村田ボーリング技研株式会社
代表取締役社長 村田光生
静岡市の西部の丸子地域で70年以上地域に密着した年輪経営を実践するものづくり企業がある。それが村田ボーリング技研株式会社だ。
同社は、1950年に車やオートバイのエンジン再生(エンジンボーリング)の事業で始まり、現在は「溶射加工」「セラミックレーザー彫刻加工」などの“表面改質技術”を使い、航空宇宙産業からローテク産業に至るまで、多種多様な部品を加工している。
2代目である父の背中を見て育ち、物心ついたときから自然と“将来は会社を継ぐ”と考えていた。小学校の卒業文集でも将来は村田ボーリング技研の社長になると宣言していた村田社長。2000年に3代目として代表に就任し、自ら理想とする“いい会社”づくりに尽力している。今回はこの歴史ある企業の魅力と今後の展開についてうかがった。
伝統の継承と、未来への挑戦を可能にする革新企業の本質
トップの意志が社風をつくる
2代目である父は、社員の幸せ=黒字化と考え、現場の管理・統制を徹底し収益を上げたが、結果として右へ習えの受け身な社風が根付いていた。このトップのリーダーシップで舵取りをするスタイルは時代に合わないし、自分にはできないと考え、代表就任後に法政大学大学院に入学、坂本光司研究室で250社以上の企業を見学し、肌感覚で“いい会社とは何か”学んだという。
その中で見えたものが、管理・統制とは逆の、“管理しなくとも自主的に動く社風”づくりだ。それには社員とその家族が幸せを実感できなければいけないと考え、社風の改善や福利厚生の拡充に取り組んだ。休日の拡張や女性社員の働き方支援、誕生祝いやイベント企画など良いと思うものはどんどん取り入れ、組合の要求も上回る回答を出し社員満足の向上を目指した。さらに地域社会への貢献活動や様々な会社の情報発信もあり、この社風は村田社長のトップとしての20年間でブランド化に向けてさらに強化している。
「社員とその家族や関係するすべての人達から『いい会社ですね!』と言われるとうれしいですね」と明るく語った。
業界を牽引する企業へ
「溶射(溶射材料を加熱し、粒子を超高速で吹き付けて皮膜を形成する表面改質法)という業界自体がニッチですが、その中でも表面改質だけでなく、その後の研削仕上げまで一貫でできるのは自社の強みですね。」という。
こういった設備とともに、技術スタッフの手技による表面処理の熟練度の高さも同社の品質を支えているが、同社の強みは、なによりその環境に甘んじず常に新しい取り組みへ挑戦する点だ。
「祖父も父も新しいもの好きで、他社がやらないことを先駆けて取り組んでたのと技術や製造工程を工夫したことにより高い粗利率を維持していました。また、昔から行政や大学との連携等により技術革新も取り組んでいました。」
そして、いま同社の独自性はプロモーションの分野に表れている。営業マンが図面やサンプルを持って“技術を売り歩く”のではなく動画やWEBサイトから問い合わせをいただくというプロセスを2005年より開始し、より広域の顧客からの受注プロセスを構築したことで収益性の向上につなげている。
年輪経営を体現する
創業から時代に合わせた変化を遂げてきた同社だが、一貫しているものもある。それは劇的な飛躍や成長を求めず、1年ごとに少しずつ、着実に成長する年輪経営の実践で、この年輪を重ね続けることが展望となっている。具体的には利益率や生産性など収益の点や離職率など組織的なテーマも含め、会社で定めた指標を毎年確実に向上させていく活動を行い、結果過去70年黒字経営を持続してきた。
村田社長は、“いい会社”づくり、すなわち“社員の幸せの実現”のために、さまざまな環境整備に取り組んできた。そして大事なことはそれを企業として支えるしっかりした経営基盤を強化していくことだ。「利益は大事です。父は特にその点をはっきり打ち出し成長させましたが、これからは社員を幸せにすることで、結果として利益がでる会社にしたいですね。」と明るく語る背景に、多くの著名な経営者への師事や独自の学び、そして試行錯誤の積み重ねがある。この村田社長自身の年輪が今の同社の強い幹となっている。



“いい会社”をつくり、育てるために
先代の体制や当時の雰囲気を教えてください。
私が入社した40年前になりますが、最初の3年ほど名古屋の工場勤務でした。高度成長の時代で毎日忙しかったのを覚えています。当時現場は4人で事務担当はいなかったので、電話が入ると工場のベルが鳴って機械を止めて対応する感じでしたね。夜遅いこともありましたが、一人がいろんな工程を担当するので勉強になりました。
会社全体としては、父が社長で叔父が常務という2トップの体制で、特に常務は押しが利くというか怖かったですね。若い頃は無茶もしたみたいで(笑)。現場の技術者も皆職人肌ですから、「背中みて覚えろ」という感じでしたね。父が目指した黒字経営の持続は実現できました。ただ、父と常務の強いリーダーシップによる部分が大きく、自分の代では変えなくては、と早い段階で考えていました。
地域とのつながりについて教えてください。
BtoBの事業では関係ないと思われがちですが、地域…、一般の方にも会社を知ってもらわないと生き残れないと考えています。働く人が地元や家族から「“いい会社”で働いているね!」と言われることはとても大事で、社員の幸せもそこにあると思うと、会社の考え方を発信することや地域に貢献する活動は重要になります。年2回の勉強会(講演会)やイベントの主催・協賛もそういった思いから始めています。2020年内にはサプライズ花火(2,000発)を予定しています!
