困ったときは京丸へ」という認識が広まり、多くのお客様に頼られる存在となった。この姿勢は、飲食店の運営においても変わらない。「かゆいところに手が届く接客」を徹底し、「どんなに美味しい料理でも、気持ちの良い接客がなければリピーターは生まれない」という考えを大切にしている。そのため、従業員にもこの理念をしっかりと伝え、実践できるよう教育を行っている。

新たな価値を創造する挑戦と革新の力

同社の独自性は、常に新たな挑戦を続ける姿勢にある。塚本社長は「毎年一つ新しいものを売り出す」という方針のもと、顧客ニーズを反映させた製品開発を積極的に推進している。例えば、手焼きの味にこだわった蒲焼きを製造するための設備を考案し、特許を取得。さらに、真空パックで常温保存できるうなぎを開発し、持ち運びやすいお土産商品として販売した結果、新たな需要を生み出し、大きな反響を呼んでいる。また、同社は設備投資にも積極的だ。レトルト商品の開発においては、高度な殺菌を可能にする設備を導入し、常温保存を実現。この設備は国内のうなぎの加工場でも限られた工場にしかなく、さらにレトルト商品に活用しているのは同社のみであり、その独自性が際立っている。こうした挑戦は、自他ともに認める「アイデアマン」である塚本社長の発想力と、社員からの要望にノーを言わない企業文化が育んだものだ。今後も、同社から生まれる革新的な商品や技術に大いに期待したい。

愛される企業を目指す挑戦と成長の道

塚本社長が目指しているのは、社員が「ここで働いて良かった」と実感できる会社づくりである。その取り組みの一環として、社員の「自己実現のための時間確保」を重視し、働きやすい環境の整備に力を入れている。具体的には、労働時間の短縮や定休日の増加を推進し、そのための設備投資も積極的に行っている。また、研修制度や資格取得のサポートにも力を入れ、社員の成長を後押しすることで、個々のスキルアップだけでなく、会社全体の発展にもつなげている。さらに、同社は地域との繋がりを大切にし、地元の食材を活用した商品の開発やイベント協賛などを通じて、社会貢献にも積極的に取り組んでいる。こうした具体的な施策の積み重ねが、同社の競争力を高め、未来を支える堅固な基盤となっているのだろう。今後も、同社から生まれる革新的な商品や技術に大いに期待したい。
手焼きの美味しさを追求した設備
沼津港からほど近い「うなぎの総合企業」
沼津魚市場直送新鮮素材の寿司処も展開

挑戦を重ね、業績拡大へ

業績拡大に繋がった出来事はありましたか?

沼津への拠点移転は、弊社の成長にとって大きな転機でした。不動産業時代からの知人が、後に市場の幹部となったことで、沼津市場への参入が実現。その市場の片隅でうなぎを焼き、冷凍して販売していました。そんな中、ある魚屋から「焼きたてを朝売らないのはもったいない」と助言を受けたことが、新たな展開につながりました。試験的に焼きたてのうなぎを販売すると評判を呼び、やがて「朝焼き」というスタイルが定着。これにより市場内での存在感が増し、販路も広がりました。さらに、東京のスーパー向けに冷凍うなぎとのセット販売を開始したことで、取引量が拡大。工場も拡張し、1日最大2万5000匹の加工が可能になりました。こうした成長の背景には、人とのつながりを大切にし、新しい挑戦を恐れず実行に移す姿勢がありました。沼津でのご縁に支えられ、多くの人の協力を得ながら事業を拡大できたことに、今も感謝しています。

社員に大切にしてほしいことについて教えてください。

社員に大切にしてほしいのは、「お客様の立場になってニーズを考えること」です。弊社の行動指針にもあるように、常にお客様の満足を意識しながら仕事に取り組んでほしいと考えています。特に飲食のサービスでは「かゆいところに手が届く接客」を心がけ、お客様にとって気持ちの良いお店づくりをしてほしいと伝えています。自分自身、スーパーの店頭に立ってお客様に対面販売を行っていた経験もあるため、このお客様が何を求めているのか、どうすれば喜んでもらえるかをリアルタイムで感じながら仕事をしていたこともあり、余計に大切にしてほしいと思います。

どのような人材が活躍できる環境ですか?

弊社では、どのような人でも受け入れ、入社後はしっかり成長していける環境を整えています。数年前に年功序列を廃止したことにより、キャリアに関係なく評価をしていくので、特にチャレンジ精神を持った人にとっては、やりがいのある職場だと思っています。私自身「フェラーリを買うくらいなら機械を買う」という考えなので、必要な設備や機械があれば積極的に導入しています。社員からの要望にNOは言いません。欲しい機械があれば積極的に提案するように社員にも伝えています。今後の課題としては、中間層の人材をしっかり育てていくことです。この層が厚くなることで会社の土台がより強くなり、さらに成長していけると考えています。

物流から製造へ 異なるフィールドに挑戦し続ける

京丸うなぎ株式会社 製造・飲食事業統括本部部長 大沼 正敏

物流の世界から製造業へ。異なるフィールドに挑戦し続ける大沼部長の歩みは、まさに挑戦と成長の連続だった。貨物輸送の仕事をきっかけに同社と出会い、入社後は配送業務から製造部門へと活躍の場を広げてきた。さらに現場での経験を重ねながら未知の領域にも果敢に飛び込み、日々試行錯誤を繰り返している。そんな大沼部長は現在、製造と飲食事業の統括を担い、品質向上や新たな人材育成にも力を注いでいる。経営者の近くで働く環境が自身の成長にどのような影響を与えたのか。そして、次世代を育てる責任をどう感じているのか。これまでの経験と未来への展望について、大沼部長に話を伺った。

伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い

物流から製造へ、広がる挑戦

大沼部長が同社に入社したきっかけは、前職で担当した貨物輸送の仕事だった。元々スーパーで鮮魚を扱い、その後トレーラー運転手として働いていたが、転職先の貨物輸送会社で同社の貨物を運ぶ業務を任されたことが転機となった。この経験を通じて同社と関わるようになり、入社を決意した。入社当時、同社はまだ10人にも満たない成長途中の会社だった。大沼部長の最初の仕事は、沼津の魚市場や仕入れ先の魚屋へ商品の配送を行うこと。その後、製造部門へ異動し、工場での製造業務に携わるようになった。前職で鮮魚の知識はあったものの、うなぎの加工は未経験。そのため、塚本社長とともに国内外の工場を見学し、加工技術を学びながら試行錯誤を重ねた。現在、大沼部長は製造と飲食事業の統括を担い、白焼や蒲焼、真空パック商品の製造を指揮している。さらに、スーパーや百貨店への供給業務や、お中元・お歳暮の発送にも携わる。現場で培った知識を活かし、品質のさらなる向上を目指している。

社長の視点で感じたやりがいと成長

入社当初、経営者の近くで働く環境に驚いたという大沼部長。しかし、その経験が自身の成長に大きく影響を与えたと振り返る。前職では経営者との距離が遠く、会社の方針や意思決定のプロセスを直接感じる機会はほとんどなかった。しかし、同社では塚本社長のすぐそばで仕事をし、その決断力や責任の重さを間近で学ぶことができた。特に印象的だったのは、社長が日々の業務をこなしながらも、常に会社全体の方向性を考え続けている姿だった。この経験を通じて、自分の仕事の意義をより深く理解するようになったという。現在は製造と飲食事業を統括する立場として、社長の考えを現場に伝えながら業務を進め、会社の成長に貢献できることにやりがいを感じている。「社長の近くで働く環境がなかったら、今の自分にはなれなかった」と大沼部長は語る。経営の現場を肌で感じながら働いてきたことが、自身の成長に繋がり、仕事のやりがいを生み出しているのだ。

若手社員を育てる責任と誇り

大沼部長は若い世代を積極的に採用し、仕事を楽しめる環境をつくることを目標に掲げている。そのためには若手社員の新しい発想を柔軟に取り入れ、業務に活かしていくことが不可欠だと考えている。現在、工場の年齢層が高く若手社員が少ない現状に危機感を抱いており、今後、数年のうちに変革を進めていきたいと語る。そのためにも若手社員の力を最大限に活かして新しいアイデアを積極的に取り入れながら、柔軟な思考で業務に反映させていくことが会社のさらなる発展につながると考えている。また大沼部長は「社長と同じ考えで仕事ができる従業員を増やすことが必要」とも語ってくれた。塚本社長の考えを浸透させる場をつくり、従業員が同じ方向を向いて進んでいくことが会社の成長にとって欠かせないものである。今後大沼部長が中心となって従業員の意識を統一してチームワークを強化することが、同社の未来を支える重要な要素となるだろう。
飲食店舗と工場が隣接しておりスムーズな連携が可能
機械ではまかなえない熟練した技術
自社農園で野菜も育てる

社員一人ひとりの成長を支える、信頼の架け橋

若い人材が成長していくことに対してどう感じていますか?