こういった私の考えは、ブログで発信しています。始めたのは2005年で2010年以降は毎日欠かさず発信しています。
プロモーションは、どうせやるなら楽しさも大事なので、遊び心はたくさん盛り込んでいます。私たちの動画や記事にも興味を持っていただけると嬉しいですね!
70周年を迎え、100年企業への思いを聞かせてください。
経営というのはゴールのない駅伝と一緒で、3代目として全力で走り抜け、バトンをうまく渡せたところが自分自身のゴールだと考えています。その中で私のできることは、やはり“いい会社”づくりに尽きると思っています。自分のスタイルで一歩一歩進み、73歳で長男へのバトンタッチを想定しています。2000年に社長になってから5年くらいで、半年は自分が抜けても会社が回る状態になりました。2015年以降は自分が思う“いい会社”をづくりを全力で続けています。社長は社長という仕事をする社員、部長は部長、課長は課長といった自走型のいい社員が“いい会社”を創っていきます。その中で私は今、会社のブランディングという形で魅力づくりを進めています。トップ営業にもつながるし、なにより自分の感性を磨く場にもなっています。
一貫体制を支える 次世代の生産管理者
村田ボーリング技研株式会社
工程係 辻健太郎
辻さんは、50年先輩の上司が一人で築き上げた生産管理の業務を受け継ぐべく奮闘する期待の若手社員だ。理念に共感して入社したという辻さん。新人研修の後、配属の希望は「どこでもやります!」と答え、資材の調達や生産管理に取り組んでいる。今はチャレンジしながら学ぶ段階!と考え、“工程係”というポジションで、仕事の流れを把握しながら営業と製造を繋ぐ役割という、大先輩が50年かけて経験したノウハウを吸収している。静岡で育ち、地元で誇れる仕事に出会えたという辻さん。「社長の考えを身近に聞けるこのポジションが楽しいです」と取材中終始明るい口調で、会社の魅力について語っていただいた。
伝統の継承と挑戦の未来を担う社員の思い
決め手は“人”
地元静岡で育ち、大学時代は“化石を勉強したい”と国際自然科学が専攻できる秋田の大学へ進学。地質の勉強に関しては海外に赴くことや1か月山籠もりしたこともあったという。就職活動の時期になり“ボーリング”という地質研究に関連するワードが社名にあったことで、業務であるエンジンボーリングとは異質なものではあるが会社に興味を持った。入社の決め手となったのは、参加した県内の合同説明会の中で唯一、同社のみ社長が参加していて、一緒にいた社員も、他社のブースの人とは熱量が違ったことだ。 村田社長から「目がきらきらしているね!」と言われ、まだ入社を決めていない自分に対しても会社のビジョンや考え方をまっすぐ語ってくれた会社の姿勢を見たとき、迷わず自分の進路を決めた。どんな仕事か、というのは正直やってみないとわからない。しかしどんな会社を目指しているか、ということは、わかりやすい動画や資料で理解し共感した。こうして辻さんの未来の方向が決まった。
生産管理を一手に担うこと
上司が持つ50年の経験。これを5年でマスターすることが辻さんのやりがいだ。同社の“工程係”とは、回ってきた図面や資料から必要な資材や作業工程、時間およびその費用を瞬時に割り出し、必要な手配をすることが求められる。これは長年の現場経験がないとできない。これを補うべく辻さんが取り組んでいることは、迅速かつ正確な“関係者とのコミュニケーション”だ。今の上司は図面を一目見ただけ全ての工程が浮かび、的確な手配ができるというノウハウを持っているが、自分がその経験を積むのに50年かけるわけにいかない。回ってきた資料を読み解き、不明な部分はすぐ確認に走る。質問がダブらないように簡潔にまとめる。得た知識や経験、作成した資料の情報を分類しその後に活かす。このくり返しで日々成長を実感できるという。「もともと人と話すことが好きでした。現場の先輩方も気軽に接してくれて、その点は本当にありがたいです。見た目はタフガイな感じですが(笑)。」
“すごいね!”と言われる会社をつくる
辻さんは、地元で知人の両親と会ったとき「村田ボーリング技研ってすごいね!」と言われることがあるという。これは同社がBtoBの事業ながら一般に認知される活動を通じて実現した会社の魅力だ。 辻さんが考える“働きがいがある会社”とは、理念や社長の考えに共感し、それに対して自分に何ができるか考えられる組織であるという。その点同社の未来に向けたビジョンのわかりやすさや遊び心を持ったプロモーションの取り組みは、圧倒的に魅力があり、仕事のモチベーションにつながっていると語った。「同期のメンバーは配属はバラバラですが、それぞれの現場の課題や自分の目標については話すことがあります。」 若い社員が自然に自分や会社の将来についてコミュニケーションを持つ場が生まれる。これは社員一人ひとりが会社に魅力を感じて、自分の将来や夢を描けるフィールドがあるということだ。村田社長が目指す“いい会社”づくりの成果のひとつではないだろうか。



若手社員の目に映る“村田ボーリング技研”とは?
入社直後の会社の印象を教えてください。
皆さん、とてもタフですね。工場は寒暖差が大きいというか、溶射が稼働しているときの暑さはもの凄いのに誰も体壊さないですね。製造以外でも、私の上司は69歳ですが全然そう見えません。見た目が若いというよりは、皆エネルギッシュですね。技術面でいうと当社は溶射→研磨という工程があり、研磨をしやすくするために一定の厚さで溶射(表面処理加工)する技術が求められます。大型のものはロボットで行いますが手で仕上げる作業も多く、これを1回1回確認しないで、経験で一発で完璧に仕上げる匠がいます。それは年配者だけではなくて若い人でも凄い人がいますね。
そんな人たちがなんでも気軽に話してくれる、というのが入社時の印象です。もちろんものづくりの仕事なので、サイズや作業時間とか、正確さは重要になるので基本的にまじめな人が多いですね。
村田社長の印象について教えてください。
まっすぐな人というのでしょうか。“いい会社”にしたい、という信念を貫くことに関しては本当に頑固な人だと思います。事業に関しては現場の経験があり、その後営業を行っていたので、顧客視点という面からどんどん会社を変えていっています。昔は違ったようですが今は、“買ってください!”という技術を売り歩く営業ではなく、お客様の要望に最大限応えるというイメージですね。その点溶射技術は他社ではできないレベルですし、後工程も自社で対応できるところは少ないので、いかに当社の良さを知ってもらうか、が重要になります。ホームページの内容は社員から見てもわかりやすいですし、それ以外でも様々な形で情報発信しています。私には、社長の考え方を知るよいツールになっていますね。
会社のプロモーションについて具体的に教えてください。
たくさんあるので、何から話しましょうか(笑)。
公開の社員勉強会というのが年2回あり、これは一般の方も参加できます。著名な方の講演になりますが、学びそのものと地域の方との交流を目的にしています。イベントとしては地域のお祭りの協賛や工場見学も対応しています。
地域のテレビやラジオCMは以前からやっていましたが、最近ですと、動画を中心としたWEB上での情報発信ですね。ホームページ内の動画配信だけでなく、Youtubeチャンネルの制作は今プロがやっていますね。社長もどうせやるなら楽しく、と新しいことにはどんどんを入れて取り組んでいます。こういった社長の考え方はぜひブログを見てほしいですね。もの凄い量あるので、全部見るのは大変ですよ(笑)。
創業年(設立年)
1950年
事業内容
金属熱処理加工業(溶射、研磨)
所在地
〒421-0106 静岡県静岡市駿河区北丸子1丁目30-45
従業員
90人
キーワード検索
監修企業からのコメント
ありがとうございました。
掲載企業からのコメント
お読みいただいた方が、静岡に来た時に「あ、村田ボーリング技研があるところだな」と思い出していただければ嬉しいです。