自分の経験を活かし、次の世代が成長していく姿を見守ることは、とても楽しいです。お店での焼き方は、一人ひとりのペースに合わせて指導しています。特に、20代前半の若い社員たちは、ここ1~2年で目覚ましい成長を遂げました。未経験で入社した彼らも、今では魚の捌き方をはじめ、さまざまな調理技術を身につけています。私自身もともと魚を扱う仕事をしていたので、基礎からしっかりと教えてきましたが、彼らの成長を見るたびに本当に嬉しく感じます。指導する側としても、自分の教えが実を結び技術が身についていくのを見るのは大きなやりがいです。これからも彼らの成長を支え、さらにスキルアップできるように指導していきたいと思っています。

塚本社長はどのような方ですか?

塚本社長は、非常にユニークで面白い方だと思います。私が入社した当初、まだ社員が6人ほどだった頃から社長を見てきましたが、とにかく働き者で、その姿勢には本当に驚かされました。いつでも自らが最前線で働き続けている姿勢は、常に私たちの見本になっています。特に印象的だったのは、20年くらい前に出張先で倒れた時です。命の危機に瀕していたにもかかわらず、あのような状況から回復できたのは、タフな精神力を持つ社長だからこそだと思います。また、社長は非常に頭が良く豊富な知識を持っているため、どんな質問にも的確に答えてくれます。その柔軟な発想とアイデアは、型にはまらない独自の視点を持っているからこそ生まれるものなのではないかと思います。

今後京丸うなぎをどのような会社にしていきたいと考えていますか?

まず、現在の製品力はしっかりと守り続けていきたいと考えています。これは私たちの基盤であり、最も重要な部分です。その上で今後は若い人材の新しい考え方をより積極的に取り入れ、柔軟に成長していける組織を目指しています。現在、弊社の社員の多くは自分の仕事がどのように進んでいるのか明確に見えていない部分があると思います。だからこそ若手社員の育成に力を入れ、一人ひとりが成長して活躍できる環境を整えていきたいと考えています。また、今後従業員の数がさらに増えるにつれて社長の顔を知らない社員も増えてくるでしょう。そうした社員にも社長の考えや思いをしっかりと伝え、全員が同じ方向を向いて一丸となれる会社をつくっていきたいと思っています。

監修企業からのコメント

この度は取材にご協力いただき、ありがとうございました。お客様に対して真摯に向き合い、常に新たな挑戦をし続ける姿勢に感銘を受けました。日本一を目指す貴社の今後のさらなる発展に注目してまいります。

掲載企業からのコメント

今回取材を受けて、自分の言葉が文字となることで、今まで自身が行ってきたことを振り返る良いきっかけになりました。それと同時に、まだまだ頑張らなければいけないと強く思いました。これからも「日本一のうなぎの総合企業」を目指し、精進していきます。

京丸うなぎ株式会社
1961年 静岡県焼津市にて養鰻業を個人創業
1967年 養鰻業に加え活鰻問屋に業種拡張
1970年 白焼加工場建設稼働
    白焼の販売開始
1975年 京丸弁当チェーン店を買収
1981年 産地の問屋業より消費地の問屋として静岡県東部地区の沼津市幸町に加工場業務移転
    京丸鰻店に名称変更
1985年 沼津魚市場場外、沼津市千本港町に加工場移転
    静岡県東部地区の魚店、量販店、観光関係に販売開始
    朝焼きうなぎ販売開始
1993年 有限会社京丸うなぎ設立
    中央卸売市場、地方卸売市場に販売開始
1994年 沼津さかなセンター内に小売テナント出店
1995年 ヤオハン沼津南プラザ店内に小売テナント出店
2003年 業務拡張、蒲焼ライン自動化のため沼津市蓼原町「沼津魚市場場外」へ移転工場建設
2004年 更なる業務拡張により沼津市春日町「沼津魚市場場外」へ工場拡張移転、本社機能移設
2005年 京丸うなぎ株式会社設立
2009年 業務拡張、HACCP対応工場認証取得に向け増床
    工場隣接飲食店 うなぎ処京丸オープン
2017年 沼津市上香貫槇島町にすし処京丸をオープン
    沼津市千本港町のすし処古川を買収
2020年 三島市一番町に寿司・うなぎ処京丸オープン(富士山三島東急ホテルMITOWAみしま内)
2024年 すし処京丸 本店(旧:すし処古川)すし処京丸 槇島店リニューアルオープン
2025年 工場の省人化・省力化を目的に全面リニューアル
創業年(設立年) 1961年
事業内容 鰻製品製造、販売
所在地 静岡県沼津市春日町31
資本金 1,000万円
従業員数 97名(2025年3月末時点)
会社URL

京丸うなぎ株式会社